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日本被団協 ノーベル平和賞

かなり時期を外してしまったが、ノーベル文学賞にハン・ガンが選ばれた衝撃と感動が覚めやらぬ翌日、今度は被団協にノーベル平和賞が贈られるというニュースが飛び込んできた。

SNSで知ったときは、鳥肌が立った。と同時に、戦後79年経ってやっとか…という思いが先に立った。平均年齢は85歳を超えた被爆者たちは、差別と病に苦しみながらも、世界中で核兵器廃絶を訴え続けてきた。

2009年にオバマ元大統領が核兵器廃絶を目指す、というスピーチをしたことに対し、ノーベル平和賞が贈られた。
であれば、もっと早く被団協が受賞してもよかったのではという思いが、喜びよりも先に立ってしまった。

だが、様々な報道で感激のあまり号泣する箕牧智之さんの姿や、ただただ喜ぶ田中煕巳さんの姿に、この受賞の重さを痛感すると同時に、なぜ今、被団協に贈られたのかというノーベル委員会の見解をみると、その意味に深く納得した。

朝日新聞10月12日付の夕刊一面に、若き39歳のノーベル委員会新委員長、フリドネス氏のインタビューが掲載されている。

「核のタブー」、核兵器の使用を二度と認めてはならいという国際的な規範は、被爆者が戦後80年近く、証言に証言を重ね、その意義を固め、訴え、日本国内外でコツコツと築き上げてきたものだ、とフリドネス氏。そこには被爆者への敬意がにじむ、と記事にはある。

そして、「目の前に大きな困難があっても、一人ひとりの力によってよりよい方向へと形作ることができる、広島と長崎への原爆投下後、過去80年近く戦争で核兵器が使われなかったことも、被爆者一人ひとりの尽力があったからだ」と。
ノーベル委員会の創設者、アルフレッド・ノーベルの核心は「個々人」が変化をもたらすことができる、というものだという。それを踏まえ、フリドネスしは、「被爆者たちは間違いなく、過去にも現在にも変化をもたらしてきた、そして今もそれを続けているのです」と応えている。
最大限の、敬意と評価が込められた言葉であり、その言葉を被爆者の方たちがどんな思いで受け取ったのかと思うと、胸が震える。

ロシアのウクライナへの攻撃、イスラエルのパレスチナ人虐殺が続く中、核兵器の使用への不安はつきまとう。その情勢の中、被爆者が続けてきた核兵器廃絶のための運動が、ノーベル平和賞という形で評価され、世界にその存在を改めて示したことは、大きなメッセージとなった。
それを、時間をかけて理解したのだった。

もう20年ほど前、原爆症認定訴訟の運動に少し携わっていた。
被爆者は、命がけで闘っていた。
たくさんの病を抱えながらも、明るく元気に。
でも本当は怒っていたのだと思う。
被爆者の実相にも声にも耳を傾けようとしない国に。世界に。
希望は、その声を受け継ごうとともに活動する若い世代が少なからずいることだ。
記者会見で涙する箕牧智之さんの隣には、高校生の姿があった。
被爆者の声を伝えるために、活動している学生さんたち。
そうでなければ、被爆者の声は届かなくなってしまう。
私たちが受け継いでいかなければならないのだ。
私は、子どもが生まれたことを機にほとんど活動に参加しなくなってしまい、あっという間に十数年が過ぎていた。
被爆者は、その間も絶えず訴え続けてきた。

ノーベル平和賞に終わらず、これが核兵器廃絶への大きな一歩になるよう、私も生活の場からできることを考えなければ。

ある被爆者が、私に希望を託してくれた。
私のうたに。
生活に流されて、私はいつもそれを忘れてしまう。
だからこの記事を残したかった。
出会ってきた被爆者が私にくれた希望を、忘れないように。

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