”大切だから”こそ、敢えてその道を避けようとしていた。
先日、ある漫画を読んでいて「あの頃」の自分の気持ちをリアルに思い出して涙が出そうになった。漫画の登場人物のセリフが、「あの頃」の自分に向けられた言葉のようにリアルに感じたからだった。
読んだ漫画は、「ソラニン」。
映画化もされている有名な作品だけど、漫画で読んだのは初めてだった。
漫画の中のセリフのこんな言葉があって、私は反射的に「あの頃」の自分の気持ちにぐわんと戻った気がした。
私にとっては、この「音楽」の部分が「声の仕事」に置き換えられた。
就職試験で放送局を全国行脚をしても新卒ではどこにも受からなかったけど、どうしても、どうしても声の仕事をすることを諦めきれなかった。「あと一社、あと一社」と願うように受け続けてご縁があった放送局に入ったのが23歳の時。そこから何度か転職したけれど、ずっと声で伝える仕事をしてきた。毎日が刺激的で楽しくて、そしてそれに比例して、出来ない自分への不甲斐なさも募っていったことも多かった。
放送局を退社し、結婚・出産・育児をしていく中で「ステージが変わったんだ」と感じた。慣れない育児がスタートし、日々心も身体もいっぱいだった。そして、「もう自分は声の仕事には戻れないんだろうな…」と勝手に自分で見切りをつけようとしていた。
そして、育児をしながらできる仕事を探し始めたけれど、「声の仕事」以外の道ばかりを模索していた。これまで自分が頑張ってきたことに対して線を引いて、私は徹底的に声の仕事の道を避けていた。それは、生活スタイルとして「声の仕事には戻れない」と感じたこともあるけれど、それまでがむしゃらに向き合ってきた分、「中途半端には戻ってはいけない世界」と思っていたことが大きかったし、自分には声の世界で、伝える世界で、やっていける才能がないとも思っていた。
そう思うようになったのは、実際に直接的な言葉で「才能がない」と言われたこともあるし、自分のマインドも関係していた。良く言えば向上心があるのだけれど、完璧を求めすぎて自分の中のハードル設定が高く、育児をしながらその高いハードルを自分に課すのは難しいことだと思った。白か、黒かで判断しがちだったのだなと今になって思う。
でも、他の道を模索しながらも、「やっぱり、声で伝える仕事がしたい」という自分の本心はどんどん大きくなっていった。本当の気持ちに蓋をしながら自分を納得させるように違う道を選んでいった時、私は自分の気持ちに押しつぶされそうになった。
そして気づいたことが、「これまでも、今も大切に思っていることだから避けようとしてしまうんだ」ということだった。
覚悟を決めて一つ一つ自分の気持ちの奥の方に入っていくと…
「向いていない」とか「批判されることが怖い」とか、そんな気持ちの奥の奥をのぞいたら、声で伝えること、表現することをものすごく大事そうに抱えている自分が静かに佇んでいた。
そんな自分に出会った時、私は何だかほっとした。自分で自分を見つけてあげられた、という何とも言えないあたたかな感覚が胸に染みわたったのだ。
そして私はえいやっと動き出した。もちろん、前みたいに土日も夜も外での仕事は難しい。でも、今の私にできることから、少しずつ、と自宅録音中心のナレーターとして活動を始めた。
あれから2年半。
私なりのスピードではあるのだけど
今、私はあの頃には想像できなかった日々を生きている。相変わらず不器用な私はつまづくことも多いけど、「声で伝える仕事をしたい」という自分の気持ちだけは離さなくなった。
「大切だからこそ、避けてしまう」
そんな感覚に気づいたことが、未来をつくる一歩になったのだと思う。
「やりたいけど、無理だと思ってしまう」「気になるけど、進めない」そんな時は、心の奥の奥にいる自分をまた見つけに行ってあげようと思う。
【渡辺奈菜ボイスサンプル】
*自分を見つめて声で受けとるお手紙朗読サービス 「voice seed」を運営しています*