過去の私がそう言って
今の私も頷いた。
未来の私はどう思う?
選ぶことはその責任を背負うこと。
それを望んでいなかったとしても、選んだら背負うことになるというのが、私の感覚にある。
背負うって言うと重たいって勝手に感じる人達から、すごい拒絶とかがあるけど、私は背負う荷物の重さの事は一つも言ってないのにね。
でも、軽かろうが重かろうが、なんにもありませんでしたとはならないんだと思ってるよ。
私は私が選んだ事で、怒りもして、泣きもして、苦しみもしたし、もう終わりにしようとおもって軽く実行した事もあるけれど、それをその場で一生懸命選んだ私の事責めたりはしないよ。
生きることも
死ぬことも
苦しかったから
沢山のものを諦めたし
今だって
よくわからないよ。
それでも
私は私の事、忘れたり、無いものにしたり、そんな風に蔑ろにしたらいけないんだと思うよ。
たった一人の自分だから。
ずっと一緒の自分だから。
他人と歩くのが苦手な私の最適解が、自分と手を繋ぐことだった。
そしてそれをやりはじめて、それでも他人を求めたりして、ズタボロになって、少し落ち着いた頃に書いていたやつだから、そういう、少し踏ん張って覚悟しておいてるとことか、私らしさが戻ってるとことか、読んでて『あぁ、今の私には書けないけど、私だなぁ。大切な事言ってるんだよね。』と思う。
この時期に書いたもの。好きなんだよね。
自分の文書が好きってナルシストだって?
まぁ、そう思うなら思っておいてよ。
ちまちまnoteにも載せるのは、電子の海は揺れてゆらゆら流れるものだから。
過去の私を今の私が流してさ、未来の私は何を思うのかな。
画面の前のあなたの世界に何か揺れたりするのかな。
そんなこと、わからないけど、それって大切な事だって思ってるんだよ。
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