学校挟んで向こうの道、狭い路地裏、蒟蒻屋さん
蒟蒻屋の話、どっかで書いたっけ?
と調べてみるも
どうやら、こんにゃく指輪の事しか書いてない。
なら、今日は蒟蒻にまつわる思い出話でも。
なぜ、急に蒟蒻話って?
それは日々のキリトリ。ささやかで、愛らしい日常。
渡邊さんのこのつぶやきから、掘り起こされた。
いわば、これはコンニャク芋。
渡邊さんはコンニャク芋を作り出したのだ!(違う)
そして、(勝手に)受け取ったコンニャク芋を私がせっせと蒟蒻にしていこうというわけである。
因みに、これを読んだ貴方は蒟蒻のもとの、コンニャク芋の採取にかかる年数を知っているだろうか?
そもそも、蒟蒻がコンニャクというサトイモ科の植物の芋の部分だと知っていただろうか?
蒟蒻はコンニャク芋からできている。
製粉する技術が江戸あたりに作られ、色の薄い蒟蒻が生まれたが、蒟蒻らしくないと不評だったため、ヒジキや海藻類で色付けするようになったそうな。
やはり蒟蒻はあの落ち着いた色が良い。
蒟蒻売り場で「コンニャク芋使用」と「コンニャク粉使用」表記があるのはこの為である。
コンニャク芋使用のものは、昔ながらの製法で作られている。アク強めかも。
コンニャク粉使用のものはアク抜き不要だったりして便利だね。
蒟蒻屋さんがわかりやすく纏めているページをお借りしてきた。
コンニャク芋は採取に2、3年かかる。
手間なお芋なのだ。
そして、毒があるため生食は出来ない。
これまた手間なお芋なのだ。(ずんだもんなのだ)(ここだけ脳内でずんだもん再生してください)
蒟蒻の主成分はグルコマンナン。
ダイエットをしたことがある人は、このグルコマンナンとタッグを組んだ事あるんじゃなかろうか?
水溶性食物繊維であるグルコマンナンは「お腹の砂払い」にうってつけ。
約95%が水分である蒟蒻は低カロリーである。
食べ過ぎは注意。食物繊維、案外こわいと私は思ってる。
と、ここまで何故か熱く蒟蒻を語ってしまった。
何故だ………私と蒟蒻にどんな関係が………。
ハッ!
95%が水分…
なるほど、くらげ。くらげも95%が水分なわけで、電子くらげの私がシンパシーを感じるのも頷ける。だからかっ、だから蒟蒻を語ってしまうのかっ!!(違う)
さて、これが前置きだ。
ちょっと、長かったね。
本題は、題名にある通り『蒟蒻屋さん』の思い出話。
私が小さい頃、実家の周囲には、昔ながらのお米屋さん、八百屋さん、酒屋さん、材木屋さん、文房具屋さん、クリーニングやさんがあった。そして我が実家は自転車屋さん。
少し先には商店街があって、まだまだ現役のお店が多かった。
さて、そんなお店チームの中に『蒟蒻屋さん』はあった。珍しいと思う。ちなみに、蒟蒻の生産量一位を誇る群馬県からは離れている。
先程、家の周囲といった面々はそれこそ数十mのご近所さん。
たいして、蒟蒻屋さんは少しだけ離れていた。
学校を挟んで向こう側。
古い住宅の立ち並ぶ北側のひんやりした道を行くと、突然お店があらわれる。
近所の子供達は公民館にもなっている公園に行くのに、わざと裏道を使ったりするが、そこにお店があると知らなければ、見つけることは難しい。
一見何屋かわからないのだ。
看板はあの頃から褪せていたと思う。
私達の世代はほぼ知らないだろう。
祖父母の代が教えてくれて知るような店だ。
私がなぜ、小さな頃に蒟蒻屋さんを認識していたかといえば『祖母のおつかい』に蒟蒻屋さんが定期的にあったからだ。
お店チームはそれぞれ、仲良くしていたのでお店チームの孫である私は、可愛がってもらったものだ。
お使いの内容を忘れても、察してもらえる。
持たされたお金が足りなくても、付けてもらえる。
子供だけでお使いに行かせるのに、ご近所のお店はうってつけ。
さて、私は裏道をちょっと怖いと思いながら進む。溝の臭いが少しする。
高いブロック塀の壁が迫る道は、得意ではなかった。ブロック塀の向こう側は駐車場だったり、家だったり。そういえば、この路地にも材木屋さんがあった。こっちの材木屋さんのお兄ちゃんはドえらいイケメンであったなぁ。
途中、鳩を飼うお家があるので其処の鳩を少し眺めるのがお決まりだ。でも薄暗い鳩小屋は少し怖くあった。
溝の臭いとは又違った、独特の悪臭がして来たら目当ての蒟蒻屋さんである。
蒟蒻の灰汁の臭いは、魚の生臭い臭いとおなじ物質だそうな。
大量の水と共に、流れ出る灰汁の臭いで周囲は満たされていた。仕込み時間は特に。
小さい頃は、なんで臭いかわかっていなかった。大人になって蒟蒻を調理して『なんか懐かしい』と思って、そうか…灰汁の臭いだったのかとなった。
あの、悪臭含めて昔の蒟蒻屋さんなのだろう。
よく鼻をつまんでは祖母にやめなさいと叱られていたな。でも、婆ちゃん…あれは臭いよ…やっぱりさ。
蒟蒻屋のおばちゃんはコロンとして愛らしい人で、私が行くと「おばあちゃんのお使い?今日は何?」と聞いてくれる。
薄暗い作業場は少し怖いが、見知った人がいれば大丈夫。たまにいるおじちゃんは、覚えていない。
「くず餅くださいっ!!」
蒟蒻屋なのに、くず餅…。
そう、蒟蒻屋さんではくず餅も作っていた。
それが美味しかったのだ。
蒟蒻も買うことはあるが、くず餅率のほうが高い。
プルンプルンで四角くて綺麗なくず餅。
薄いツルンとした紙に包まれている。
それを三角に切って、きな粉と黒蜜をたっぷりかけていただく。
口いっぱいに頬張ると、とても口触りがいい。
また食べたいな。
そう、子供の頃思っていた。
いまも、思う。
また、食べたいな。
これが私の蒟蒻屋さんの思い出だ。
蒟蒻屋さんが近くにあるなんて、貴重だったなぁ。
小学校の友達は大半が知らないか、食べ慣れないものが我が家にはチラホラあった。
祖父母と住んでいたからから、お店チームだからか、我が家には核家族化したご家庭には珍しい、ちょっと古いものが沢山やってきていたのだった。
お団子屋さんのお団子とおにぎり、サンドイッチ屋さんのサンドイッチとスパゲッティパン。川魚を売りに来るおばさんから買った小魚を煮た雑っ子煮。
肉屋さんで肉を買って、八百屋さんで野菜を買って。でも、近所のコープやヨーカドーでもお買い物をする。
すごく入り混じった生活をしていたなぁと思う。
この話を書くにあたり、Googleマップでお店の位置を調べたら、まだ名前は出てきたが、写真を見たら明るい更地になっていてビックリした。それから、裏道は私の記憶よりも明るく短かった。
そういえばこんなだったな…と思ったが、
小さな私からすれば家から離れたひっそりと静まった裏道は、さぞや暗くうつっていたことだろう。
地元は私の知らない新しい家々の建つ場所になっていく。なんだか足元から震えるような怖さがあった。もう食べられない味も沢山ある。
私は、人との繋がりの質感を覚えておく力は弱いのだけれど物との繋がりの質感は強く覚えていて、それが失われていくことは、大切な人が亡くなるのと似ているのではないだろうかと、なんとなく思う。
大きな商業施設は便利だし、マニュアルのあるチェーン店は安心だけれど
そこに行かなければ手に入らない物達は、やはり愛おしさが違う。
『景色』なのだろう。食べ物だろうが、サービスの提供だろうが、そこにあるのはかけがえのない『景色』である。
蒟蒻ひとつで、これだけ出てくる。
私は人間の解像度が低いので、人間に関しては他の人が語ったほうが濃ゆいと思うが、人間がハッキリしていなくても、それ以外のモノたちがこうして景色を補ってくれる。
ありがとう。
小さい頃は蒟蒻食べるの苦手だった。
今のアク抜き不要蒟蒻とちがって
凄く臭かったもんね。硬かったし。
でも、あれは凄い蒟蒻だったんだ。
あぁ、くず餅。
また食べたかったなぁ。
他のお店のを食べても
あのひんやりペッタリには
出会わないもんなぁ。
小さな人達の食べるという事は
大きな人達が思うよりずっと
景色が広がっていくものだから
どうか
その食が鮮やかな一枚になって
心に留められますように。