【読書ノート】横田耕一(2014)『自民党改憲草案を読む』_#03
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3 「立憲主義憲法」を壊す
「改憲」ではなく「壊憲」
『案』は、「立憲主義憲法」の概念を根本的に覆そうとしており、したがってそれは「改憲」ではなく「壊憲」だとの批判が最近聞かれるようになった。
ともすれば戦争放棄に関する九条の改正がもっぱら問題にされてきただけに、本質的問題に目が向けられるようになったのは、怪我の功名であろう。
「立憲主義憲法」の基本原理
通常「立憲主義憲法」と呼ばれるのは、イギリス名誉革命・アメリカ独立革命・フランス大革命といった「近代革命」後に欧米で作られた憲法である。
そのため、厳密には「近代立憲主義憲法」。
立憲主義の理念はその後各国に影響を与え、いまや多くの国の憲法に共通する原理となっている。
その理解については、論者によって若干の相違があるものの、大まかには以下の通りである。
すべての個人は生まれながらに不可侵な「人権」(自然権)を保有している。
そして人々は、人権を確実に、またよりよく保障するために国家(政府)を設立し、それに権力を信託した。
しかし、国家はその権力を濫用する危険性がある。
そこで、人々は国家が何をしてはいけないか、何をどのようになすべきかを明文で定めた。
定めに反した国家には権力を行使する正当性がないので、人々には革命ないし抵抗する権利がある。(抵抗権)
この、国家を縛った定め、それが「(立憲主義)憲法」である。
憲法の要諦は、権力の根源的保有者たる国民が、権力を信託された国家を縛ることにある。(国家の憲法遵守義務)
以上を受けた立憲主義憲法の具体的基本原理は、
権力の根源的保有者は国民である。(国民主権)
国家は人権を侵してはならない。(人権保障)
権力は分離・相互抑制されていなければならず(権力分立)、権力行使は常に法の下で行われなければならない(法の支配)。
大日本帝国憲法と日本国憲法
その観点では、大日本帝国憲法も伊藤博文が「憲法は君権を制限するものである」と強調したように、立憲主義憲法の体裁を取ってはいた。
しかしそこで保障された臣民の権利は、国家の必要に応じていかようにも制限できるもので、不可侵ではなかった。(法律の留保)
また、統治権の総覧者である天皇に広範な大権が認められていることなどから、権力分立の点でも不十分であった。
よって、この憲法は「外見的立憲主義憲法」と評される。
他方、現在の日本国憲法は、立憲主義憲法の主流に乗っており、前述した基本原理が採用されている。
その上で、通常の君主制とは呼びえない独特の象徴天皇制と、制憲当時の世界では例を見ない戦力不保持を基盤とする永久平和主義を定め、それらを独自の特色としている。
『案』の問題は、後者の独自色を希薄化ないし否定しようとしている点もさることながら、前者の立憲主義憲法の大原則を根本的に変革しようとするところにある。
しかし、『案』が発表された段階で、このことを指摘するマスコミはほとんどなかった。
立憲主義憲法は、近代革命などの人々の闘いの中で勝ち取られてきたものであるだけに、現憲法を一方的に与えられただけの日本国民はその理念を血肉化できていない。
公私の峻別がされず、国家が生活の全面に介入してきた日本においては、潜在的侵害者である国家を相対化する意識が希薄であり、国家と国民の間の緊張関係の認識に欠けるところがあったのではなかろうか。
『案』は国家と国民の協働を説き、国民の義務を強調し、「私」への国家への介入を大幅に認めている。
これは立憲主義憲法の破壊(壊憲)であるが、このままでは結構多くの国民が『案』受け入れるかもしれない。
※法律の留保
「法律の留保」には2つの意味がある。
それぞれドイツ語の
「Vorbehalt des Gesetzes」の訳
行政権の行使は法律に基づかなければならないという原理
その妥当領域については学説上争いがある。従来、国民の権利自由を制限し義務を課する侵害行為に限るとする侵害留保説が通説。
「Gesetzesvorbehalt」の訳
国民の権利を行政権によって侵すことは禁ずるが、立法権によって侵すことは認めるという原理
明治憲法(大日本帝国憲法)における人権保障は、この意味での法律の留保を伴っていた。現行憲法下の基本的人権は、この意味での法律の留保の制限を受けない。
大日本帝国憲法29条「法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」
このように表現の自由を議会の認める範囲内の相対的な権利に留めた。
この憲法が制定された当時は、帝国議会が人権を保障しさらに伸張させる立法をすることも期待された。
しかし実際には、「出版法」「新聞紙法」「治安警察法」など厳重な言論統制のための法律が敷かれ、昭和初期には「治安維持法」に代表されるような極端な弾圧立法が数多く登場した。
【参考文献】
雑感
途中の言及の仕方を見るに横田先生は恐らく9条護憲派なのだと思いますが、しかしそれよりも何よりも自民党改憲草案の問題は現憲法の立憲主義の原理を根本から覆そうとしていることにあると強調されている通り、これは9条がどうとか右や左がどうとかいう以前の問題なのかもしれません。実際、改憲派や右寄りの人であっても、「自民党の改憲草案はヤバい」と言っているのを目にします。
中国や北朝鮮やミャンマーのような独裁国家や軍事国家にでさえ、「憲法」と名のつくものはあることを思えば、大事なのはその内容(文面)や実質(運用)であって、国家権力を縛るという立憲主義の原理が採られているかどうかであります。
大日本帝国憲法は、頭のいい人たちが欧米を視察して各国の憲法を研究した上で作られただけあって(私擬憲法が無視されたり権力分立が不十分だったり人権に留保が付いていたりといった問題はあれど)立憲主義の体裁を取っていたのに対し、自民党改憲草案の場合は、お気楽な人たちがお気楽に(ろくに勉強もせずに)書き散らしてしまったものなので、近代憲法の形にすらなっていません。
その意味で、宮台先生が自民党改憲草案について、「憲法に値しない。これを憲法草案と呼ぶ時点で国辱」と言っていたのも頷けます(実際総理と副総理の憲法認識の稚拙さは米国で笑われたそうです)。
9条改正も自主憲法制定もやりたいならやればいいと思うのですが、よく分からないのにやって国をめちゃくちゃにするのはやめてほしいかな……?
■次回■
4 国民は憲法を守れ!
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■前回■
2 「自主憲法」と「押しつけ憲法」
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