雀は、大空を舞う鳥にはなれないかもしれなくても…
雀は、鷹や燕のように大空を気持ちよく飛ぶような鳥ではなく可愛らしくちょこちょとちょこちょと一日何回も餌を探し、移動する。
その姿を見てるのが可愛いというか…見ていて飽きなくてキュン、とするときがある。
バードウォッチングが趣味、とかじゃないし
したことも全くないけどいろいろな種類がいて、いいんじゃないなんて思えるのはそのときだけ?
人間でいうと、「自分は自分でほかの人の秀でたとこ、わたしもほしい」
「わたしはあそこは得意だけど、あんなふうになりたい。でもなれないわたしはダメ🙅♀️」みたいに考えちゃってる人が多いように思うんだ。
わたしも今まではそのひとりだったけど、頭の中を前のわたしと今のわたしの二画面にして比べてみると結構違う。
まだ相手とそんなに目は合わせられなくても声が出るようになったり
誰とでも打ち解けられるわけじゃないけど、自分から声をかけに行く回数が増えたり
と
口頭で言えないことはメモで補助して貰って、その補助(メモ)を見ながらだとゆっくりではあっても話すことに慣れてきたことも含め、いろいろなことが前よりも格段に変化している。
人から見える景色が例えどんなに小さなことでも自分にとっては大きくて…。
自分にできることがまだ土の中に眠ってるだけで大分あるんだなぁってこと自体嬉しいし、
それを発掘してくれる人にも感謝だし、最近いいことある気がする(*´-`)
本当の声は、誰かに向かって発そうとすると恥ずかしかったり怖かったり、画面にポチポチ文字を打つのとはまた違う感覚が生まれる。
またほら、いつものお約束。
出口に向かおうとするもうひとりのわたしを邪魔するかのように、やたらと饒舌になるおしゃべりなわたしが登場。🚪
声が出ないなら、出づらいなら何かしらわたしの心を知って貰うために「書く」
「書く」ことで「見える」から、また次の課題が探しやすくなると今はちょっとだけ素直な心でnoteに文字を走らせてる✒️
今まではなかったから、ここでは余計に安心して心を覗いて貰えてるのかもしれない。
言葉は気持ちを素直に表せるときもあるけど
自分よりも相手、と何とか取り繕おうとするときもあるじゃない?
ここではそういう心配も相手に対する変な気遣いも要らない、と頭と心がわかってる。💭
文字からわたしの熱量が伝わって、誰かの気持ちに寄り添うことができてるなら、すごく嬉しいし、文章を書く練習をしているわたしも「これでよかったんだ」って安心できるな。
わたしが伝えたかったのは、自分のことは悪いとこばかりに目がいって、相手のことは欠点などまるでないように見えてしまうあの現象が、少しでも楽になれたらいいな、ってこと。
わたしは、今のあなたで 自分に対してムカついてるとこ=相手にとっても直してほしいとこ で
自分に厳しいのは勝手だけど 相手に対してもまた、「〇〇すべき」「普通こうだよね」と価値観の押しつけをしてしまってたことがありました。
そのときは自分のことでいっぱいで、相手に配慮するなんてまだまだでした。
だから、あんなふうに自分にもほかの人にもつい厳しくなってたんだな、と最近になってようやくわかってきたの。
でも、それってみんなが嬉しいことなんかな? ってどこかでわたしの声を聞いた。
「嬉しくなんて…」と奥の奥底で小さくうずくまる声が聞こえた。
わたしは、自分が生きたいわたしでいるように、あなたにはあなたの生きたい生き方や生きやすい世界があるんだね、とそのときようやくわかった。
もう、ブレない。
わたしはわたしで、ほかの人はほかの人。
線引きをする。
今から振り返ると簡単なことだったのかもしれないけど、当時のわたしにとってはとても難しいことだったの。
雀が大きく空を舞う燕や鷹を見ても、「いいなぁ」「格好いいなぁ」って憧れはちょっとあるだろう。でも、「願ったからって燕や鷹にはなれんよ」とわかっているように、わたし達もそれでいいんだと思う。
人それぞれの生き方や、宗教、国籍、ほかにもいろいろある人と自分との違いを「ちゃうで」と反対するばかりではなく、認め合える、わかり合える環境があればわたし達も「自分らしさ」という出汁が出せる。
わたしも実際、noteを使って記事を何度も書いてきてるけど、まだまだ文法的な間違いはある。
それでも飽きずにいつも温かく「今日も書いてくれたの? ありがとう」と
無言のメッセージをくださるあなたに感謝です。
今まで言えなかった言葉を、あなたに届けるね。
「こちらこそ、いつもありがとうございます」と。
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