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前に進み続けるだけがすべてじゃない
最近、これまで続けてきたことのペースを緩める(止める)ことが多くなってきた。
note疲れを感じたり、文章がうまく書けなくなったりしている、このnoteにしてもそうだし、筋トレにしてもそう。
疲れが溜まっているからだろうか。続けるためのエネルギーが枯渇しているのかもしれない。
スランプに陥っている時は、思い切って別のことをやってみるのがいいということは私自身のこれまでの経験からわかっていることだった。
何度かこういった瞬間が訪れたことはあったけど、いま改めてその時が訪れたようだ。
今年の初めぐらいから続けてきた筋トレもnoteもいったんペースを緩めることにした。筋トレに関しては1~2週間ぐらい週1のペースに落としているし、noteもつぶやき更新が増えた。
「現状維持は衰退」と、前に聞いたことのある言葉が心のなかで響くような、「他の人は絶えず継続しているのに」という後ろめたさのような、そんな気持ちがないわけではない。でも、いずれは立ち止まる時が訪れるもの。他の人も、絶えず継続しているようで、何らかの事情で距離を置いている時期もあるものだ。私にとって、それが今というだけのことなのだろう。
その代わり、前々からやりたいと思っていたことに少し時間を割くことにした。
読書。ゲーム。昼寝。
読書は読む本にもよるけど、これらは正直に言って、なにも生み出さない行為かもしれない。
効率。
時間の有効活用。
インプットとアウトプット。
成果。数字。
成長。成長。成長。
こういった言葉が多用されるようになって久しい。
自分は果たして前に進めているのか。昨日の自分より成長できているのか。気になってしまうことは当然ある。毎日、「今のままでいいのか」と思うし、もっと現状を良くしていきたいという気持ちは絶えない。
でも、余白がなければ疲れてしまう。
現状を良くしようともがくのにも、昨日より前に進もうともがくのにも疲れてしまった今は呼吸を整える時なのかもしれない。実際、疲れをずっと引きずったままだ。
だから私は、生み出す側の対極にある、"生み出さない"側にいったん身を置くことにした。
電車やバスに乗る時間に読書をする。
休みの日の午後に昼寝をする。
帰ってきたらつかの間のリラックスのためにゲームをする。
こうやって肩の力を抜く時間があるからこそ、心の余力が生まれるのだ。目に見える形でなにも生み出さなかったとしても、目に見えないなにかは生まれている。あるいは、失われた力の幾ばくかは取り戻せる。いまはあえて立ち止まって、腰を掛けて休憩をする。
場所を変えるからこそ見えるようになることもある。
別のことをやってみるからこそ取り戻せる感覚がある。
また「そろそろやりたいな」と思えるぐらい、心のメーターを回復させるために。
日々を切り抜けるのに心力を注いでいるからこそ疲れるのだろう。
それなら、たまの休みの日ぐらい休んでもいいじゃないかと、言い聞かせることにした。本来、休みは休むためにあるのだから。
時間を気にしなくていい休日の昼寝に勝る贅沢もなかなかない。
そんなことを感じられる余裕すら、最近の私は失くしていたようだ。
山登りも一朝一夕にはいかない。
無理をせず、自分に合ったペースで行けばいいし、息が整ったらまた出発すればいいのだ。周りは周り。私は私なのだ。
目に見える"成果"をなにも生み出さなかったとしても。
巡り巡ってその成果を生み出せるようになるためと信じて、いまはあえて立ち止まる勇気を持ってみようと思う。
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