従う人、考える人
情けないことだけれど、ニュースを見ても「大変だね」としか思えない、ピンとこないことをもう少し知りたいと思い動画を観た。でもこの動画を観た後、いろいろなことが繋がって行ったので記しておく。
私はしばらくの間いろいろな角度から英語教育や教育現場に携わっているので、そこから見えるものをシェアする機会が多い。その中で、私が気をつけているのは「ノウハウを教えるセミナーをしないこと」。なぜかと言うと、なぜ自分がそれをするのかを考えずにただ方法だけを真似るのを好ましく思わないから、だ。
他のことはわからない。方法を先に入れて理論が後からついてくる、とか想いはなくてもしているうちに想いも盛り上がってくるなんてことはあること。でも教育に関しては、方法だけに従うことは大変危険になり得る。
でも教育業界の方は「時間はないけど成果は出したい」という方が先生もおうちの方もやたら多くて、なぜそれが必要なのかを一緒に考えようとする前に「あ、答えを教えていただけたら、なんとかします」とか「じゃどうしたら良いですか」とか。で、即席で何か仕上げようとしたら、やはりうまくいかない。そんな方法だけで、ついていけない子どもたちや学習者はたくさんいる。学びの方法は一つじゃないから。それを理解した上で、目の前の学習者の性質や目の前の人のコンディションにも伝わるものを提示して、それこそ目の前の人に「考える」機会を与えるのが教育。それをたった一つの方法だけを当てはめて合わない人は落ちこぼれ扱い、なんて雑が過ぎるのだ。
そんなこんなで。私はゆっくり一緒に学ぶワークショップ形態を好む。こんな場合、あなたならどうしますか。それは会場にいる人の数だけ答えがあるはず。講師の一つの方法だけが正解ではないのだ。
でも多くの場合私たちは、インフルエンサー的な影響力の高い有名人や地位のある誰かさん、どこかから伝え聞いた大多数の意見を信じて焦って右往左往する。これは長い間続いてきた私たちの煽られる歴史。
この動画を観て思い出したのは、ある知人の「みんなが世界史を学ぶべき」という言葉だ。私たちの前に2,000年以上の歴史があるということは、私たちは2,000年以上前の世界を見ることができる程大きな巨人の肩に乗っているということ。そこを観たら、私たちが今何をすべきか、どう動くべきかが見えてくる。しかし。巨人の肩の上にいても尚、同じ目線の人たちの言葉だけを信じて動くのであれば、私たちは同じ過ちを繰り返すだろう。
先日観た映画「福田村事件」の例は悲しい事件として紹介されているが、同じことが日々起きている気がしてならない。低くなったり高くなったりして目線を変えずに、ただ自分が今生きているところから見えるものしか信じず、煽ってくる人にそのまま煽られて担がれて同じ過ちを繰り返す。
教育に携わる人が今自分はなぜこれをして、これを通して何を伝えているのか。そこを考えながら動かないと、同じ様に右からきたものを左へ、上から来たものを下に動かすだけの媒体になってしまう。煽られるままに煽られ、言われるままに従う人が同じ様に人を育てていくことは、今後大きな危険に繋がっていくと思う。
だから、地味でも小さくても私は大人が「考える」ことを訴えていくし、それが平和に繋がることを信じてる。
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