頑張る理由
「頑張る」
幾度となくこの言葉を吐き出してきたはずなのに、何度回数を重ねても、いつも手こずって、
今日も不器用に、言葉だけがふわふわと宙に舞う。
誰かのために頑張ることも、
自分のために頑張ることも、
それなりに経験してきた。
同じ頑張るでもふたつは少し履き心地が違う。
誰かのために頑張ることは、
選んだ道の正解も、費やした時間の意味も、
答えを相手に委ねてしまうから、
難しい。
自分のために頑張ることは、
続ける理由も、手放す言い訳も、
全て自分の中にあるから、
難しい。
いつにも増して、ペダルの力がなかった日。
何だか妙に、人の笑顔にざわついてしまった日。
頑張り方がわからなくなってしまった日。
母が私に言ってくれた。
「頑張ってるの、知ってるよ。ちゃんと見てるから。」
ああ、そうか、私はちゃんと頑張れてたんだ。
靴紐が解けていることにも、気がつかないくらいに、ちゃんと走れてたんだ。
上手に頑張るって、なんだろう。
頑張ることはいつだって、何だって、
難しくて大変で苦しい。
当たり前なんかじゃ、ない。
それでも私達が頑張ってしまうのは、
今日より明日は、良い日になりますようにと大切なあの人の幸せを願ってしまうからで。
今日より明日は、ほんの少しかっこいい自分でありたいと思ってしまうからで。
こうやって世界はきっと、みんなの頑張りで成り立っている。
さっきすれ違ったあの人も、どこかの誰かのヒーローで。
休憩中のあの人も、未来の自分の盾になっていて。
私はそんな、頑張っている人の笑顔を守れる人になりたい。
履き潰した靴を整えて、また歩き出せるように。
そうなれたなら、
今度は私がもっと強く、なれる気がする。
不器用なままでも。
今日も1日お疲れ様。