♦︎“既読”は“見てるよ”の証拠にしよう♦︎
悔いない日が誕生日のわたしの憧れの人
から貰った壮大なプレゼント。
七、八年前に出会った方から貰ったそれはいくつもあって、ここだけでは収まり切らないほどあるエピソードの一つ。
わたしがまだまだ人に思いを伝えるのが苦手で、今持ってるモヤモヤの正体が自分でも分からない時があった。
そのことを言葉で表現できる今なら「こうだからわたしは不安だった」「だから、助けてほしかった」と言葉でなくともちゃんと言える。
今は、もうわたしの生活の中にオンラインやnote、インスタ、Twitter etc.
思いを表現できる術があるからね。
でもその頃は、何か伝えたくても「言葉」しかなくて…その言葉を形にすることが難しかったの。
それ、わたしの力ではどうしようもないでしょってことばかり頭を膨らませて、よく相談をしていた人がいました。
今は、その人とほぼ毎日顔を合わせ、元気を貰ってるけど… あのころはそれに気づけてなかったな。
貰ってばっかりして何も返せずにごめんなさい、いろいろなことに気づけてなくてごめんなさいの気持ちも込め、ここに残します。
その人は、いつも目が回るほど忙しいはずなのに「一番不安な時に一人にさせない」と
会いにきてくださった。
わたしがほかの人に相談していたら抱え込まなくてもよかったこと。
今起こっているわけじゃなくても、たまに思い出すとしんどいこと。
そんなのが度重なって、SOS出すことがしんどくなった。
もう、何も考えたくない。
しんどい。
どうにもならない。なるはずがない。
わたしのことを誰も知らない、どこかへ行きたい。
真っ黒な考えを持ってたわたしに、その人が言ってくださった言葉。
わたしは、その言葉に応えることできなかったけど…
“あなたの味方になってくれる人に、
このことを伝えてもいい?
必ずあなたの味方が、安心が増えると思うから”
いまなら即答で「はい!」と言えてしまう状況でも、そのときは、嫌だった。
それでいい。その時その時で自分にとっての答えを出していけばいいことが、あのときはとんでもなく難しかった。
でも、どうしてだろう。
今はあの頃とまるで逆、昔のわたしの鏡を見ているようだ。
まるでそこを通ってきたわたしが、
近い未来こうなることを知って敢えて逆境を乗り越えてきたかのような、そんな感覚。
今もなお、エールをくださる方から貰った「あの言葉」が、おそらくわたしの心を動かすことになったのだろう。
それは…
“既読は、「見てるよ」の証拠にしよう。
あなたが肩の力を抜いて、顔晴れますように。”
わたしは、このやりとりを見返すたび、
「あぁ、なんてことしたんだろ?」なんて思う。
なんでもっと自分の言葉でちゃんと、早くに
安心できる圏内にいる人達だけにでも伝えなかったんだろう、って。
よく、メッセージに気がついたのにスルーするという意味で使われる「既読スルー」なんて言葉があるけど…
わたしはあの言葉、ちょっと違和感を覚えてしまう。
本当は気が付いていて返信をしたいのに、返すべき言葉が見当たらないのかもしれないし、本当は感謝を伝えたいけど照れ臭くてできないのかもしれない。
その結果、そっけなく返す一言のメッセージになってしまったり、スタンプだけのシンプルなやりとりになってしまうことだって、あり得るよね。
その側面だけを見て、「なんか違う、この人と合わない」ってなるのはもったいない。
いつだって「既読」は「見ているよ」の証だと思うと、返事をする方も待つ方もワクワクして来ませんか?
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