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映画「RRR」感想。水の男・ビームと炎の男・ラーマの熱き友情と葛藤に想いを馳せて胸震わせる

 五感を震わせ、鑑賞後も余韻が半端ない映画「RRR」。
 その面白さはやはり、3時間に凝縮された二人の男の熱き友情と葛藤がダイナミックなアクション、歌、ダンスで演出されまくるところだろう。

 ということで、改めてダブル主人公のビームとラーマに想いを馳せてまた再び感動に打ち震えている。

※以下、ネタバレおよびまだ1回しか観ていないので記憶違いや妄想が混ざっている可能性があります

 まずなんといっても、対極ともいえる「水の男・ビーム」と「炎の男・ラーマ」のキャラ立ち。
 「水」と「炎」の両極な属性ってだけで萌える。
 しかも大儀を胸の奥に秘めた一見クール寄りのインテリなラーマが炎で、森の住人として家族愛がアイデンティティーな優しい性格のビームが水なのが良い。
 なんだか「鬼滅の刃」の煉獄さんと炭治郎を彷彿とさせる。
(今更だが煉獄の炎と燃えてより硬度の硬くなった炭治郎って名前からしてエモい関係だったのだな)

 やっぱり今の時代は「水」の属性が主人公属性なのだな!

 そして神道や仏教がベースの日本文化や、そして昨今のゲームやマンガのバトル属性において五行が自然と身についている日本人にとっては水属性、炎属性というのは、もうそれだけで妄想たぎるし美味しい要素ではなかろうか。

 そんな二人が出会って親交を深めて互いに手と手を差し伸べあってからの対立、葛藤、咆哮を経てのクライマックスでの再びの共闘が熱すぎてエモい。

 友としての信頼の証として握りしめ合った掌が、一転、中盤では各々が握りしめた拳と変わり、拳と拳で語り合う…ならぬ、ガチで真っ向勝負で戦う姿が、哀しいけれども熱い。
 そして紆余曲折経てからの、クライマックスの共闘。今度は互いの手を取り合うのではなく、まさに一心同体な肩車戦法で、阿修羅の神の如き勢いで四本の腕を縦横無尽に振り回して闘う様がカッコよすぎてマジで痺れる。
 80~90年代前半の「少年ジャンプ」で熱い魂のぶつかり合いな漢のロマンを履修した身には刺さる、ものすごく刺さる。

 要所要所でスローモーションになる演出や、顔のドアップで魅せる表情、マジかよ⁉と思う手法での戦いの際に、一瞬止めで見栄を切るかのようなシーン、まさに見開きドバーー-ン‼な少年漫画手法。
 「聖闘士星矢」や「魁男塾」バリの演出を映画で違和感なく見られるってマジでスゴイ。
 しかもそこで良いタイミングでバーンと入るSEが、より迫力を生み出し、嗚呼、映画ってまさに総合芸術だよなとその贅沢さに思わず感動の熱い涙が滝のようにこみ上げてくる。
 製作費がインド予算で97億円ということはハリウッド価格なら多分その三倍。それだけのお金を投じるとこんなスゴイものが創り出されてしまうのか。予算、大事。そしてその予算を余すことなく最高の映像に昇華して1つの作品にまとめ上げた監督はもはや神の領域。新たな神話の創出に思わず合掌……という敬虔な気持ちにすらなってくる。

 しかもこの映画、3時間ある割にロマンティックな恋愛シーンがほとんどないのが、私的にはすごく見やすい。
 ラブロマンスが観たければ恋愛映画を観れば良い訳で、「RRR」は潔いほどにアクションと男同士の友情、圧制する悪に対する反逆に焦点を絞っている。
 そしてまたラーマの許嫁のシータも受け身なか弱い女ではなくて、ラーマと同じ大儀を抱いている同士でもあるのが対等な感じがして良い。
 男女だから恋愛という訳ではなく、同じ大儀を抱く仲間であり同じ痛みを抱える者同士としての寄り添い合う愛と、そして異文化同士だからこそ互いを知ろうとする相互理解から発展する愛と2組の恋愛模様のどちらもが対等な者同士としての自然発生的な愛という位置づけで描かれていて、ラーマとビームのブロマンス的な友情と無理なく共存することに成功しており、ラーマ、シータ、ビーム、ジェニーの4人みなが幸せになって欲しいと素直に思わせてくるのが実はスゴイ手腕。

◆水の男・ビーム
公式サイトでの紹介は
「イギリス総督に連れ去られた村の娘を奪還するために命をかける、ゴーンド族の不屈の男、コムラム・ビーム」
と簡潔なのだが、この簡潔な紹介にビームの魅力がギュギュっと凝縮されている。

 まず「村の娘(マリィ)を奪還するために命をかける」というのが、現代の常識を超える。
 ビームにとってマリィは実の妹ではない。けれど、ゴーンド族は群が一つの家族という認識で、血縁ではなくその群に属するものは皆愛しき家族という価値観で、そこで戦士としてアイデンティティーを構築されたビームにとって、マリィは本当に守るべき家族なのだ。
 群という大ファミリーはある意味、過酷な森の生活を生き延びるための知恵だとは思うが、その群れを守るために日々鍛錬を積むのが「羊飼い」という戦士の役割で、ビームはその「羊飼い」として育て上げられたというバックボーンが、ビームの言動すべてを裏打ちしておりブレない強さになっている。
 だからビームは、マリィ(家族)を連れ戻すために命を懸けられる覚悟がある。
 身分を偽り、しかも宗派の違うムスリムに擬態し数年(記憶曖昧だが2年くらい?)かけてマリィが囚われている場所を突き止める様は、氷にも水にも水蒸気にも形を変え、どんな隙間にも浸透する、まさに様々に形を変える水の如し。けれど「水」というアイデンティティーは絶対に変わらない。それが、ビームの強さなのだ。
 水の男で森の申し子でもあるビームは歩く薬草図鑑でもあり、毒蛇の解毒薬や裂傷や炎症が酷い傷口もたちまち直す万能薬をその辺に生えてる草から薬草を見分けて作ってしまうという特技も持っており、その特技はもはや神技(笑)水の癒しの能力にも通じる。
 しかも森の申し子なので動物との向き合いも手練れている。冒頭の虎とのバトルが最初はビームの強さを見せるシーンか虎を捕まえて売ることで旅の資金でも稼ぐのかな?と思いきや、中盤の大バトルの伏線になっているのだ。
 中盤で動物たち総出演!森のサーカス軍団?という登場シーンは、そう来るか⁉と本当に度肝を抜かれた。
 いやフツーはしないだろうという常識を軽々と超える戦術で、近代化に驕り英国文化こそ至高とふんぞり返っている英国貴族や兵士たちを蹴散らす様は圧巻で爽快!
(そしてすっかり近代文明に慣れ親しんだ現代の我々の常識をもぶっ壊されて楽しい)
 さらに後半、不屈の男・ビームは身をもってその不屈さを民衆に示す。
 それが後半のハイライトの1つ、鞭打ち公開処刑。
 膝をついて赦しを乞うまで鞭を打たれるというえげつない処刑なのだが、ビームは決して膝をつかない。屈しない。その矜持が、不屈の魂がビームの歌となって発露し、大勢の民衆に響き渡り浸透することで起こる民衆たちの動乱。まさに水が大海原のうねりとなって津波を巻き起こすかのような破壊力。
 これぞ不屈の魂の権化である水の男・ビームならではの反逆なのだ。
 それによって、誠の革命は武器を手に取ることではなく魂の改変なのだとラーマが悟り、ラーマが真の革命家として開眼するきっかけにもなっているのがエモすぎる。

 そしてゴーンド族ならではの血縁関係ではなく群=仲間それは家族という大いなる家族愛で、ビームがラーマを「兄貴」と慕うことが、実は家族を失ったラーマにとってどれだけの救いとなったか。
 ラーマには仲の良い弟がいたのだが、その弟も父親や母親と一緒に英国兵の襲撃で殺されてしまう。幼馴染のシータと伯父さんがラーマを支えてくれてはいるが、彼の喪失感は半端ないだろう。
 そんな彼の懐に、まさに水の如しの優しさでいつのまにやら心根の奥まで入り込んで信頼を築き、無邪気に「兄貴」と慕ってくれるビームがラーマの救いになったことは間違いない。
 ビームにとっても、ラーマはもう家族みたいなもんで、ラーマの部屋で寛ぐ姿は本当の兄弟のような気心の知れたリラックスしたもので。その水の如き愛こそが彼の最大の武器でもあるのかもしれない。

 ビームの水気を含んだ大きくて黒目がちな瞳が、これまた水の男の潤な表情を見せてくれて。愛らしくカワイく見えてくる。
 日本の令和のカワイイ戦士代表が炭治郎なら、インドのカワイイ戦士はビームだな‼

◆炎の男・ラーマ
 対するラーマは、公式サイトでは
「イギリス政府の警察官となり、内なる大義を秘めた炎の男、ラーマ・ラージュ」
と紹介されている。 
 この「内なる大儀を秘めた」というのが実に厄介なものなのだ。

 ラーマの大儀、それは革命家の父の想いを引き継いで、いつか反乱軍でもある村の人々に大量の武器を届けること。
 そのために敢えて敵の懐に入り込むため、警察官となって武器倉庫の保管権限を得るためだけに出世を目指す。そのためには手段を択ばず、多少の犠牲も止む無しと思っている。
 大儀を成しえるためには犠牲は必要なのだ。
 そう、ラーマの家族もまた大儀の前に犠牲となったのだから。
 その死を無駄にしないためにも大儀を成しえなけばならない。
 そのために長い月日をかけて訓練を重ね、4年前に村を出てからは自分の身を偽り、本当の自分をずっとずっと押し殺して、敵の言葉を習得し、その文化を学びスマートに身にまとう努力を重ね、ただただ大儀を叶える日の為だけに情け容赦を捨て非情になり切ろうとする。

 …なんて重い十字架だろうか。
 亡き父の革命家としての最後の言葉「装填!」が、ずっとずっとラーマの胸の奥に大きな弾丸として装填されてしまった悲劇。

 ちなみに冒頭の英国に対して声を上げる暴徒たちを表情変えず情け容赦なく叩きのめす姿にラーマの覚悟と長年の鍛錬の賜物が描かれている。
 けれどもその成果だけでは昇進は叶わず、取り立てられるのは自分よりも無能な、けれど英国人というだけであぐらをかいている格下の奴らばかりという不条理さ。その不条理な世界で出世するためにはマジで手段を選んではいられない。
 そんな大儀という秘密を抱え、単身(伯父さんも同じく警察にいるが身バレしないよう距離を取っている)敵地で身を削る日々を送るラーマにとって、無邪気に慕ってくれる弟分のビームはどれだけ救いとなったことか。
 もうそう思うだけで泣けてくる。
 前半のラーマとビームが友情を深めていく様子がMVのように歌にあわせて紡がれていくのだが、びっくりするくらいめっちゃ仲良し。なんだかラブラブカップルの逢瀬を観ているのかな?と思わせるくらい仲良しこよしで、肩車スクワットが何かのラブい隠喩かしらと穿って観てしまうくらい密で蜜な二人なのだ(ちなみに肩車スクワットが後半の大いなる伏線になっていたことが分かった瞬間の場内の静かなる沸き立ちは面白かった)
 だからこそ、親友が実は潜伏中の警察官として探していた敵であって、かつ自分が昇進するための生贄だと分かった時の衝撃。
 愛する相手が敵だったって、ガンダムSEEDのキラとアスランかなってくらいエモい。もう泣くしかない。
 それでもラーマは大儀を叶えなくてはならない。
 革命を起こすためには大量の武器(力)が必要なのだ。そのためには多少の犠牲は致し方ない。
 幼い少年時代に父から直々に託され、そしてその父を村を襲撃した英国兵壊滅のため人間爆弾として撃ち抜いた息子としての重い責務なのだ。
 重い、重すぎる。
 もはやもうそれは大儀という名の呪縛ではなかろうか。
 そこにラーマ自身の願いはあったのか? 大人になる前に呪いをかけられてしまった悲劇。
 それ故にラーマは非情の仮面を被ってビームと対峙する。
 容赦なく拳を突き付けて、大儀のために親友の身柄を拘束する。
 辛い、辛すぎる。

 そして、民衆の目前で行われる鞭打ち公開処刑。

 ビームにとっては肉体的な苦痛、しかも途中からサディスティックな総督の妻のせいでトゲ付き鞭という拷問による激痛に対して、実はラーマにとっても心をズタズタに鞭打たれる苦行でもあったのだ。

 ビームを処刑しているようで、実は本当に処刑されていたのはラーマではなかろうか?

 インドの同胞たちが詰めかけ見守る中で、ただ一人、敵側についたインド人として見なされ避難されるなんて、どんだけの苦行だよと。
 そんなラーマの目の前で、ビームが起こした奇跡。
 ビームの魂の歌声は、群衆たちの心を奮い立たせただけでなく、確実にラーマの魂も揺さぶったのだ。
 
 本当の革命は武器(力)を得ることではない、人々が自覚し自らを奮い立たせ己を武器として立ち上がることなのだと。 

 その気づきこそが、ラーマが父の呪縛を解き放ち、本当の意味で父の願いを引き継ぎ、ラーマ自身として真の革命家として覚醒した瞬間でもあった。
 
 熱い、熱すぎる。
 なんて尊すぎる展開…‼

 この辺でもう涙腺決壊。
 涙が滂沱のごとく止まらなくなってしまった。
 両隣にいた見ず知らずの若いお嬢さんたち、鼻をすすりまくって五月蠅くしてゴメン…。

 そうして、ビームの思いと不屈の精神を知り、我が身の危険を顧みずにビームとマリィを解放すべく手を尽くすラーマ。
 けれどその時点でビームはそれを知らない。知らないが故の仇となって、自分をまた捕まえようとする敵だと誤解したビームの一撃でラーマは倒れ反逆者として投獄されてしまう。

 なんて哀しいすれ違い…‼

 けれど、ビームはいろんな意味で「不屈の男」だった。

 その後、運命に導かれるようにラーマの許嫁のシータと出会い、ラーマの胸に秘めた大儀を知ったことで、ビームはすべてを悟る。
 そして、単身、ラーマ救出を決行するのだ。

 いやそれ超無謀すぎん?とお思いだろう?
 だが2日後にはラーマは処刑が決まっており時間の猶予もないという逼迫した状況となることで、考える前に動くしかないと思わせる説得力があるのだ。
 しかもそれまでの超アクションで、ある意味、超人のビームならなんとかしてくれるだろうという信頼感が観客には生まれているという流石のシナリオ、演出。

◆真に分かり合えた漢たちの熱い共闘

 2時間強かけて水の男ビームの不屈の強さと、炎の男ラーマの十数年に渡る鍛錬によって培われた確実な技術とが、いよいよクライマックスで合体し大爆発となる。
 その爽快感と大迫力たるやまさにRRRの真骨頂…‼

 ということで、単身、牢獄に乗り込んだビームだったが、ちゃんとジェニーに牢獄の地図や情報をゲットしてから挑んだのは偉い。
 そして地面のいたるところに掘られた冷蔵庫ほどの大きさの独房の1つにラーマがいることが分かった訳だが、真夜中の暗がりで灯りも無い中(というか明るかったば己が見つかりヤバい)、声をだすこともできない。
 どうやって見つけ出すんだ⁉と観客もヤキモキして固唾を飲んで見守っている中、ナートゥである!
 
 前半の「ナートゥをご存知か?」で、いや全く知らんがな…という観客たちに、長尺使ってド派手に描かれたナートゥダンスでこれでもかと身体に刻ませたナートゥのビート。
 インド人の魂のビートである。
 サルサでもフラメンコでもなく、インドの民の魂に刻まれたインド人によるインド人のためのインドのビートなのである。
 そのビートで地面を叩くビームの機転。
 英国兵には分かるまい。
 同じ同胞であるラーマにだけ分かる微かな振動の合図。

 いや、そんな地面を叩いて伝わるんかいな?というツッコミは、もはやこの燃える展開で度外視である。しかもビームの腕力と、地面にけっこうな数で掘られた独房が太鼓のような効力を発揮して、意外と振動が伝わりやすい状況なのかも?と思わせるのだからスゴイ。

 互いが刻むナートゥのビートが重なりあい、ようやっと邂逅を果たした二人。
 鉄格子ごしに見つめ合う二人の眼差しに、もう超ド級のクライマックス!感動の嵐‼

 そしてそして、そこからがもう本当に凄かった。すさまじかった。

 独房の鉄格子を腕力で外すビームに、まぁ冷蔵庫サイズだし、今までのことを考えたら想定内だよなと観客みんなが自ずと納得してしまうシチュエーションを更に超える展開。

 そう、ここであの肩車…‼ なのである。

 前半の親友蜜月MVで急に挿し込まれてなんじゃこりゃ?だった肩車スクワットが大ブーメランとなって登場!である。

 石造りの独房に押し込まれて足を痛めたラーマのポテンシャルを最大限発揮できるのが肩車なのだ。
 おんぶじゃダメなのだ。それだとラーマの上腕二頭筋が上手く使えないし、ビームの両腕ともぶつかってしまう。
 そして、ラーマの足としての役割を果たすと共に、肩車でラーマの足がビームの首にしっかり固定されることで、ビームもまた両腕を自由に使えるのだ。
 あたかも四本の腕で堅牢な牢獄を突き抜けていく様は鬼神の如し。
 この二人だからこその阿吽の呼吸!
 下手すると笑える姿なのに、寧ろ神々しくカッコよく見える。
 てか手に汗握る展開で、細かいことが気にならない。
 無事に脱獄して…!!!!!という気持ちが映画館を包む一体感すら沸き上がる。

 さらにすごいのが、森に逃げ込んだ二人のヒーローとしてのさらなる進化。
 週刊少年ジャンプの十八番、究極進化!パワーアップによる装備チェンジ‼

 水の男であり森の住人でもあるビームにとって、森はもうわが陣地。誰よりも地の利を生かした戦いができる。
 しかも森の薬草でラーマの傷を治すこともできて、ラーマの足が超人級の回復を遂げるのだ。
 いやもうここからは人智を超えた神々の戦いゾーンである。
 なので細かいことは気にしてはいけない。

 週間少年ジャンプの数々の人気漫画だって、超進化した後は人智を超えた神の領域の技がさく裂しまくってるではないか。だからなんの問題もない。

 森の住人から森の鬼神へと進化したビーム。
 そして、父の呪縛を乗り越え真の革命家として覚醒したラーマもまた超進化。
 なんと、銃ではなく弓矢を装備。
 その姿はあたかも古より崇拝されるインド神話の英雄ラーマ神の如し神々しさ。
 しかも投獄されて数か月、伸び放題となった髪がこれまた似合っててめっっちゃカッコ良い!!

 この弓矢、森の神殿でラーマ神が持ってたものをビームが拝借したもので、どうやらラーマ神は弓矢の名手らしい。なので、ラーマ神のごとく覚醒したラーマもまた弓矢の使い方が超スペシャリスト。
 西洋文化が生み出した銃ではなく、太古より人間が狩猟のために編み出した弓矢という原始的な武器となることで、改めてインドの真の革命家として蘇ったラーマとして描かれているのが素晴らしい。
 しかも、実は弓矢って万能なのである。
 弓矢は遠距離攻撃と同時に、矢を手で握ってぶっ刺すという近距離武器にもなるのである。
 しかも、射た矢を回収することさえできれば無限ループで撃ちまくれるのである。
 って、超人級の上腕二頭筋と広背筋で鍛え上げられ、コナンの赤井秀一ばりの600ヤードはありそうな丘から木の板のど真ん中を撃ち抜く技術を持つラーマだからこそ成せる技ではあるのだが。

 そして前半の二人の出会いのきっかけ再びな如く、ビームはバイクを、ラーマは馬を奪い取り、2人のランデブーならぬ、バイクと馬の並走でスコット総督のいる館にそのまま怒涛の勢いで乗り込んで行くというスーパー展開!
 いや皆それ待ってました!ですわ。
 二人ならやれる!二人なら乗り越えられる‼
 プリキュアもびっくりの超攻撃力で、大砲の攻撃もものともせず、突っ込んでくるんだから、スコット総督側からしたら恐怖でしかない。
 さらにやってくれるぜ我らがラーマ! バイクを起爆剤にしてスコット総督めがけて投げつけたかと思いきや、本当の目的はスコット総督の足の下、館内の火薬保管場所に正確に投擲!
 それにより館内、大爆発の阿鼻叫喚!!
 囚われのマリィを救出した後なので、館のぶっ壊しに躊躇いが全くない。
 崩れ落ちる館の瓦礫に巻き込まれ、サディスティックな総督の妻も有刺鉄線ぐるぐる巻きの刑に処され、観客全員の溜飲が下がる。トゲトゲ鞭で血しぶきを求めた彼女に相応しい最後である。まさに因果応報。
 その阿鼻叫喚の混乱の中で、大炎上の武器庫から大量の銃をパクってくるビーム。
 ちゃんとラーマの大儀を叶えようとする優しさに熱い涙が止まらない。

 そして最後の最後に最大の敵であるスコット総督と対峙するビームとラーマ。

 ここで最後の止めをするのが、ラーマではなくビームだというのが良い。
 ラーマの「装填!」という声で銃を撃つビーム。
 長年、ラーマの胸の奥に秘められたままだった呪いの弾丸が発射された瞬間でもある。
 ラーマが父から「装填!」の言葉と共に託された大儀は、今ここでラーマからビームにも託されたことで、呪いは祝福へと変わったのだ。

 なんと、なんと熱い展開であろうか…‼

 こうして艱難辛苦を乗り越えて、ビームは無事にマリィを村に戻すことができ、ラーマは大量の武器をシータたちのいる村に届けることができたのだった。
 大ハッピーエンド!ビームとラーマの目的達成に大喝采‼

 ハッピーエンド後のエンドロールのダンスダンスダンスがとっても楽しく至福のひと時に包まれる。

 こんなにも素晴らしい3時間をありがとうの大感謝‼

 ちなみに、史実ではラーマとビームは1920年の英国の圧制に反逆の狼煙を上げるも、志半ばで処刑されてしまったらしい。
 とはいえこの映画「RRR」は、史実をベースにした超訳ファンタジーなのである。
 超訳のうえのファンタジーだからハッピーエンドで良いのである。
 圧制に苦しんだインドの人々が願った、ラーマとビームに生きていて欲しかったという願いが叶ったもう一つの世界、ifの世界のファンタジーなのだから良いのである。

 そうして、いつの時代もどの国も、侵略者や征服者の圧制で苦しむのは民衆たちなのは変わらない。
 圧制の苦しみから解放され、ささやかながらもつつましい生活を享受し己のアイデンティティーを誰にも否定されずに生きられる幸福こそが真の自由なのである。

 だからこそ、映画「RRR」は世界中で愛される。

 そこに、真の自由を求める人々がいる限り。


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