連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第十話
第十話:『憎めきれない』
海岸を少し歩くと、大きく開けたなだらかな斜面が見えた。その麓に向けて歩いてゆくと、昨日七瀬と海を眺めていた灯台を囲む白壁が見えた。この角度から改めて自分が辿った道筋を眺める。アタシは笑うしかなかった。灯台の向かって海側は険しく絶壁と言えるような道なのに対して、その脇には子供が鼻歌を歌いながらスキップして下れるほどの平和な丘になっていたのだ。アタシは何を好んで斜面に迷い込んだのかと、考えれば考えるほどに腹の底から笑いが込み上げてくるばかりだった。傷を負い、歩くのもやっとだというのに。今の自分がまるでピエロに思えてきた。視野を広げた瞬間に種明かしがみえるという滑稽さ。ふと、アタシは七瀬、陽介そしてルイを思った。一人一人に目を向けて、どう気持ちを処理して良いのか分からなくなっていた。が、もしかするとアタシが思っているほど三人を理解することは難しくないのかもしれない。アタシはゆっくりと、でも確実に灯台を目指し足を出した。
灯台に着く手前で作業着姿の人達がほつりぽつりと目に飛び込んできた。アタシはジャケットのフードを被り、出来るだけ人目に付かぬよう壁の影を歩いた。海水で汚れは落としたといえど、鏡を覗いたわけではない。今の自分は痛々しく映るに違いない。下を向きながら車を止めた場所まで歩いた。昨夜と同じ場所に車が停まっているのを確認し、ほっとする。車に近づくにつれ、車の後部地面に丸くなった物体が見えてきた。人だった。両腕で足を抱え顔を埋めている。
「七瀬。。。」
アタシの声に七瀬は涙でぐしょぐしょになった顔を上げた。アタシを見るや否や、飛びつくようにアタシを強く抱きしめた。
「スズ!!!」
「ごめん、七瀬。。。」
七瀬は何も返すことなく、ただアタシを強く強く抱きしめた。
「見つかったのかい?」
作業着を着た年配の男性がアタシ達に話しかけると、七瀬はやっとアタシを離した。
「本当に、本当に有難うございます」
七瀬は何度も深くお辞儀を繰り返し、辺りを見回したアタシは全ての人がアタシ達に注目していることに気づく。
「おーい!見つかったってよ!」
男性が大声で叫ぶと、草木をかき分けていた手を止めた人達がこちらへと向かってくる。
「まっ、まさかみんなでアタシを探してたの?!」
目を丸くして七瀬を見上げると、七瀬は答えることもせずに真っ先にアタシの額に目をやった。
「スズ、怪我してる!」
「あー、転んだ。なんちゃないよ」
「なんちゃなくない!!!」
七瀬が初めて声を荒げた。
「ぱっくりいってるなお嬢ちゃん。そこに救護班がいるからちょっとまってな」
灯台にいた大半の人が七瀬が助けを求めるのを聞き、出向いてくれた地元の捜索隊の人達だった。アタシは病院に行くことを勧められたが、テープで傷口を止める応急処置をしてもらうに留めた。傷口を自ら確認しても、体中にある傷とさほど変わらないものである。
「不幸中の幸いっちゃー、お嬢ちゃんみたいなことをいうんだなー。でんもまぁ、崖から落ちてなくて本当に良かった。じゃなかったら、今頃仏になってたかもしれね」
「あっ!アタシもそれ崖下から見て思ったよおっちゃん!」
おどけながら笑うが、七瀬の顔は未だ真っ青だ。
「大丈夫だって、七瀬。暗くて道迷っちゃってさ。躓いて斜面を転げ落ちただけだって」
七瀬は両手で顔を覆うと、声を殺すように泣いた。
「本当に、有難うございました」
アタシ達は捜索に携わってくれた人たちに何度もお礼を重ね車に乗り込んだ。七瀬は病院に行こうと促したが、アタシは断固拒否した。病院に行くほどの怪我でもないこと、そして一刻でも早く陽介のことを起こしたいと気持ちがアタシを占めていたからだった。
「でも捜索隊出動って、ったく大袈裟だな」
エンジンもかけずに、ハンドルにうなだれる七瀬。本当に心配してくれていたのだと思う。自分が起こしてしまった事態なのもあって、どう励まして良いのかも分からなかった。謝るのが一番だと思えど、素直になれない自分は陽気に振舞うことで状況を好転させようとしていた。七瀬が大きく息をつきながら体を起こし、背もたれに寄りかかる。ズボンのポケットから取り出した紙をアタシに差し出した。
[これ以上邪魔すんな
p・s お前の番犬、崖めがけて走って行った。死んだかもな]
左から右へとインクが滲んだ殴り書き。左利きのこの筆跡はルイの字だ。
「心臓が止まったわ。。。」
未だ血の気がない七瀬の横顔に、流石のアタシからも笑顔が消えた。
「ごめん。昨日ルイと話しちゃったんだ。故意にじゃないっていうか、七瀬に話しかけていたら、ルイだったっていう。いや、ごめん。怖くなって車飛び出して走ったら、つまずいて転んで、転げ落ちてさ」
ルイの存在が怖かった。声も話し方も、笑い声も七瀬に瓜二つのその姿も。が、ルイの走り書きを見た瞬間、アタシの心が軽くなった。恐怖が拭えたわけではないが、ルイという存在に人間味を感じたのだ。それはまるでバットを空振りしたような感覚。何も言わずにいることも出来たはずなのに、わざわざ七瀬にアタシの行動を教えるだなど、拍子抜けだった。それはルイの優しさなのだろうか。それとも他に意図があるのかもしれない。アタシには分からない。が、ルイはそんなに悪い奴ではないのかもしれないという考えが少しだけ頭を過ぎっていた。
「ルイが、もう影はごめんだって、七瀬に言っとけって」
七瀬は大きくため息をついた。
「そう。。。」
「訳わからないけど」
「瑠偉は、陽介にも私にも、ずっともどかしさを感じていたんだと思うの。瑠偉なしでは私達ここまで来れなかったのは事実だし」
「ルイが、、、父親を殺したって。本当?」
七瀬は目を硬く瞑っている。アタシには七瀬が必死に涙をこらえているようにも見えた。
「本当よ」
それ以上七瀬に問いかけるのは酷だと悟った。ただ、どこかでルイの動機が七瀬たちを守ることに繋がっていると分かっていた。七瀬の言うルイのもどかしさも力を貸していたのかもしれない。何もしてくれない周りの大人たちへのもどかしさ。暴力をふるい続ける父親への怒り。そして暴力を受け続ける自分への開放。アタシが父親を殺していたのなら、その理由は一つではないと思うのだ。七瀬はきっと、自分がルイの行動に火を灯した理由の一つであると分かっているのだと思う。ただアタシは、あんなにも恐怖を感じていたルイを憎み切れないでいた。
「父親がいなくなってから瑠偉は陽介を消そうとしているの。多分私も。でも、陽介の人生は陽介が歩むべきだって。瑠偉の手が及ぶ前に、私どうしても陽介に起きてもらいたいの」
ルイから遠く逃げればいい。そう思ったアタシだったが、こうしてルイに見つけられたのだ。どこへ逃げてもルイは七瀬たちを探し出すことを、七瀬が一番良く分かっているようだった。
「陽介が母と最期に訪れた浜辺で、母と誓ったの。強くなるって。何があっても強く生きるって。だから私……」
陽介にその時の誓いを思い出させたいんだ。壊れた陽介の心を、修復したいと七瀬は思っている。強く生きろと。
「陽介の為に出来ることは、父親がいなくなった今の私にはそれくらいしかないのよ」
「じゃあ、時間無駄にできないじゃん。ほらっ!車出して七瀬!」
アタシに出来ることは、無邪気に笑って励ますことくらいだ七瀬。それ以外何もできない。ただ、何か出来ることが一つでもあれば人は歩き出すことが出来る。アタシはそう思う。そう思わなければ、今のアタシには何の価値もなくなってしまうから。
七瀬は小さく頷くと、エンジンをかけた。ラジオの周波数をとびとびに合わせる。と、ニュースでその手を止めた。
[緒方産業社長、緒方成人さん失踪事件で警察は、緒方さんの遺体発見後、検証結果に基づき殺人事件に切り替え捜査を始めました。その後の捜査で、白骨化したもう一つの遺体が発見されたということですが、白骨化した遺体は死後かなりの年月が経っているということで、性別や年齢を含め、身元確認が未だ進められている状況です。緒方さん殺害について有力な情報は未だないということですが、警察は何らかの情報を知っているとして、殺害された緒方さんの息子の行方を追っています。]
七瀬がプツリとラジオを切って口を開いた。
「父よ」
そう呟いた七瀬の表情は何一つ変わらなかった。
「私たちには時間がないの。早く見つけなきゃ」
アタシはこの時初めて気づいた。今この時、自分が殺人犯と共に移動しているのだと。