私は「えこひいき」されたい
幼い頃に戻れるとしたら、私は一度でいいから親から「えこひいき」されてみたい、と思うんです。
私が生まれ育った環境は、機能不全家庭でした。
両親は、過酷な幼少期を過ごした者同士の夫婦です。
揃って、一個の人間として尊重される事が無い状況で育った人達です。
尊重という言葉は知っていても、体験したことが無いのですから、
当然、実感を伴わない、言葉としての理解に留まります。
だから、両親は尊重することが出来ない人達でした。
尊重の基盤は、愛だと思うんです。
特に、関係が近くなればなるほどに、尊重と愛ははっきりと重なり合っている様に思います。
我が子を尊重しているのに、愛していない、ということは考え難く、
我が子を尊重していないのに、愛している、ということも成り立たないと思います。
基盤が愛で、その上に載っているのが、尊重する姿勢だと理解しています。
つまり、私の両親は、過酷な幼少期を生き抜くことと引き換えに、愛する能力を失った人達だと思っています。
親が愛する能力を欠く場合、子供に対して、どの様な接し方になるでしょうか。
愛の基盤が無い為、一個の人間として尊重することが出来ません。
つまり、子供を独立した存在として認識出来ず、自分の従属物として扱います。
すると、優先されるのは、愛とか情とかいった血の通ったものでは無く、
親の都合なのです。
自分が「在って」、子供が「在る」のでは無く、
自分が「在って」、自由になる手足が「有る」様に、
自分が「在って」、自由になる子供が「有る」のです。
「在る」なら一個の人間ですが、「有る」は物として見做している、ということです。
一個の人間として尊重出来ない、ということは、従属物と見做すという事です。
手足は言うことをききますが、子供は親がどう見做そうが、別人格ですから、親の意のままには、動くことが出来ません。
子供は親を無条件に慕うので、親の意のままになろうと、必死で親の顔色を伺います。
しかし、物を取ろうと思えば即座に動く手の様に、歩こうと思えば一歩前に出る足の様には、子供は親の意を汲む事が出来ません。
必死に親の意図を探っても、手足の様には動く事が出来ません。
なぜなら、尊重される事は無くても本当は尊重されるべき、親とは別人格の一個の人間だからです。
愛する能力を欠いた親は、その事がどうしても分かりません。
従属物なのに、意のままならない我が子に苛立ち、理不尽な怒りをぶつけます。
そんな扱いを受け続け、子供は自分は無価値なんだ、という思い込みを心に刻みつけ、
その思い込みは、生きづらさという重い荷物となって、その子にのしかかる事になります。
愛情を注がれて育ち、親になった人は、特別な事はしなくても、自然と我が子を尊重します。
子育てに、正解は無く、そんな親でも失敗は沢山するでしょう。
ぶつかり、転びながらの子育てでも、基盤は愛で、そこに載っかっているのが尊重の姿勢です。
機能不全家庭では親の都合が最優先事項ですが、
基盤が愛の家庭では、ぶつかっても転んでも、根底には愛と尊重があります。
愛する能力のある親でも、間違う事は多々ある訳です。
たとえば、明確な線引きが難しい愛あればこその思い、がちょっと出過ぎて、
我が子をひいき目に見たりすることも有るでしょう。
適切な励ましと、過度な応援の線引きなども、はっきりとしたラインは無い訳で、
時に踏み越え、時に足らず、失敗しても、基盤が愛なら、それが子育てなのだと思うのです。
冒頭に触れた様に、私は親から、えこひいきされてみたい、という願望がありました。
今は、はっきりと分かる様になったのですが、
私はそれを渇望していた、と思います。
親の都合が最優先事項である、という事が、私と親との無言の憲法であった為、
親は必ず私を悪者にしました。
クラスで子供同士の揉め事や喧嘩が起こり、それが父兄の耳に届くと、「うちの子が悪い」と言い出すのです。
そもそも、対人関係で下から入る事しか出来ない処世術が歪んでいるのですが、
下に潜り込む為に、切り捨てるのが、私という存在でした。
クラスの父兄に限らず、近所でも、親戚間でも、家庭内でも、「この子が悪い、馬鹿だから」という落とし所の道具にされるのが常でした。
だから、一度でいいから運動会の徒競走で、親から声を限りに応援されたい、と思いました。
友達と喧嘩になっても、「うちの子は悪く無い」と言って欲しいと思いました。
時に、それが正しい事では無くても、
仮に、それが、えこひいきであっても、
長い子供時代に、たった一度でも、
「この子は悪く無い!」と庇われた経験があったなら、
自分は無価値だ、という思い込みは、だいぶん吹き飛んだのではないか、と思うんです。
子供を親の都合で測ると、冷たい理屈に落ち着きます。
子供を愛で測ったなら、間違えても、踏み越えても、暖かな結末を迎える気がします。
私は、
一度でいいから、えこひいき されたかったなぁ、
と思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム