ハン・ガン『そっと 静かに』
今年のノーベル賞受賞により、再注目となった韓国人作家、ハン・ガンの著書で、日本語翻訳初のエッセイ集『そっと 静かに』
今年のいつ買ったのか、どこで買ったのか忘れてしまうくらいの時間、本棚に積読されたままになっていた。コロナにかかってしまい、本を読むにも、字が多くて理論的なものは全く頭に入ってこないので、ちょうどいいと思って、この本を開いた。
原著には、著者が作り歌った歌が収録されたCDが付いているらしい。
日本語版には、ハン・ガンのホームページに飛べるQRコードが印刷されており、そこで「十二月の物語」と「さよならと言ったとしても」が聞ける。
操作がよくわからず、「十二月の物語」しか聞けなかったのだけど、その歌声は、ハン・ガンそのもので、透明感にあふれ、遠くまで漂う霧のように美しい。
四章に別れた本作は、第二章で、著者が子供の頃に聞いていたうた、ある風景を思い出すうた、誰かが歌っていたうた、バスで流れていたうたなどが、それらから思い起こされる風景や、アーティストへの作者の想いとともに綴られている。
私が心を大きく揺さぶられたのは「Let it be」のエピソードだ。
指の痛みによりパソコンが打てなくなり、手で書こうとすると手首が痛み、書くことを諦めようとしていた時期があったという。そんな「岩のよう重たくてハードな」時に、「刻み込まれた」という「Let it be」.
二重窓を閉めて、爆音でこの歌をかけ、息子と踊りながら、心を委ねたというハン・ガンの、虚無感や絶望感、孤独だった時の風景を想像しながらこの曲を聴くと、涙が止まらなくなってしまった。
シンプルなメロディ、まっすぐな詞。
あるがままにという言葉以外に、自分を救う言葉はなかったという著者。
数十年ぶりに意識的に「Let it Be」を聞いて、そんな彼女の思いを重ねると、この歌の普遍性に改めて感動するのだった。
子どもの頃、父がビートルズをよく聞いていた。
家でも、車でも。
私は子どもの頃からうたが好きだった。歌うのも、聴くのも、音楽番組を見るのも大好きだった。いつからか歌は評価の基準になってしまって、ポップスが好きだった自分を否定したし、自分が好きなものは大したものじゃない(アーティストのみなさんにものすごく失礼。)とか、そんなふうにしか音楽やうたを聴けなくなって、音楽を聴くのが楽しくなくなってしまった。
ハンガンのうたに寄せる思い、感性の真っすぐさに私は思った。この二十数年で何層も自分の中に重ねてしまった幕を、いい加減取っ払おうと。
うたは、もっと人間的で生活の中にあって、人生のあらゆる場面で共にあるもので、そのうたに心が揺れたり震えたりしたのながら、ずっとそれを抱きしめていればいい。
他人がそれを好きか嫌いかとか、どうでもいいわけで。
別のエピソードの中に、「私は一度好きなったものは擦り切れるか失くすまで使うし、気にいいたCDは100回はきくし、一度でも感動をくれた作家や詩人はその後どんな変化を見せても、最後まで理解するし、見捨てない」という一文がある。私は反省と同時に、それでいいんだよな、と励まされる思いがした。自分の中に生まれたものを愛し、信頼し、育めばいい。
ハン・ガンの、うたを感じ、風景や想いと共に大切にしてきた人生にふれ、なぜか私は自分が慰められた気がした。
最後の章、「追伸」で著者は、アメリカで出会ったパレスチナ人作家に思いを馳せている。
彼は無事だろうか、無事ではないかもしれないと。
ハン・ガンは「ロシア、ウクライナやイスラエル、パレスチナで戦争が激化し、毎日遺体が運びこまれていくのに何を祝うのか」とノーベル文学賞受賞後の会見を固辞した。その時彼女は、そのパレスチナ人作家マフムドのことを思っていたのだろうか。
著者の書くことへの情熱、純粋さ、まっすぐさ、透明感のある感性の一端に触れることのできる一冊。私にとって、とても大切な一冊となった。