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(6)闇のような時間があったとしても

今回の投稿でいったん病関連の話は最後にしようと思います。

2か月くらい前に、難病を公表すると決めて書き始めたときは、嵐の中に突入するような感じで、乱気流に揺れながら(心の中の抵抗を感じながら)、突き進む感じでした。

時間が経った今は、心が穏やかになっています。

今だから違いを感じるのですが、病のことを口外しなかったときの僕は、自分の一部を受け入れていないような感覚があったように思います。

「難病なんて認めない、早く治して普通に戻すんだ。」ってもがいていたので、

“難病を認めない”というのが、難病になってる自分も認めていない、難病になっている人生も認めていない、受け入れていない、みたいな感じになっていたのかもしれません。

実際に病があるために、不自由で、苦痛で、不満足なこともたくさんあったので、そういう考え方になっていたのもしょうがなかったのかなとも感じています。

自分の一部を否定しながら生きるというのは、どこか心身に緊張を生んでいたのかもしれません。

その緊張が緩んだせいか、肩の力が抜けたような、自分により安堵感のようなものを感じています。

わからなかった答え

最後は、これまで明確にできていなかった答えを、自分なりに見つけることができたので、そのことを書き記し、締めくくりたいと思います。


以前にも触れましたが、僕はライフコーチという他者を支援する仕事を職業にしています。

その仕事に取り組む中で、僕の頭の中にいつも浮かぶあるキーワードがありました。

”愛しい人生”という言葉です。

人生の最後に、自分の人生のこと、自分自身のことを、愛おしく思えるようなそんな人生を送りたい。

”あ~、この自分で本当に良かった”って、しみじみと満足感を持って微笑みたい。

自分自身がそういう人生を送りたいし、コーチの仕事でご縁のある方にそういう人生を送って欲しい。

そんな思いがあります。

僕の人生の前半は、本心に従うことを何より大事にしてきました。

本心に従うことが、悔いのない人生につながるんだと信じてきました。

でも、これは逆に”本心に従わないと、悔いが残る人生”ということにもなりえます。(僕の心の解釈がそうなるという意味で)

本当にそうなのだろうか・・・

僕は、ここに明確な答えを持っていませんでした。

しかし、今回病の体験を振り返ったことで、僕なりの答えを見つけることができたのです。

若いころの僕の人生は、大きな挫折もなく、本心に従って、受験や、海外留学、就職、海外勤務と望みを叶えていきましたし、好きな人ができたらポーランド人でもアタックしました、笑。

たしかに本心に従って精一杯やれたことは、望みどおりにいかないことも多々あったけど、悔いはないと思えました。

でも、30代前半に病になってからは、それとは真逆な人生になってしまいます。

本心に従いたくても、従えなくなりました。

好きなものを食べたいけど、食べられない。 

遊びにいきたいけど、遊びにいけない。

好きな人ができたら、行動に移したいけどできない。

いっぱい悔しい思い、悲しい思いをしたけれど、そんな僕は、もう悔いのない人生を生きることができないのか? 

愛しい人生を送れないのか?

そんなことはないのだと、今はっきりと感じています。

本心に従えなった時間も愛しい人生の一部分だし、そんな辛い体験があったからこそ、人生はよりいっそう輝き、愛しく思えるようになるのだと。

もし仮に、人生前半の順調な状況が、この年までず~っと続いていたとしたら、、、

僕は人の痛みや悲しみに気づけない鈍感な人間のままだったと思います。

もっと自分本位な人間になってしまっていたと思います。

豊かさにもマヒしてしまい、その有難さに気づくことができず、人生に退屈すら感じているかもしれません。

とても人生が輝いているようには思えないのです。

闇のような暗い時間があったからこそ、光に気づくことができる。

こんなの嫌だ、受け入れたくない、そう感じていた時間こそが、人生も、自分自身のことも、よりいっそう愛しく思えるようになる必要不可欠な要素でした。

もちろん、そのような辛い体験はしないに越したことはないのかもしれません。

ただ僕には必要な体験でした。

事情は違っても、誰だって闇のように感じる時間を体験しているかもしれません。本心にやむを得ず従えないことがあったり、本心をわかっていても、そこにフタをしてしまうときもあるでしょう。

人生には、そういう時間があっていいのだと思います。

その体験から味わったり、感じ取ったりするものがあるはずだから。

これまでの僕は難病という病を、自分の望みを邪魔したり、不幸にするもののように感じていたし、自分の人生にあってはならないもの、受け入れたくないものでした。

今回思いきって公表し、向き合ってみたことで、気づけたのです。

病も、自分が強く望んでいた愛しい人生の大事な一部だったということに。

闇のような時間があっても、悔いのない人生を送ることができる。

そういう時間があるからこそ、愛しい人生にしていくことができる。

愛しい人生の完成は、ここからです。

終わり


P.S.
「人は何かしらの”課題”を自分で決めて、魂を成長させるために、この世界に生まれてきている。」

心理学や心のことを学んでいるうちに、そういう概念にも出会いましたが、今は、この考え方に一番しっくりきています。

自分だけが、悩みを抱えているように感じることがあるけれど、本当はみんな何かしら持っている。悩みの種類が違うだけ。

ある人は、経済的にはすごく豊かだけど、人間関係や健康のことで悩んでいるかもしれないし、

ある人は、健康にはすごく恵まれているけど、人間関係やお金のことで悩んでいるかもしれない。

僕の場合は、家庭や人間関係にはすごく恵まれてきたけど、一方でアトピーに潰瘍性大腸炎と、「健康問題」ではすごく悩んできました。

これらの悩み事が、”偶然”自分に振ってきたかのように感じていると、なんて不幸な人生なんだと天を呪いたくもなりますが、実は自分が”今世はこれに取り組むんだ!”と決めてきたことだったとしたら、、、

今抱えている悩みに対する感じ方や向き合い方も変わってくるのではないでしょうか。

あなたにも今、なにかで悩んでいることがあるかもしれません。

ここにも一人、独自の悩みを持っている人間(僕のこと)がいて、体験してきたことを知ることで、何かしらの参考になれば幸いです。

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