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情緒未成熟な親は、思い通りになる人形が欲しい

肉体的な虐待にせよ、心理的な虐待にせよ、

幼少期に虐待を受けた人は、自分であること、を取り上げられた人です。

その子に虐待をした親もまた、幼少期に「自分であるな」と、嫌という程、擦り込まれた人、なのです。

「自分であるな」とは、自分の感情を持つな、ということです。

親の望む様に感じ、親の望む様に考え、親の望む様に生きる子供は、

情緒未成熟な親にとっては、この上なく都合の良い存在です。

駄々をこねて泣く子供が煩わしければ、「笑え」と呪文を唱えたら、

自分の感情を諦めた子供は、笑います。

情緒未成熟な親にとっては、これ程都合がよく、これ程気分をよくしてくれる存在は在りません。

情緒が未成熟であるその親は、他者との関わり合いに喜びを見出すことが出来ません。

他者を認めたり、慮ったりする程に情緒は成熟していません。

他者と喜びや楽しさを分かち合うよりも、もっと独りよがりな世界に生きています。

情緒未成熟なこの親が欲しいのは、かけがえの無い我が子との触れ合いでは無く、

思い通りになる、お人形、です。

人形は感情を持ちません。
わがままも言わないし、手を高く持ち上げさせることも、首を傾げさせることも、思い通りにさせることが出来ます。

情緒が未成熟な人は、親になる心理的な準備が整っていません。

子供の気持ちを汲み取ろうという思いは無く、
どれだけ自分を受け容れさせるか、ということに躍起になります。

泣くとうるさい、駄々をこねると面倒くさい、

だったら感情を持たない、人形が良い、のです。

子供の感情が邪魔ですし、煩わしいのです。

だから、その子から、感情を奪います。

口には出さずとも、泣きたくて涙が零れそうな子供に、泣くことを禁じるのは、「自分であるな」という魔法をかけるに等しいのです。

その子は生まれた時からその呪文を聞き続けます。

その子は、自分の感情は捨てるもの、と当たり前に思い込みます。
間違って、自分の感情が表に出てしまったら、責められます。

「どうして泣くのっ!悲しく無いでしょっ!」

幼い未だ無力なその子にとっては、
親が全てです。
親が、世界、なのです。

その親から責められることは、世界中を敵にまわす恐怖です。

「泣きたくなる自分はダメな子だ」

その子は、泣きたい感情を、悪いもの、と思い込みます。

そして、
そんな気持ちになる、自分を、
親を怒らせてしまう、自分を、

大嫌いになってしまいます。

親からは、感情を捨てさせられ、
自分は、自分を嫌い、

そんな状態で、自分の人生に価値を見出すことは困難です。

大嫌いな自分の人生なんて、まるで他人事に感じられます。


自分が好きで、自分の人生には価値がある、と思える人は、

好きな自分の、価値ある人生だからこそ、

物事に懸命に取り組み、そこに喜びを見つけ出します。 

自分が嫌いで、人生が他人事に感じられたら、

物事に懸命になることが出来ません。

喜びなんて感じません。

そんな虚しさがいつもあります。

もっとも、その人自身は、生まれた時から、感情を捨てて、自分を嫌って生きて来たのですから、

なんだか苦しい、という感覚はあっても、それが当たり前なんだ、と思っています。

みんなそんな心持ちで生きているんだ、と思っています。


生きづらさを抱える人は、生まれた時から生きづらい世界に生きているから、気がつくことは、簡単ではありません。

生きづらさを手放すとき、段階があります。

大雑把に言うと、

生きづらさに気づく段階、
自分と向き合う段階、
決断して手放す段階、

ということになりますが、

思うに、最初の、生きづらさに気づくこと、が一番の難所の様な気がしています。

過酷な心理的虐待を受けた人は、

得てして、人一倍愛されて育った、と信じている人が実に多いのです。

信じてはいても、生きづらさを引きずって生きているのですから、理由が分からないままに、苦しんでいます。

やがて生きているだけで苦しい状態に至り、動けなくなっても、
「あんなに愛してくれた両親に申し訳無い」と、自分を責める人は少なくありません。

それ程までに、気がつくことは難しい、と言えます。

テレビやネットや雑誌で、ピンポイントに心理的虐待の話題を目に、耳に、したとしても、
「へぇ〜そんな家庭があるのか」と、自分のこととは、これっぽっちも思わなかったりします。


もしも、生きて、ここに存在するだけで、なんだか重ったるく、虚しく、苦しい感覚があるなら、

何かに追われる様な焦燥感を覚えるなら、

気をつけてみて欲しいのですが、

何か大きな決断を迫られる場面で、親の意向、反応が気になりますか?

たとえば、家やマンションを購入する時、或いは、転職をする時、起業するとしたら、親の反応が頭を過ぎりますか?

くだらない質問だと思われるかも知れませんが、

かつて「自分であるな」という呪文を聞いた人は、ほぼ全員、親の意向が気になります。

そして、

多くは、メディアで心理的虐待の話しを見聞きしても、

自分のこと、とは露ほどにも思わないのです。

気がつくことは、

最初にして最難関ですが、

真実に気づいて、

しっかりと見据えたなら、

生きづらさを手放す日は、

遠くありません。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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