自分のケアは人のため
プロ根性、好きな言葉だった。
私は今の英語教室を開いて15年間、子どもたちの前に立っている時に一度も体調不良を感じたことがなかった。レッスン時間まで酷い頭痛や生理痛に悩まされていても、教室に入ったら不思議と痛みが去って笑顔になれた。
自分の子どもや家族のことで悩んでいても、教室に入れば別世界の住人になれた。それを自分ではプロ根性だと思っていた。
でもね、プロ根性って考えたら怖い言葉。こうして「酷い頭痛でも頑張れました!」っていう人が、頭痛が辛くて休もうとしている人にかける言葉はきっと「根性さえあれば出来る」になってしまうから。
私は幸いそんなことを人に言う機会もなかったけれど。でも病気は根性で治せるくらいには思っていた実感はある。危ない危ない。
教室15年目も半分が過ぎた頃、私の左耳が突然蓋をした様になった。めまいがするようになって病院に行くと、メニエール病だった。それでも今まで通りうまくやれる自信はあった。自分の体調不良なんて黙って笑顔でいられれば大丈夫。
でもある日のレッスンで、生徒が固まった瞬間があった。私もその時の実感はある。いわゆる大人が言いそうな口調で注意した時だ。「学校の先生みたい...」って絶句したその子に、慌てて「あら、そうやった?ごめんごめん。先生言い方間違ったね。」って謝った。
驚いたことは2つ。いつも私を試す様なことばかりするその子は、ちゃんと私の対応を敏感に感じながら安心して過ごしていたのだということ。そして、私は子どもたちとの関係を築くために、敢えていわゆる大人から子どもに向かう話し方を避けているのだけれど、それがまだ自分に芯まで定着していなかったのだということ。前者はとても嬉しいと同時に身が引き締まる思いだが、後者は正直ガッカリだった。
そして、日頃ほぼ自然に出来るレベルで自分が繊細に気をつけていることも、自分の体調不良で簡単にボロが出てしまうのだ、ということに気づいた。
未熟な自分。でもそんな未熟さを認めて子どもたちと同じ目線で、一緒に考える努力を続けていきたい。そう思うと自分の健康が愛おしくてたまらなくなってきた。
大好きで毎朝飲んでいたコーヒーをカフェインレスに変えた。薬をちゃんと飲んで、適度な運動も心がけよう。夜更かしせずにしっかり寝ますから。私を治してください、と祈る日々。
それと同時に今、忙しさや周りとの競争、情報過多で自分に自信を失っている大人たちが、どうか安心して自分のことを大切にして生きていけますように。そう祈る。
大人が健康な社会は、きっと子どもも健康だ。