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氷と戦う、夏。

かき氷は、競技だ。


お店に並ぶところからスタートして、氷を素早く、
美しく、おいしく完食するところがゴールの
個人レースだ。

まず、かき氷を出すお店はどこも常に長い長い行列だ。

行列に並んでようやく入れるタイプのお店もあれば、
予約台帳に記入して指定の時間に戻ってくるタイプの
お店もある。

いずれにしても、その日一日は、一杯のかき氷を
食べることを中心に行動しなくちゃいけない。

かき氷を中心にまわる世界。

そうしてようやく、入店の時間。

メニューを3周ほど見回して、注文を決める。
かき氷が届く。

お店にもよるけれど、かき氷は大抵、どうして
こんな形に削ったのかと思うほど、急斜面だ。

わたしが思わず「断崖絶壁」と名前をつけてお店の人
が「その通りですね」と何度も頷いたかき氷は、
綺麗な直角90度に氷が削られていた。

そんなかき氷をお皿からこぼさずに食べるのは困難で、下手すれば、口に氷を運ぶ前にぐしゃっと雪崩が
起きることもある。


わたしは以前、これをやってしまったことがある。

毎年夏になって、かき氷を食べる度に思い出して、
苦い気持ちになる。

朝早くから炎天下の中並び、5時間待ってようやく
ありつけたかき氷は、わたしの目の前に神々しい光を
放って現れた。

手早く写真を撮り、急いで手前にお盆を引く。

その瞬間、美しい氷の山は、サッと美しい音を立てて
左に崩れ落ちた。

ゴクリ、と喉が鳴る音がした。
数秒間、時間が止まる。

その雪崩の瞬間すら美しくて、しばらくその瞬間が
頭の中でリフレインしたくらいだ。

木のテーブルに粉雪のようにふわふわと積もった氷
を、おしぼりで一箇所に集めているときの虚しさと
いうか喪失感というか、あのときの感情はなかなか
言い表し難いものがあった。


氷の山が雪崩を起こさず、無事に一口目を味わう
ことができたとしても、難題はまだある。

いくら店内が冷えているからといって、かき氷は
一瞬にして溶けるのだ。

溶けると、氷が水になってどんどん下の方の味が
薄くなってくる。

それを防ぐために、かき氷が目の前に届いたら、
素早く、無言で食べ終えなくてはいけない。

届いた瞬間から、空のお皿の底が現れるまでの、
孤独なレース。

だから、かき氷は、競技だ。
スポーツなのだ。

美しく、美味しく、素早く食べるための大会があって
もいいくらいだ、と常々思っている。

かき氷を食べるのが得意な人のことも、これからは
運動神経がいい人、と言ってほしい。


わたしは今日も、ひとりでかき氷を食べている。

姿勢を正して、手早く写真に収めて、スプーンを
慎重に氷の山に差し込んで。

ひとくち目を頬張ったら、笑みが溢れた。
斜め前に座っている大学生くらいの女の子と、
目が合う。気にせず、ふたくち目を口に運ぶ。

サクサク、という氷の音を聴きながら、小豆や
きな粉、黒蜜など色々な味を組み合わせたり
組み合わせなかったりして、自分だけの夏を楽しむ。

カウンターの向こう側で楽しそうにかき氷をつついて
いるカップルたちの手元にある氷は、もうほとんど
溶けてしまっている。

ああ、あれじゃ最後のほうは薄くておいしくない
だろうなあ。もったいない。。

余計な心配をしながら、あたたかい黒豆茶を片手に
これを書いている。

決して、誰かと一緒に氷を食べている人たちを
僻んでいるわけではない。

なぜならかき氷は、わたしにとっては競技、
いつだって真剣勝負だからだ。

今年もおいしいかき氷に出会うことを夢みて、
わたしは氷と戦い続ける。

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