【INUI教授プロジェクト】① はじめに・第一章Introduction『小春』
●被験者【小春】の概要●
【小春】~Introduction
とにかく…何処か遠くへ行きたかった。
今いる世界から切り離された何処かへ…。
私がこのプロジェクトへ参加した理由は単純だった。
別に人類学に興味があったわけでもない、研究をしたかったわけでもない、
ただ現状から抜け出す場所を探していた。つまらない授業の後、廊下で私の耳に響いたのが乾教授が参加者勧誘をしているこのプロジェクトだったというだけ。
それでも私はこの話に飛びついた。
切り離せるかもしれない…今の自分を。
『INUIプロジェクト』
社会から閉ざされた場所で、物資も何もなく全てをゼロから作り上げて行く自給自足の生活。食料から住居…全てを自らの手で生み出してゆく自然人類学の研究の一部だ。
広大な土地を自ら塀を作り閉ざしてゆく。私たった一人の参加で始まったプロジェクトだったが、私はこの両手で外の世界からこの場所をぽっかりと切り抜き遂げた。
全てを囲み終わった瞬間に押し寄せた安堵感…
【アイツらのいない世界】
酒に溺れ、男に溺れ、私をこの世に産み落とした母親。
金を奪い、暴力を振るい、私を犯し続けて笑い転げる母の男。
そんな男を見ながら”男”を学んだ兄もまた、どす黒い沼に私を引きずり込んでいた。
どんなに這い上がろうと藻搔いても、奴らはほつれたセーターの端を見つけては私の元へとやってくる。そんな私に助け船などやっては来る事はなく、ただ天井を眺めながら野獣らが果てるのを待ち、床を見つめながら滴る血の滴の数を数え、こっそりと参考書に金を挟む。
自殺?考えた時もあった。けれど、奴らが生きて私が死ぬなど理不尽と言える自分がまだ残っていた。そんな自分を見つけた時に、奴らのせいで死ぬもんかとカッターナイフを投げ捨てた。それは強さとは違って、憎悪。私は憎悪で生き延びていたと言った方が正解なのだと思う。
一年目。
私一人での生活は色々な面で辛さはあったが、アパートの階段を登ってくるふらついた足音も、戸を叩き割る様な罵声もない。静けさの中で虫たちが奏でる音楽を、こんなにも楽しめたのは…人生でこれが初めてかも知れないと思ったほどに、私の心は緩んでいた。唯一私が気がかりだったこと。。。それは切り離された社会に残してきたたった一人の大事な人。隠し持ってでも手元に置いておきたかった携帯電話…それは異母兄弟である妹に繋がる為だった。
妹は男と母の間に出来た子供で、私が暴力を振るわれる度にハンカチを握ってひっそりと隠れて声をかけてくれた人物。私は妹の身にだけは被害が及ばない様に頑張ってきたつもりだった。。。けれど、私が姿を消した今…もしかすると妹に…。
誰もいないこの場所で私の不安を掻き立てるものは妹の存在以外のなんでもなかった。
二年目に入る頃、新しい参加者が加わった。
夏樹と文秋。この二人とは面識があった。外壁の補強をする時に、流石に一人ではと手伝ってくれた学生達の中にいた二人。。。何故この二人を覚えているのか。文秋…これといって目立つ様な男子ではなかったが、外壁のとある一本の柱に妙にこだわっていた事が私の中で印象に残っていたからである。そんな風に真剣に作業をする文秋に、突っ込みをいれる夏樹。二人のギクシャクぶりを見ていて思わずくすっと笑みが零れていた。そんな二人が仲間入りしたことで、私の生活に音が出てきた。それは今までずっと震えて聴いていた音とも、ここ一年眠り歌にしてきた虫の音とも全く違い、音楽にも似た心地よさがあった。夏樹は人懐っこい性格で、話していても違和感がなく会話のキャッチボールがぽんぽんと出来る男子。体格も良いため、今まで一人きりでしていた力仕事がかなり楽になっていた。文秋は口数は少なかったが、存在が柔らかく、文秋がそこに居るだけで場が和むような角の無い人物だった。植物学に長けていて、文秋が来てから食事のレパートリーが増えたのは言うまでもない。そんな二人とは性別が違えど、仲間というくくりの中で共に支え合える関係を築くことが出来た。
そして半年が過ぎたころ…四人目となる参加者が加わる。
ここからだった。
少しづつ「守られている空間」が、「閉じ込められた空間」と化して行ったのは…。
「初めまして。冬音です。今日から仲間入りさせて頂くので、よろしくです。」
ニコリと笑ったその顔の後ろに黒い渦が巻いていたのが見えたのは、私だけだったのかもしれない。。。
*********
企画内容はこちらからどうぞ。しめじさんの企画再建ページとなっております。