行列のできる天国
昨日、4月25日は父の命日だった。福知山線脱線事故と同じ日、ほぼ同じ時間に無関係な場所=家で無関係に心筋梗塞で亡くなった。前年、腹部大動脈瘤と心臓冠動脈のバイパス手術を受けていたのだがほぼ一年しか保たなかった。私はパンを買いに行って帰宅しテレビを点けたら福知山線が脱線しててその報道をまだ立って観てる時に電話が来て親戚の人で父が亡くなったと告げられた。ほんの10日前に気紛れに帰省して父に中古のデジカメをプレゼントしたりしたんだけど。母は各手続き等で奔走していて代わりに連絡してくれていたのだ。それでも兄弟の中で最初に連絡がついたのが私で、それからは私が兄弟に連絡をつけ仕事関係の人にしばらく仕事出来ないと告げ、ふーとひと息ついてから実家に向かったのだった。
そんなこんなでその日、天国への階段は(父が天国に行けたとしてw)大混雑だったろう。そこいらの人とすぐ話し込むクセがある父は列の人と話しまくったろう「おめさんも事故でかね? わってちごんて、心筋梗塞らったさ。そーらぁ、ひっで事故らったみとらね(=越後弁: あなたも事故で、ですか? 私は違うんです。心筋梗塞でした。そうですか、ひどい事故だったようですね)」とかね。
事故のようなことで亡くなると事故の原因を作った人や関係者、関係組織に恨みが向いたりする。突然でびっくりもし悲しく気持ちを持て余しやり場としてそこに向かうんだろう。心筋梗塞の死因じゃ恨める対象がないなーとか思った。対象があってもま、恨まないけど多分。
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きっと幸せになりますよ(私が