見出し画像

自己満足へのチャレンジ

 私の教室、ハニー&ラミーイングリッシュクラブ夏の風物詩!『英語暗唱発表会』が終了した。5月に新年度が始まって、クラスに慣れる頃の6月に課題を決めた。高学年クラスは自分の原稿を作ってそれを暗唱して、最終的に夏休み前の発表会で大勢の人の前で発表する。この数ヶ月はそれぞれのチャレンジに伴走する、興味深く楽しい期間だった。

 最初は「え?これ全部覚えると?無理無理〜!」そんな言葉が聞かれる。だから「いーやー、まずは一行ね」って始めて、今週は二行目まで...って増やしていく。毎週少しずつおうちで覚えてきて、教室で発表。みんなから前向きコメントもらって帰って、また練習。

 最初からコツコツ覚えてくる人もいれば、ラストスパートが凄まじい人もいる。その過程も人それぞれで本当に面白い。

 今年は子どもたちの気分になってみよう、と私は1年前に始めたスペイン語の暗唱、もう一人のEmi先生はフランス語のスピーチを密かに練習。これは私にとっても本当に良い経験になった。

 ズルしたくなる自分の気持ちに気付いた。発表会の日が近づいてくると、焦る。手に書いちゃおうかな、録音しておくか、そんな自分の気持ち。久しぶりに緊張したので、そんな自分の感情に向き合って、なぜそう思うのかを考えてみた。そこにチラつくのは、人の顔。自分の体裁。
「うまくやりたいから」だ。「かっこよく仕上げたい」から。もっと言うと、人に褒められたい。それを突き詰めたら、間違ったら人に「カッコ悪い」って思われるかも。私、先生なのに変な発表になったら恥ずかしい。

 自分のそんな感情に向き合いながら、じっくり考えた。そこで思った。
チャレンジって「自己満足」の世界だと思うとしっくりくるなぁ、って。人に良く思われよう、って思うのは仕方ない感情だし、人に何かを言われることが気になるのも当然。でもそんな「人基準」で生きるのは嫌だ。出来ればそれに逆らいたい。「自分基準」で生きていたい。そこに立ち返る。

 「自分を満たしてあげよう」そう考えたら「ズルしたら、きっと後味悪い」だろう。自分が満足する様な発表になるには...って考えて動くと、方法も変わっていくと思う。誰かにさせられてる感や常に価値観も定まらない「誰か」のことだけを考えて動くのは、実はとっても難しい。
 たとえ途中までしか言えなくても、途中で止まっちゃっても...、それでも自分の力を出し切った。最後に笑顔で"Thank you!"って言えた、たくさん拍手もらって最高に気持ち良かった。それが一番かっこいいと思うんだよね。

 自分に向かって言う様に、そうみんなに話した「始めの挨拶」。

 始まってみたら、なんのなんの。緊張している素振りも見せずに、みんなダイナミックにかっこよく、英語の発音もとっても綺麗。
 ずっと練習を見ていたから、ついこの間の練習までどうしても止まってしまう子や、思い出せない言葉がある子がいたのを覚えてる。でも、当日はみんな神がかったかの様に堂々の自己最高を披露。一番緊張するはずのこの大舞台で、なぜここまで自己最高が出せるんだろう、って不思議に思う程。子どもたち自身は、まるで「自分は出来るって知ってたよ」と言わんばかり。チャレンジの意味を、強く感じた。

 そして私の番。久しぶりに手が震えた。でも気持ち良かった!
車の中で。寝る前に。隙間時間を使って何度も唱えた暗唱。うまく言えない、どうしても覚えられない、昨日の夜突然スランプ!全部忘れてしまった気がした。朝もう一度唱えてみた。後は運任せ!そう思いながらみんなの前に立った。出た!自己最高。
 このチャレンジ、受けて立とう!って飛び込んだ自分も偉かったし、そこで震えながら出し切った自分も素敵。自己大満足。

 みんな、帰りはスッキリした顔してたな。ステージ上ではあんなに堂々として見えたけど「足がずっと震えとった〜」って言ってた。よく挑んだよね。すごいよね。それぞれにとって、たった一人でステージに立つことは本当に大きなことだったと思う。
 どうしても「人の評価」を気にしてしまうのが私たちの性ではあるけど、その矢印を自分に向けること、それが出来たら私たちはもっと自分で自分を大きく育てていくことが出来ると思う。
 これは、そういうチャレンジだったんだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

なみお
読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜