余白をつくって生きていく
友人に「最近、仕事が終わった後は何してるの?」と聞いたら、
「特に何もしてない。ぼーっとしてる。」という答えが返ってきてハッとした。
わたしが最後に「何もしない」時間を過ごしたのって、いつだろう。
…思い出せない。
ただそこに流れる時間に身を委ねて「ぼーっとする」、そんな過ごし方をしたのは、なんだか遠い昔のことのような気がする。
「最近、暇なんだよね。いろいろ落ち着いてきて、特にやることもないし。」
彼は続ける。
最後に「暇だなあ」と感じたのがいつだったかも、わたしは覚えていないことに気づいた。「忙しい」と感じることは常にあるけれど、「暇」と感じる瞬間は、少なくともここ1年間は、ほとんどないような気がする。
これまでの自分だったら、彼の言葉を聞いても特に何も思わなかっただろう。
へえそうなんだ、わたしはやることがたくさんあって暇なんてないなあ、なんて思って受け流していたと思う。
だけど今は、この言葉が心に引っかかって、喉に詰まった魚の小骨のように、心をちくりちくりと刺激した。
今の自分に足りないのは、「何もしない」時間なのかもしれない。
彼の言葉を反芻していたら、ふとそんな考えが頭に浮かんだ。そう考えてみると、思い当たることはいくつかあった。
ここ最近、「やりたいこと」「やらなきゃいけないこと」が洪水のように押し寄せてきて、自分の中で優先順位を決める力が鈍っているなあと薄々感じていたこと。
夜、布団に入ってふと気を抜いた途端、いろいろな感情や記憶や気づきが言葉となってとめどなく溢れ出してきて、スマホのメモ帳を開いたら次から次へと言葉が浮かび、眠れなくなってしまったこと。
これらはすべて、日々の生活の中にある「空白」の量が、自分にとって充分ではないことの表れなんじゃないだろうか。そう思った。
だからその日、わたしは帰宅してからすぐに、5分間だけ「椅子に座り、何もしないで過ごす」時間をつくってみた。
人工的に空白を生み出してみよう、そう思ったのだ。
最初は、翌日の仕事のことや次に書くnoteの内容のこと、返信しなきゃいけないメッセージのことなんかをぐるぐる考えて、ついスマホを開いてしまいそうになった。
けれど少し経つと、普段眠りにつく前に浮かんでくるような素直な言葉や想い、ふとした気づきが浮かんできて、
「あ、自分はこのことに対して、こんな風に思っていたんだな」
「あの時のあれって、もしかするとこういうことだったのかも」
と、自分の声だけが聞こえる状態になっていることに気づいた。
それを毎日つけている日記にメモしていたら、なんとなくいつもより思考が整理されて、心もふっと軽くなったような気がした。
自分の声が聞こえる、そんな感覚だった。
何もしないでただ時間を過ごすこと、暇な時間を過ごすこと。
昔は当たり前のようにできていたのに、気づいたら、こんなにも難しくなっていたんだなあ。
空白の時間を「よくないもの」と考えて、ひたすら情報や行動でそれを埋めようとしていた。
そうしているうちに、わたしは本当に自分にとって必要なものを選び取るための判断力や、自分の素直な心の声を聞く力を、なくしていたのかもしれない。
だけど、立ち止まって自分の気持ちを確かめたり、ゆっくり自分と向き合って話を聞いたりする時間がなかったら、自分にとって適切だと思える選択肢を見つけることなんて、できない。
焦っているとき、余裕がない生活をしているときほど、意識して余白をつくるようにする。それが、自分が心地よいと感じられる人生をつくっていく上で、大事なことなのかもしれない。
自分の中にあったはずの、空白の時間を取り戻す。
つい何かをしてしまいたくなる、考えたくなる自分をそっと制して、日々の中に、余白をつくって生きていきたい。
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