終わりの音が聴こえた日
大好きだったあの人は、
今、わたしの斜め前に座っている。
久しぶりに彼の顔を正面から見て
最初に浮かんだのは、あれ、この人って
こんな顔だったっけ、という感想だった。
これまではいつも隣に座ったことしかなかった
から、改めて正面から顔を見ることは
よく考えたらあまりなかったなあ、と
ぼんやり思ったりしていた。
隣に座る先輩にお酌をしながら愛想笑いをし、
何気ない会話の中で、誰にでもするように
彼に軽口をたたいて自然に振る舞う自分に、
そろそろ嫌気がさしていた。
側から見たらきっと自然に振舞えていたけれど、
本当は、ひどく焦っていた。
ふと気を抜くと、今すぐにでもあの頃に
勢いよく巻き戻されてしまいそうで。
でもそれだけは避けたかったから、
必死にそれに対抗するように、
ただの友人を装うことに徹していた。
ふたりで会ったことなんてたったの数回しか
ないのに、一つ一つの記憶はいつも鮮明に、
心のど真ん中で存在感を放っていた。
思い出は、いつになっても消えなかった。
むしろ、時間が経つにつれてどんどん
その存在感を増していった。
あまりにもその記憶が強固になりすぎて、
気づいたら、彼との記憶にまつわること以外で、
心が動かなくなってしまっていた。
大きすぎる声も、誰にでも優しいところも、
何もかもお見通しで器用なところも、
最初は全然好きじゃなかった。
それなのに、気づいた時にはもう、
その全部が好きだった。
どこにいても彼の声が聴こえたら
心の音は勝手に鳴り出すし、
彼の名前を目にするたびに どきりとして
つい背筋を伸ばしてしまうし、
彼と目があった時なんて、周りの音が何も
聴こえなくなって、時間も心臓も
同時に止まってしまうような感覚に陥った。
完全に重症だった。
でも、誰にも気づかれずに、これまでずっと、
自然に振舞って、なんとかやってきた。
「本当に、いい子だよね」
彼の大きな声で、ふと我に返る。
気づくとその場の話題はどうやら
わたしの話になっていたようだった。
「いい子」。
それは今まで彼によく言われてきた言葉だった。
言われるたびに、その時は、うれしかった。
けれど、今になってようやく気づいた。
わたしは彼にとって「どうでもいい子」で、
「都合のいい子」だったんだ、と。
今になって気づいた、と言ったけれど、
本当は、もうとっくに、気づいていた。
ただ、気づかないふりをしていただけだった。
わかっていたけど、まだ信じていたくて、
夢を見ていたくて、わからないふりをしていた。
彼の笑顔が、今はじめて笑顔に見えなくなった。
たぶん、この気持ちを彼に伝えることは、
この先もずっと、ないだろう。
それも、きっと最初から、わかっていた。
わかっていた上で、自分を、騙していた。
わたしはまだ、彼のことが好きだ。
どうしようもなく。救いようもなく。
この気持ちが消える日がいつくるのかも、
今はまだ、検討もつかない。
でも、いつか、くるのだろうか。
彼の声が聴こえても、それは
ただの雑音になって耳をするりと通り抜け、
彼の名前を目にしても、それは
ただの文字の羅列として読み飛ばし、
彼と目が合っても、
なんてことなく社交辞令の笑顔でやり過ごす、
そんな日が。
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