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逆さまの世界の嘘と秘密

「生きづらさ」を抱えて生きて、

気が付いて「心のこと」に取り組んで、

自分と向き合って、

見えて来たものは、

これまで信じていたことが、ことごとく「逆」だった、ということなんです。

ことごとく、と言いました。
「逆」だったことは、多岐にわたるのです。

それは、
暖かいものを、冷たいと教えられ、
しがみつくことを、愛だと見て習い、
自尊を傲慢と、
自立を裏切りと、信じ込んだ為、
様々なことを逆さまに捉える様になってしまったから、です。

何故逆さまに捉えるのでしょうか。

機能不全家庭を暖かい場所と信じる為です。

機能不全家庭には、嘘や秘密が沢山あります。

親は自分が抱える重大な「無価値感」から目を逸らし続けて生きています。

子供は、親が「無価値感」から目を逸らす為の道具にされます。

親は自分が「無価値感」から目を逸らしていることを、
本当は微かに知っています。

意識と無意識の狭間に位置する場所に、
「自分を守る為に我が子を犠牲にしている卑怯者」
という事実が書き込まれています。

しかし、この親はその事に気が付かないフリをし続けなければ、自分を保つことが出来ないので、一つ目の嘘をつきます。

「この子の為を思って厳しくしている」
「この子を立派な人にする為に厳しく躾をしている」
「この子を愛している」

自分の「無価値感」から目を逸らす為の一つ目の嘘を正当化する為に、またひとつ、もうひとつと嘘を重ねることになります。

それ程までに、隠した「無価値感」は決して見たくない物なのです。

子供は毎日、嘘の礫(つぶて)を投げつけられます。

無力な幼い子供にとっては、親は絶対です。
何があっても慕い続けます。

「親は自分の為を思って厳しくしている」
「自分は愛されている」

この子は、嘘の礫を投げつけられるうちに、逆さまな世界に生きる様になります。

憎しみを愛だと信じ込みます。
束縛を、嘲りを、非難を、
愛だと信じてしまいます。

しかし、この子も、意識と無意識の狭間で「何かがおかしい」と思っています。

苦しいからです。

愛されている筈なのに、
苦しくて、
悲しくて、
寂しいからです。

でも、その疑念を持つことは許されないのです。

なぜなら、その疑念は全てを壊す危険な物だからです。

その子は、
憎しみをぶつける親を優しいと信じます。
冷たい家庭を暖かな家庭と思い込みます。
辛くて堪らないのに幸せだと言い聞かせます。

この子も、悲しい嘘の片棒を担ぎます。

親も子も、冷え冷えとしたこの家庭を 暖かい と思い込みます。

きっと
「私は機能不全家庭に育ったけれど 本当は知っていた などということは無い」
と思われる方もいることでしょう。

訳も無く、悲しくなることはありませんでしたか?
訳も無く、寂しくて堪らないことは無かったですか?
訳も無く、何かに追われているかの様に焦りを感じませんでしたか?

消えてしまいたい、自分には価値が無い、と思ったことが無いですか?

それが、本当は知っている証拠です。

本当は無価値な扱いを受けて、悲しい、寂しい、辛い、苦しいのです。

でも、全部感じてはならないのです。

だから自分を騙します。

親は嘘に嘘を重ねます。
この子も嘘の片棒を担ぎます。
全ては、愛の無い場所を、愛に溢れた場所と思い込む為です。

そして、外の世界に向けても、我が家は暖かい家庭、という嘘をつきます。

するとどうしても、矛盾が浮き彫りになりそうになります。

機能不全家庭は外に向けての秘密が多くなります。

秘密が有る、のは、そこに嘘が有ることを知っている証拠です。

やましいから秘密にします。

知られてはならないから秘密です。

何度も言いますが、

親が自分が卑怯者だと知っているのは、意識と無意識の狭間です。

子供が「何かがおかしい」と思っているのも、意識と無意識の狭間なのです。

薄らぼんやりとしてはいても、皆して知っているから、秘密が有るのです。

親が何があっても見たくない真実を、

子供が幼い頃から信じぬいた事が嘘だったという真実を、

炙り出すこと無しには、逆さまの世界から脱することは出来ません。

逆さまの世界を生きるとき、
欺く人を、優しい人と信じます。
冷たい人を、暖かいと感じます。
逆に、
好意をもって親切心で近づく人を遠ざけ、
暖かさを向ける人に敵意を返します。

世の中が逆さまに見えるということは、

私達は本来、幸せを望む筈なのに、

苦しくなる道、不幸への道を選んでしまう、ということなのです。


機能不全家庭に生まれた事実は変えられませんが、

そこで信じ込んだ嘘や、

抱え込んだ秘密を、

後生大事に背負って歩く必要はありません。


重い荷物を降ろして、

自分の人生を軽やかに歩くことは、

思うより簡単です。


無力な子供の頃に怖かった物も、

成長し、もはや無力では無くなった自分自身を信じることが出来たとき、

逆さまの世界は180度向きを変え、
天は天、地は地へと収まります。

自分の人生が始まります。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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