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キム・フン著 蓮池薫訳 『ハルビン』
キム・フン著、蓮池薫翻訳の『ハルビン』が、図書館からやっと届いた。
1909年10月26日、ハルビンの駅で安重根が元朝鮮統監の伊藤博文を射殺。安重根と伊藤博文が、それぞれこの日にいたるまでが交互に描かれる。
作者の視線は、安重根にも伊藤博文にも偏っておらず、ほとんど感情的な描写もなく、淡々と二人を追っていく。
安重根が逮捕されたあと、検察官はあくまで政治的イデオロギーと切り離した自供を引きだそうする。しかし、安重根は祖国のために、伊藤が何をしたかを知らしめるために暗殺した、という言葉以外は語ろうとしない。
その言葉には一切ブレも迷いも、後悔もない。
安重根のそのまっすぐな怒りは、なぜ、どこから生まれたのか。それは日本人読者への大きな宿題だ。
それにしても、残された妻子はさぞ苦労をしただろうという思いは拭えない。
ハルビンに行く前も、放浪していた安重根。
帰ってきて数年経つとどこかへ旅立ってしまう。
妻が妊娠しても、子どもが生まれても。
安重根は、ハルビンで伊藤を暗殺する直前妻子をハルビンに呼んでいる。朝鮮にいるのはあまりに危険だからと、知人に頼み連れてきてもらうのだ。
しかし、家族も友人もいない言葉も違うハルビンで、残された妻子はどうやって生きていけというのか。
安重根は命を捨てる覚悟があったとしても、残された家族には想像を絶する苦労が強いられただろう。
作者のあとがきによると、妻の記録はほとんど残っていなかったという。
フォトジャーナリストの安田奈津紀さんが、韓国人だった父親の出生を辿ろうとしたとき、祖父の情報はたくさん集めることができたが、祖母は全くといっていいほど記録がなかったのだそうだ。女性が歴史から消されてきたということを感じた、と話していたことがあり、この本を読んでそれを思い出した。
安重根がなぜ伊藤博文を暗殺するに至ったかを考えることも大切なことだが、歴史に名前が残されたなかった人々のことを想像する力も、私たちには必要だと思う。