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古き良き日本の姿
ある年に地域の役員になった。そこでは任意の重要な委員や会議はリタイヤした年配男性がしていたが、順番が回ってきて仕方なく役員になった人はなぜか年配女性が多く、回覧板を回したり掲示を貼ったりと雑務が多かった。その雑務多めの平役員の中から副委員長を決める時、驚いた。その場にいた十数名が我慢大会かと思う程下を向いて一言もしゃべらなくなったから。私は丁度仕事が忙しい時期で、副委員長を受けても迷惑をかけてしまう気がしたのでその様に伝えたが、年配女性の多くが「私は何もできないので」「私なんかが」と顔も上げず口々に消極的で自虐的な言葉を並べた。
埒が明かないので手を挙げて副委員長(委員長は男性と暗黙の了解で決まっていた)になり、その年の役員活動が始まった。
実際活動を始めてみて驚いたのは、その「私なんか...」と言っていた女性たちの力。事務処理能力も高く、判断力もコミュニケーション力も、意見を求めたらスパッと良い意見も出てくる。なぜ彼女たちが「私なんか」とうつむいてしまうのだろうか。その心に引っかかったトゲの様なものは、彼女たちに助けられる度に疼いた。
副委員長として出た会議の中で、私はその性別や年齢層の偏りを指摘した。小さな町の小さな自治体だが、住人の年齢層も性別も様々。その話を同じ立場で同じくらいの年齢の同じ性別の方が話し合うことに限界を感じたから。例えば、「若い人はもっと参加すべきだ」という方向で話が進むと「ではどうやって進めたら参加しやすいか」というよりも「我々の若い頃は」という話になる。そもそも働き方も労働環境も家庭環境も全く違うから、比べるべきではなく新しい方法を考え出すべきなのに、「自分にも出来たんだから」と言うばかりでは何も問題は解決しない。悪気がないのはわかるが、同じ色だけの会議ではますます住人との感覚の解離が生じるのは当然のことだった。
私が「もっと広い年齢層から選ぶべきで、女性もこの会議に入れるべき」と提案したからか、翌年私は中年代表女性代表の様な形でこの会議に正式に入れられた。そして数年携わってみて、会議や雑談の中から多くを学んだ。この地域の昔話を懐かしそうに話す年配男性たち。
「妻は井戸端会議で情報収集して、自分は仕事の後に地域活動。地域との繋がりが深い、良い時代だった」
つくづく自分がその時代を主婦として生きなくて良かったことに感謝した。井戸端会議なんて。
古き良き日本の姿。とても幸せそうに話す年配男性たちの言葉から、女性は家のことをして自分を支え、近所の女性たちと井戸端会議をしてこの辺りの情報を収集してきてくれる。というかつての女性に与えられた役割を想う。どんなに良い形で想像してみても、限られたコミュニケーションや違和感に弱い私にとっては地獄そのもの。
私がここで伝えたいのは、批判ではなく選択肢が欲しいということ。大体この手の議論が上がると「そんな人と結婚しなきゃいいじゃん」とか「嫌なら日本から出ていけ」などと議論をとんでもない方向に飛ばすのがこの国では見慣れた光景なのだが、私はそんなマウント取り取られに気を取られすぎて議論をすっ飛ばす様な人と対話をしたい訳ではなくて、ただ「公式に」選択肢が欲しいと思うのだ。
当時のことを私も覚えている。仕事を持つ女性への目は厳しかった。「家のことはどうするの、子どもは」や「家を建ててもほとんど家にいないじゃない」とか女性たちが噂するのを聞いていた子ども世代だからだ。
「女性は家を守るもの」を強く信じていたのは男性ばかりではなかった。
オリンピックを巡る森元会長の一連の発現や周りの反応を見て、時代は変わったと確信した。そして、今日本中にいる彼の様な考え方を持つ方々にもそれが少しでも理解されると良いと思う。きっと私の両親も同じ時代を生き、同じ様なマインドを持っているはず。誰かだけを叩いて正義、ではなくじわじわとこの新しい風を浸透させる様に、私自身も常に自問しながら毎日自分をアップデートしていきたいと思う。
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