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歴史小説「Two of Us」第2章 J‐8
~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第2章 明智珠子の御輿入れ~本能寺の変
J-8
朝げの時間は、明智家ではとても静粛だった。
あなた珠子は一汁三菜五穀米のお膳立てを、向かい合わせで夫婦ふた組が食す事にかなり慣れて来てはいたが、細川家では、並んで座する舅の藤孝と姑の麝香(じゃこう/公卿の沼田家出自)が実によく語らう。
焼き魚は丹後・若狭よりもむしろ、上方・堺からの水揚げなので種類が豊富であり、山菜料理も竹の子や与一郎忠興の好きな蓮根や堀川牛蒡、そして鶏肉もキジ料理などの煮込みものが朝から並べられているのだ。
配膳を担当する侍従達が、一段低い板の縁側に、四名控えている。侍女の清原イト(後の洗礼名マリア)や側近の小笠原少斉は、藤孝の家臣と共に別室で膳を囲んでいた。
今朝もさっそく忠興が、鷹狩の戦利品である山キジを打ちとめた瞬間の事を語り始め、団欒と食事の分け目のないこの細川親子にも、珠子は段々と親しみを覚えて来た。
そして藤孝も忠興も、ほとんど酒を口にしない。
甘党の上に茶の湯を好むので、酒類を家庭に持ち込まないのだ。珠子の実父十兵衛光秀は、けっこう酔っ払わなければ、口数は少ない。
あなた珠子は、この義母麝香のおしゃべりがけっこう好きなのだ。忙しく東奔西走に帯同していて、食事の折しか会話を紡げないのだが。
麝香は、先日から読破を目指している『栄花物語』の原文の冊子が中盤1冊、吉田兼見(よしだかねみ/藤孝の従兄弟)の自宅に置きっぱなしになっていて、やっと見つけた話を始めた。
そこへ魚の匂いを嗅ぎつけた飼い猫の茶トラが寄って来ると、今度は藤孝がサンマのハラ身を差し出しながら、三渕家(藤孝の実兄宅)に住んでいる三毛猫は、てっきり飼い猫だと思い込んでいたら、朝夕のごはん時だけやって来る〈地域の野良猫〉だった話を語り始めた。
さらにそれを受けて忠興が、名前が『藤式部』と付いていて、とてもお行儀が良いのでてっきり雌猫だと信じていたら、雄の三毛猫だったと判明した事を話す。
さらにさらに麝香がキジ肉の御焚物を食しながら、
「それは。三毛猫のオスは参萬に一匹しか生まれない珍事なのですよ❓」
と、知識を披露するのだった。
そのような会話を毎日、面白おかしく語りながら毎回食すこの家族。
好奇心の強い珠子は、毎日毎日確かめに行きたい未知のトリビアが増えて行くのだった。
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「珠子さま。そなたは『源氏物語』を読破されたとのこと。四拾伍帖から四拾八帖に登場する〈大君と中の君〉のあらましを、お覚えでおいででしょうか❓」
義母麝香が、黒豆とひじきの煮物を口に運びながら、尋ねた。
「覚えております。〈薫と匂宮〉が争って奪い合いをされましたのが〈大君〉(おおいきみ)で、最後に匂宮が娶る運びと成りましたのが〈中の君〉でございましたね❓」
「さようでございましたね。珠子さまは〈大君〉と〈中の君〉の姉妹、結局、どちらが幸せに一生を終えたとお思いでしょうか❓
素直なお言葉をちょうだいませね❓」
あなた珠子は一旦、箸と汁椀を角膳に置き、一度横に並んだ忠興の方を向いて、様子を一瞥した。忠興も箸を置いて応える。
「それがしに忖度は無しぞえ❓母上はそこもとを深く知りたいのだ」
「かしこまりました。
わたしは〈中の君〉より〈大君〉の方が、後悔の少ない人生を送られたと思いまする。結果、中の君は想い人と婚儀を行えて、大君は二人の間で悩み葛藤しつつも妹を嫁がせる事を優先し、最後は薫の腕の中で看取られたわけでございます。
薫は包み込むように見守り、意志が揺らぎ易いけれども大君を思い続けるヒト。匂宮は恋心ばかり募り、あの人この人求めた内の一人が大君だったのでしょう。〈光源氏と朱雀帝〉のように、近しい同士でもお人柄が正反対かと存じております。
妹の中の君のために自分が身を引いていた大君ですけれども、結局、薫も匂宮も心は妹より大君を慕っておられまする。匂宮の妻と成った中の君は、これから先も随分と匂宮の女人好きに苦労させられ、泣かされていくのではないかと、感じまする。
添い遂げる事は成らずとも、一途に愛し看取ってくれた男性の腕の中で亡くなる事が出来るのは、この戦乱のご時世では、武家の妻には実に稀な事。むしろ幸せな一生で終えるのでは、と思われまする」
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「なるほど。珠子どのはハッキリしておるなぁ。うちは麝香の他に側室も居らぬ。(明智)十兵衛殿も熙子さま一筋じゃった。
面白味ないかもしらぬと危惧したのじゃが、忠興も妻が一人居れば、あとは戦に出ずっぱり。それでも善いかの❓」
「いかにも、藤孝様。珠子はそれ故にご嫡男忠興様の室であるのが、宜しいのです」
「有り難いことやねぇ。。。ねえ、忠興や。
書物や文献、絵巻物には不足ない細川家ゆえ、忠興の留守中は、お好きな語学でも和歌にでも勤しんでおくれませ」
麝香の穏やかだが切に願うような口調に、珠子は
「かしこまりまして、ございます」
と、向かい合う藤孝夫妻に深く頭を下げた。
「関東管領の姫様方のように、自らが城主として戦わずとも好いぞえ。珠子はその代わり、それがしに知恵を貸しておくれ❓」
忠興が好物の蓮根を飲み込んでから、告げた。
「わたしも、お力添え出来ますよう励みまする」
珠子が、忠興の汁椀が空になっているのを横目で見届けてから、ゆっくりと応えた。
目線で気づいた侍女のオクが、急ぎお代わりの汁椀を取りに席を外した。麝香がにこやかに、それを確認していた。
朝餉を終えた珠子は、おもむろに言葉を続ける。
「、、、つきましては、実はお知らせがございます。
わたし珠子、さっそく懐妊してしまいましてござりまする」
「えっ⁉もう⁉さっそくなのですかぁ❓」
麝香は眼を丸くして、小鉢を落としかけた。
藤孝に片目で合図された忠興は、ただただニヤニヤするばかり。
「たくさん食して、好きな書物を読んで、武道は控えて外出も控えて、笑顔を向けて、良いお子をポコポコと、、、でござりまする」
「で、ござりまする!」
珠子に次いで合わせ忠興も、向かいの藤孝夫妻にしっかりと頭を下げていた。珍しく丹波の黒豆が煮物に入っていた意味を、改めて腑に落ちた藤孝。
「本日の夕餉は、御赤飯じゃのう。よろしゅうにのう」
「御意!」
板場に控えていた侍従の川北他、一斉にかしこまった。
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ーーー to be continued.