なぜ”そう”書き間違えるのか? 書字スリップについて
我々は文字を書く際に、しばしば書き間違いをする。
今回は、それについて気になったところを調べてみたので書いてみたい。
どうしても気になってせっかくいろいろと調べてしまったので、備忘も兼ねて残しておくことにする。
きっかけ
いつものようにカフェで本を読みながらメモを書いていたとき、
「主張」と書こうとして誤って「出張」と書いてしまった。
書き間違い自体はよくあることだし、この間違いも初めてではない。
が、ふと思ったのだ。「なぜ”こう”間違えたのだろう?」と。
ことの発端になった書き間違い
主張(しゅちょう)と出張(しゅっちょう)、確かに音はとても似ている。
しかし別に言い間違えたわけではなく、書き間違えたのだ。
しかも形は似ていなくもないが意味は全く似ていない。
音が似ていることが、なぜ書くという行為に影響を及ぼすのか?
脳の中でも音を知覚する場所と書くという運動を指示する場所は違うはずなのに?
考え始めると猛烈に気になったので、色々調べることにした。
ヒューマンエラーの分類
このような「意図しない書き間違い」のことを学術的になんと呼ぶのかを調べてみた。「書字スリップ」というらしい。
書字は良いとして、スリップとはどういうことか。それを知るには、
人間の起こす間違いについて少し掘り下げてみると良さそうだ。
そもそも、人間の起こす間違い、すなわちエラーはいくつかに分類できる。
認知科学者でありユーザビリティ(使いやすさ)研究の第一人者であるドン・ノーマンによると、下の図のようにエラーはスリップとミステークに分けることができる。さらにスリップは2つに、ミステークは3つに分類できる。
ヒューマンエラーの分類について
今回の「書き間違い」については、「主張」という漢字は正しく認識した上で、それを書きたかったところを「出張」と書いてしまったので、
「スリップ」に当てはまり、また書く行為自体は忘れずに実施していたので、図の一番上、「行為ベースのスリップ」に分類できるだろう。
だから「書字スリップ」と呼ばれるわけだ。
行為ベースのスリップはさらに
・乗っ取り型スリップ
・記述類似型スリップ
・モードエラースリップ
を始めとした複数のスリップに分類できるのだが、今回のケースを考えるにあたってこれ以上の分類はあまり意味がないので、ここまでにしておく。
書字スリップ
本題に戻ろう。
書字スリップを意図的に起こすための実験があるらしい。
東北大学の名誉教授である仁平義明先生が考案した、
急速反復書字法 Rapid Repeated Writing(RRW) というものである。
この実験は誰にでもできる。
紙と鉛筆を用意して、できるだけ早く「お」という文字を連続して書いてみるのだ。
実際にやってみた。
急速反復書字法
えらく字が汚いのはご容赦いただきたい。早く書かなければならないのだから仕方がないのだ(逆ギレ)
数文字目から早くも怪しい時が出始め、終いには「か」と書いてしまった。
大学生を対象にした実験の結果によると3分間で平均3.07回のスリップが発生するらしい。(仁平, 2013)
ひらがなを書くだけでそんなバカなと思われるかもしれないが、
簡単に実験できるので、是非紙と鉛筆を持って試してみてほしい。
なぜ書き間違いは起こるのか
では、こういう書き間違いはなぜ起こってしまうのか。
先の仁平先生によると
スリップが起こるのは、活性化された意図していない文字の運動記憶が抑制されず、トリガーされてしまうことによると考えられる(仁平,1990,1991)とのことである。
どういうことだろうか?
文字を書くということは、手を動かすので一種の運動である。
したがって自転車の乗り方や泳ぎ方のように、それぞれの文字の書き方を運動として記憶している。
ここでこう思う人もいるかも知れない。
「いや、じゃあなんで泳ぎ方は忘れないのに、漢字は忘れるんだよ」
それは、書き方を忘れているのではなく、文字の形を忘れているのだと考えられる。つまり漢字の形が思い出せないから書けないのだ。
文字を書くには、その文字の形を正しく認知して、それを鉛筆なりボールペンなりを使って形にする(運動)という2段階の過程を経る必要があり、その前半でつまずいているのだ。
(ここは私の考察なので、もし「違うわボケェ!」という事があれば、是非ご指摘いただきたい。ただボケェ!とは言わないでいただけるとありがたい。)
運動の話に戻すと、文字を書くとき我々はその運動(書き方)の記憶を呼び起こす。
ところがこのとき、類似する別の文字の運動記憶まで呼び起こされるらしい。
つまり、ある文字を書くために書き方を思い出すうち、よく似た運動を必要とする(つまり似た形をした)文字の運動記憶までも活性化された結果、何らかのきっかけで、似た別の文字の運動記憶にしたがって文字を書いてしまう。
それによって「お」と書くはずが、「か」と書いてしまうということになってしまう、ということだ。
熟語性スリップ
ここまでのことを踏まえて主張と出張のケースに戻ると、2つの言葉の発音が近しいことは問題ではなく、主と出の形が似ているから書き間違えているのでは?ということになる。
主と出。うーんまぁ似ているといえば似ているし、似ていないといえば似ていない。
ここでもう少し調べてみると、書字スリップには他にも種類があるらしい。
熟語性スリップというもので、「自分」と書くはずが「自由」と書いてしまったり、「実存」と書くはずが「実在」と書いてしまうもののことをいう。(仁平, 1990)(福井ら, 2007)
これじゃん。
実験の結果によると、実”存”⇔実”在”のように
・書き順が類似している
・意味が近い
・音韻の共有(どちらも「ざ行」からはじまる)
と、近い要素が多いほど、スリップの発生率は高いが、
自”分”⇔自”由”のように1文字目が共通しているだけでもスリップ自体は発生することが示されている。(仁平, 1990)(福井ら, 2007)
改めて主張と出張を見てみよう。
上記で挙げられていたスリップを誘発する要素のうち
・共通した文字を持つ
・音韻の共有(「しゅ」と「しゅっ」)
を持っていると言えよう。
したがって、字面が似ていなくとも、書字スリップを引き起こす要素はあると言えるのではなかろうか。
もっとも、何を持って字面を似ているとするかに明確な線引きはないと思われるので、実は字面にも引っ張られている可能性はある。
また、これまで自分がどんな書き間違いをしていただろうかと思ったときに、こんな間違いが目に止まった。
頑健⇔頑張の書字スリップ
この間違いの理由は明確だと思う。
頑という字を使った熟語は「頑張る」が「頑健」よりも圧倒的に馴染みがあるので、そちらの記憶に引っ張られたのだろう。
もしかしたら私の中では主張より出張のほうが圧倒的に馴染みがあるのかもしれない。確かに私は以前地方に赴任していたことがあり、その頃はかなり出張していたし、さほど自己主張が強いわけではない。
そのことも関係している可能性もないではないかもしれないが、急に理論がガバガバになるので、あまり強くは主張しないことにする。
(補足:なお、その言葉がどれだけ一般に馴染みがあるか?についてNTTの研究所が調査し数値化した「単語親密度」という指標がある。最大7⇔最低1で数値が大きいほど馴染みがある単語ということになり、それによると、
どちらも「ほぼ6」 (0.1程度「主張」のほうが高い)
となっており、一般的には2つの言葉の馴染みに大きな差はないことは注記しておく。)
要するに
ここまでのことをまとめると、
なぜ間違うのか?に関しては
意図した文字と似た文字の運動記憶が呼び起こされるから
であり、
なぜ"そう"間違うのか?に関しては、
たとえ意味が似ていなくとも、
・音が近かったり
・同じ字を含む熟語だったり、
(・かつそれが自分にとってよく使う言葉) であれば、
意味が異なっていても異なる運動記憶が呼び起こされるから、
ということになる。
では、スリップが起こりやすい状態になるとして、スリップが起きるトリガーは何なのか?については、残念ながら調べた限り明確なことはわからなかった。言葉の認知や馴染みなどは千差万別なので、画一的なことは言えないのかもしれない。
終わりに
というわけで、なぜ書き間違いが起きるのかについて色々と調べてみた。
この分野も非常に奥が深いんだなぁと言うのが素朴な感想だが、
あくまで1日で調べただけなので、もし間違い等があれば是非指摘していただけるとありがたい。
それにしても、改めて読み返すと
こいつ自分の書き間違え一つを正当化するのにどれだけ躍起になってんの?
と思われそうな気がしてきたので、
純粋に間違える理由を知りたかったのだと言うことを明記しておく。
そういう思いがあるなら、そもそもこんな記事など書かずに自分の胸の中にそっとしまっておけばいいのだから。
参考文献
今回の記事を書くにあたって参考にした文献を示しておく。
もし興味を持たれたら、是非読んでみてほしい。
最初のヒューマンエラーの分類で参考にしている。
認知科学者のドン・ノーマンによる、ユーザビリティに関する知識を得る上で一番はじめに読むべき名著。
今回は触れなかったが、スリップとミステイクに対応する「行為の7段階モデル」についてや、各エラーに対してデザイナーはどう対処すべきかなどについても詳しく述べられている。
急速反復書字によるスリップの発生メカニズム:ADHD傾向のアナログ研究
仁平義明 白鷗大学教育学部論集2013, 7(1), 127−141
急速反復書字(RRW)を開発した仁平先生の論文で、書字スリップのメカニズムについての部分で、論文内で引用する過去の先行研究も併せて参照させていただいた。
二文字からなる熟語や語彙における書字スリップの検討--急速反復書字法を用いて
福井義一・小川 嗣夫・行廣 隆次 人間文化研究 (19), 59-74, 2007-03
仁平先生の研究を引きつつ、特に熟語性スリップの部分で参考にさせていただいた。
以上、最後までお付き合いいただきありがとうございました。