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【随想録】私とピエロと青い鳥


私の青春にはいつも青い鳥がいた。

私がTwitterを始めたのは2012年、中学一年生の夏のことだ。引っ越す前の家の畳に寝っ転がりながら、好きなマンガのキャラクターをもじった名前をつけた。

そしてこの夏から、私はどっぷりTwitterにハマることになる。

自分で言うのもなんだが、私は小学生の頃、かなり頭が良かった。学校は勿論、塾のテストでも常に上位で、勉強では身近な子に負けたことはなかった。運動も割と出来た私は、自分を特別な存在だと本気で信じていたし、自分を勇者の生まれ変わりだと思い込んで、なんかいろいろ爪とか髪の毛とか集めて儀式的なことをしていたのも覚えている。(今思えば「勇者」っていうより「黒魔術」とか「呪い」って感じがする)

だが、そんな私が中学に入ると、テストの順位は当たり前に下がった。周りも出来るんだから当たり前だ。
高校に上がると中間期末で一ケタの点数(順位ではなく点数)を取りまくることを考えると、そんなに落ち込むようなことではなかったが、自分は特別だと信じていた当時の私にとって「自分よりできる子が当たり前に存在する」というのは、あまりにショックなことで、自分の存在意義そのものに関わる問題であったのだ。

それまで「良い成績をとること」で作り上げてきた巨大な自尊心を木っ端みじんにされた私は「他者からの承認」によって自尊心を満たそうとする。

Twitterという舞台の上で踊り続けるピエロの誕生だ。

「ふぁぼ」と「RT」。私はとにかくこの二つを稼ぐことに命を燃やしていた。(今考えればそんなことをしている間に勉強するべきだった。)

厳格な家だったので夜ご飯の後の30分程度のテレビの時間、そして寝る前の10分間しか端末に触れる事ができなかった。それでもその10分でタイムラインを追い切り、日中の時間を全て費やして考えた懇親のネタツイを投下した。

残念ながら、当時のアカウントは全て消してしまった(その理由も後で書く)ので自分でも見ることは出来ないが、まあ主に「彼氏欲しいネタ」「日常で思ったこと」「日常であった出来事(ちょっと嘘混じり」「下ネタ」だったように記憶している。まだネットリテラシーとか知らなかった私は、個人情報を撒き散らしていただろう。消しておいてよかったと心から思う。

進学校でそんなことをツイートしているやつはなかなか居ない。知り合いのコミュニティの中でやっていたものが、友達の友達に広がり、全くの他人であるフォロワーも増えた。関西の友達も沢山出来た。

毎日アホなことを言っては「ふぁぼ」や「RT」がつく。ただ、面白い、と言って貰えることが嬉しくて、毎日毎日踊り狂っていた。
そんな愉快な自己承認欲発散ライフを送っていた私だったが、中学3年生の春、転機が訪れる。


「親バレ」だ。


「親バレしていることに気づいた」と言う方が正しい。

「あんた、ほどほどにしなさいよ。成績も下がってるし。全部見てるんだからね」

地獄だ。どうやらかなり初期の方からずっと、私の親は私のツイッターを監視していたらしい。私が「JCのじどり」というコメントをつけて名古屋コーチンの写真をアップしたり、日常のかなり盛ったエピソードをつぶやいていたりするのを、親は静かに監視していたのだ。喧嘩したあとの病みツイートとかも見られていたのだと思う。死にそうだった。それまではいくらでも楽しいツイートが思いついていたのに、「親が見ている」ということが頭をよぎると何も呟けない。

ここで私のアカウントは「鍵垢」になる。フォロワーも全部チェックして、素性がわからない人のことはブロックした。親だったら嫌すぎる。ツイートも全部消したい気持ちになったが、ファボが消えるのは嫌だったのでそれはやめた。

ここで「知らない人とつながる」ツイッターの使い方は私の中で一度終わる。

そこからは、鍵垢という閉じられたコミュニティの中で、いかにウケをとるか。ということだけを考えていた。万が一にでも親が混じっていたら嫌なので、誰なのか確認してからフォローリクエストを通すようになった。

閉ざされた世界とはいえ、承認欲求が続く限り、私がピエロであることは変わらない。
部活の先輩にフォローされて、「〇〇さんって面白いね」と言われることに快感を覚え、身を切るようなネタツイをしていたのを覚えている。変態であることを面白いと思っていたので、「腹筋フェチかつ脚フェチかつ尻フェチかつ鎖骨フェチ、なんなら女性のおっぱいも大好き」とかいうド変態を演じていた。触手系のエッチなビデオの面白さについて長文にわたって語り尽くしていたこともある。
自分の話す性に関する話が、未経験だからこそ語れる「高尚な」ものであるとして、上から目線でエロスについて語っていた。ウケる。
あとは、プレイしたこともなかったのに、「女子なのにエロゲーに造詣の深い私、おもろい」と思って、兄の机の中で発見したエロゲ―のテーマソングの歌詞を呟いたりしていた。ありとあらゆるサブカルについて、あっさい知識で語っていたのを覚えている。

今考えると笑いものになっていたんだろうなあ。

私のSNSの利用方法に変化が訪れるのは、鍵アカウントにしてから数年がたった頃だ。高校生になり、周りのクラスメイトたちが「合コン」とやらに参加しはじめるようになった。私も一端の思春期の女子である。
物好きな男子もいるもので、(「こんなヤベぇ女に話しかける俺、おもろい」精神だったのだろう)
男の子との会話が多かった私は、自分も当然参加資格を保有していると思い込み、友達に「私も合コン行きたい」と声をかけた。

「ええ、うーーん…〇〇ちゃん、そういうんじゃないでしょ?」

衝撃だった。私は「そういうんじゃない」らしかったのだ。たしかにそうだ。そんな変態拗らせ魔人みたいなやつが合コンに来るメリットは何もない。男の子といい雰囲気になったところで「ねえねえ、触手物のAV見たことある?」なんて話されたらもうオシマイだ。

「…え、あ、うぉん、…そうだよね!!キャラちがかったわ!!」

涙目になりながらそう返した。家に帰りひとしきり泣いた後、私は思った。

「このままじゃマズイ。」

彼氏を作りたいとかそういう欲もあるが、それだけではない。このまま人生をピエロのまま終えるのは嫌だった。私も他の女の子のようにキラキラ加工して顔を隠して自撮りとかあげたかった。その写真に「顔見せてよ笑」とかコメントが付くタイプの可愛い踊り子になりたかった。

しかし、ピエロが踊り子になることは許されない。ピエロが踊り子の恰好をするタイプの芸しかできない。自分で招いた結果とはいえ、悲しかった。どこで間違えたんだ。どこで…

一晩悩んだ末私は、アカウントを消した。思い出は勿論あるが、こんなものに執着していたら私のキラキラJKライフは消滅してしまう。ピエロだって化粧の下は女の子。私は可愛い踊り子になりたいのだ。


そして、新しいアカウントを作った。フォロワー数が減るのは嫌だったので、明らかに私が「私」であることを匂わせつつ、「心機一転」などとbioに書いてトプ画にはかわいい女優の写真を使った。友達に一度似てると言われたことがある女優だ。

Twitterはじめました!!←笑

そんな感じのしんどいツイートをしたのを覚えている。とにかく自分がみんなと同じようなツイートができるのが楽しみで仕方がなかった。下ネタなんてもう言わない。ゆめかわJKライフがはじまるんや!✨

合コンを断られてから私がアカウントを消したので、友人も気を遣ったのだろう。男子校の文化祭に一緒に行こうと誘われた。

スタバの写真をあげた。顔を隠した自撮りもあげた。やりたかったことは軒並みしたと思う。

…だが、満たされない。いくら綺麗な風景の写真、スタバ、体育祭の感想ツイートがふぁぼられても、満たされない。それはあくまで「JK」というブランド、「青春の記録」という事象へのふぁぼ。「内容」へのふぁぼではない。今まで芸を磨いてふぁぼ、というおひねりを勝ち取ってきたピエロにとって、芸をせずとも得られるふぁぼは、自己承認欲求を満たす類のものではなかったのだ。

そして結局、もとに戻る。果ての無い承認欲求に突き動かされ、ネタツイを考える日々がまた始まる。

しかし今度は完全にピエロになれたわけではない。踊り子を忘れられないピエロは、下ネタも控えめだ。あくまで「JKとしての私」のイメージを崩さないようなネタツイをしようとする。そうすると今度は普通に面白くない。自分で面白くないと思っているものを考えても楽しくない。幹部代になり、部活もどんどん忙しくなる。

気が付くと、私はツイッターよりもラインを多く使う人間になっていた。変な言動ももうしない。ピエロであったことすら忘れていた。

大学受験で一時期ツイッターに逃避したこともあったし、大学に入ってからしばらくはツイッターを使って友達を増やしたりもした。しかし、昔のような楽しみ方はできない。笑われなくても満たされるようになった私はもう、ピエロにはなれない。

そして大学一年生のある日、自分のツイートをみて私は思ってしまった。

「なにこれ恥ずかしい、黒歴史だ、消そう」

そしてすべてのアカウントは消えた。


自己承認欲求は、リアルを充実させることで忘れることができる。リアルが充実してしまえば、自己承認欲求に真摯に向き合うことは出来ないのだと思う。

大学四年生の今また、匿名のアカウントを立ち上げ、こうしておどけた長文を書いている。そんな自分は、またピエロになりかけているのだろう。

以上。

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