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「思い出」としての焼肉


焼肉屋さんから漂ってくる、あのもくもくとした
煙たくて香ばしい、お肉の匂いが好きだ。

と、気づいたのは、この街に引っ越してきてから
しばらく経ったある日のことだった。

最寄駅からの帰り道、焼肉屋さんが3軒ほどある。

なんの変哲もない、その焼肉屋さんたちからは、
夜が深くなっても、力強いお肉の匂いがしている。

その脇を通るたび、なんとも言えない幸福感が、
わたしの心を満たす。



帰り道、ということでお腹が空いている時間帯の
はずなのに、この匂いだけは、他の食べ物の匂いと
比べて、なぜか全然嫌じゃない。

「食欲をそそる」とも、少し違う。

特段 焼肉が好きなわけでもないし、むしろわたしは
魚の方が好きで、普段お肉を好んで食べることはない。

だったらどうして、と不思議に思って歩いていたら、
ふと思い当たることがあった。



まだ小学生くらいの頃、わたしにとって「外食」
という行為は、この世で「本を読む」と並ぶ
最上級に幸せな行為だった。

けれど、うちは5人家族だし、お母さんは専業主婦
だし、お父さんもまだ若くて、貧乏ではないけれど
裕福とも言えない家庭だったから、外食なんて年に
1、2回くらいしか行けなかった。

その中で唯一「外食をする」となったときは、
なぜか焼肉に行くことが多かった。

「今日は外食だよ」とお母さんに言われたときの
高揚感といったら、それはもう、凄まじかった。

そのときもたぶん、わたしは「焼肉が食べられる
から」嬉しかったというよりは、「外でご飯が
食べられるから」嬉しかった。

普段おしゃれなんて全く興味なかったのに、
そのときだけはお気に入りのワンピースを着て、
鼻歌を歌って歩いた。

きっと、その頃の幸福な食体験が記憶に染み込んで
いて、今になっても残っているのだろうな、と思う。



不思議なもので、「お寿司屋さんの匂い」とか
「イタリアンの匂い」とか、今わたしが食べ物と
して好きなものの匂いと街中で出会したとしても、
これと同じ感覚になったことは、一度もない。

逆に、「何食べたい?」と聞かれて「焼肉」と
答えたことも、ここ数年間を振り返ると、
一度もない。

わたしの中で「焼肉」は、食べ物としてではなく
思い出として位置付けられているのだろうなと思う。

そう考えると、子供の頃の食の原体験は、その後の
人生を大きく変える、大事な体験なんだなと改めて
感じる。



いつか結婚して家族ができたら、わたしの子供にも、
食とのいい思い出をたくさんつくってあげたい。

そんなことを思い巡らせながら、今日もあのもくもく
に包まれながら、鼻歌まじりで夜道を歩く。


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