
「生きづらさ」と「自分」と「感情の境界線」
いつも心のこと、をお話ししています。
なかでも生きづらさ、についてのことが中心です。
生きづらい状態とは、自分を嫌ってしまった状態です。
自分を嫌って徹底的に否定するあまりに、心の中の、確かな【自分】という意識、が育ちません。
生まれた時には、自分と他人の区別は無く、赤ん坊は母子一体の特別な季節を過し、
この一体感から得られる、安心感に抱かれ、愛を注がれる中で、少しづつ、確かな【自分】という意識が芽生え、育ちます。
生きづらさを抱えている人は、この乳児期から幼少早期に、躓いてしまっていること、がとても多いのです。
この時期の子供は徹底的に無力であり、躓きの責任は100%子供には一切ありません。
心のこと、の答えは全て自分の心の内にある、と考えますが、
唯一の例外が幼少早期、と言えます。
自分と他者との区別すら曖昧な、言わば未だ心に【自分】が形作られていない母子密着の時期の躓きの原因は、親の心にあるのです。
幼い子供の心に【自分】が形作られるのは、母子密着の季節の後であり、形作られるスピードは緩やかです。
幼い心に【自分】が育まれる為に必要な養分は、愛情であり、安心であり、安全です。
愛情を注がれ、肯定的に受け容れられることで、自分は尊重されるべき存在だ、という感覚が芽吹き、
安心出来る環境に身を委ねることで、自分を尊ぶ心が葉となり、
安全を感じる環境に抱かれて、価値有る自分という感覚が茎を伸ばします。
芽吹き、葉をつけ、茎が伸び、心の中に、確かな【自分】という意識、が、やがて蕾となって花開く未来を見つめるのです。
ところが、肯定的に受け容れられず、常に否定的に扱われ、
尊重されること無く、存在や感情すらも拒絶される環境に育つ子供もいます。
そこには抱かれるべき、安心も安全ありません。
あるのは、不安と危険です。
養分の無い土壌に、芽は育たず、蕾をつけることは叶いません。
その子の心に、確かな【自分】という意識、は育まれません。
否定的に扱われる、尊重されない環境とは、
たとえば、悲しくて涙が零れたら、「泣くな!」と怒鳴られたり、
嬉しくてはしゃいだら、「うるさい!」と怒られる様な環境です。
これは、子供の感情を拒絶して、親の望む感情を押し付けています。
はしゃいだ結果、花瓶を割ってしまったら、結果をたしなめることは、必要かも知れませんが、
子供の嬉しい、という感情を潰す様な「うるさい」とか「はしゃぐな」という言葉は、
子供に、「感情を持つな!」と言っているのに等しいのです。
子供は、自分に湧き上がる自然な感情を『悪いもの』と思う様になり、
そんな『悪いもの』を生み出す自分を、嫌いになります。
親から否定され、この子自身も自分で自分を否定する様になります。
そんな自分で自分を否定する環境に育ったら、心の中の【自分】は成長しようが無いのです。
【自分】は、人生の主役であり、湧き上がる感情を感じ取る、主体、です。
主役の居ない人生は味気なく、感情が動かないことは、重々しい不全感を運んで来ます。
これが、生きづらさ、と言ってもいい、と思っています。
心の中の【自分】が脆弱だと、重々しい生きづらさを引きずる事になりますが、
それだけには留まらず、この【自分】の外郭線が、自分と他人を分ける、感情の境界線、です。
【自分】が育っていない、ということは、外郭線の、感情の境界線が極めて曖昧なまま、なのです。
見た目は立派な大人になったとしても、
自分と他人の感情の区別が、幼児の様に曖昧なのです。
【自分】が無いことによる不全感を引きずりながら、
幼児の様に、自他の感情の区別がつかないことは、
生きる上で大きな重荷であることは間違いありません。
時に、馴れ馴れし過ぎたり、
時に、よそよそしかったり、します。
近づき過ぎて、拒絶され、驚いて飛び退く様な、極めて不安定な人間関係に陥ります。
他者との心理的な距離が測れないことは、長期に渡る安定した人間関係の構築を阻みます。
自分は自分、他人は他人、という境界線が明確ならば、
人間関係の大半のトラブルは起きない、と言っても大袈裟ではない、と思います。
ケンカやストーカー、DVやネット上の誹謗中傷、煽り運転、様々なトラブルに、他の要素と絡まり合ってはいても、
自他を分ける感情の境界線が曖昧なことが、根本には横たわっています。
悩みの殆どは人間関係、と言えはしますが、
転校しても、職場をかわって人間関係が一新しても、
同じ様な人が現れ、同じ様なトラブルが起きるなら、
あの人がこうだから、とか、
この人がこうするから、という事ばかりに原因を探すことを止めて、
自分の心の中を探ってみることも必要かも知れません。
根は深いところにあるかも知れませんが、
人間関係から紐解いて、生きづらさの根本原因にたどり着くことは、多いと思っています。
辿って腑に落ちた時の、
心の治癒力は、はかり知れません。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム