『共同エッセイ』#シロクマ文芸部(1500文字)
秋と本気でやり合いたいと思った。
だから私達はエッセイを書くことにする。
読書の秋
スポーツの秋
芸術の秋
食欲の秋
○○の秋は永遠と続くが、私達はどうしても腑に落ちないのだ。
そもそも、何故に秋はこんなにも贔屓されるのだろうか?
【読書の秋】は、中国の唐時代の詩人「韓愈」という人物が記した漢詩が伝来した際の「秋になり長雨があがって空も晴れ、涼しさが丘陵にも及んでいる。 ようやく夜の灯に親しみ、書物を広げられる。」 という一説を、作家大先生の夏目漱石が発表した小説「三四郎」で引用したことがきっかけと言われているだけだ。それならば、夜がもっと長い冬の方が読書には最適なはずだ。ストーブの脇の椅子にどっぷりと身を埋め、ココアを啜りながら、膝の上で丸くなる猫に本をそっと乗せ、読書に没頭する時間ほど心地よいものはない。【読書の冬】ほどピタリと当てはまる言葉はないのではないか。
【スポーツの秋】は、熱中症になるリスクも夏よりも低く、身体が冷え込む冬よりもスポーツがしやすい気候であるためのようだ。といっても、歴代行われてきた運動会や体育祭も、最近では春に行われるのだから、【スポーツの春】に訂正してもらわないと納得がいかない。秋に行われていた運動会で腕をこすり合わせ、身震いをしながらダンスをしていた子供達のことをなんだと思っているのか。。。正直この言葉を作った人に聞いてみたいものである。
【芸術の秋】など、「新潮」という雑誌がきっかけだったのだそうだ。もう一度言う。「たかが雑誌」だ。 1918年に発行された「新潮」雑誌の中にあった「美術の秋」という言葉から「芸術の秋」という言葉になったと言われているのだから、たまったものじゃない。 秋には二科展や日展、院展など日本を代表する展覧会が現代でも秋に開催されていることは認めざるを得ない。しかしだ。今年の夏には「Immersive Museum TOKYO vol. 3 印象派と浮世絵 ~ゴッホと北斎、モネと広重」が開催された。8月に東京で開催された「浮世絵お化け屋敷」秋にやっても盛り上がらない展覧会だって数々あった。日本を代表するもののみならず、「モネ&フレンズ・アライブ」等の五感を楽しめる没入型展覧会も冷房の効いた室内で真夏に楽しんだ人が大勢いるのだ。なら今年の夏は正しく【芸術の夏】であったはずである。
極めつけは【食欲の秋】だ。私達が最も納得がゆかない秋である。味覚を刺激する食材が多くある秋だと馬鹿げたことを根拠にしているのだ。多くの山菜は春が旬だ。フキノトウに限っては冬あってこその食材であるし、ゼンマイは夏にかけて収穫する。トマトやキュウリは秋に旨いと感じるのか?大根や白菜はどうだろうか?「さわら」「鯛」「カツオ」の旬は春。「アジ」「真鯛」「鮎」は夏。「ぶり」「ボラ」「アンコウ」の旬は冬。何故に「秋刀魚」だけにスポットライトが当たるのか、これは魚差別でデモが起こりかねない事項である。果物を上げたらきりがないのでやめておくことにするが、何故腹立たしいか察することが出来るであろう。日照時間が減ると日に当たる時間が短くなり、セロトニンの分泌量が減る傾向にあるからだという説がある。 その結果、食欲が増す可能性があるらしい。が、あくまで「可能性」である。可能性だけで「食欲の秋」にハンコを押されてはたまったもんじゃない。
こんな馬鹿げたことを根拠に、秋の「読書感想文」を書けと言う課題にさらさら嫌気がさすのである。私達は、間違っているであろうか。
秋贔屓をやめろと大声で叫びたい衝動を抑え、このエッセイをもって抵抗とする。
共同作成者: 春・夏・冬
おわり
春 夏 冬による エッセイです(笑)
かなり手抜きですが。。。ふふふ。
ずっと物書きをおさぼりしていた上に、こちら夜中の一時なので許してください:)