思い上がりと自己卑下の狭間に揺れる人
上手くいったり、他者から褒められたりすると、途端に強気になったり、傲慢になったり、という人はとても多いです。
思い上がっているし、調子にのっている状態です。
傍から見て、不快に思う人が大半でしょう。
しかし、私達は誰しも、傲慢の種、を心に持っています。
実るほど頭を垂れる稲穂かな、をはじめとする、私達の傲慢を戒める慣用句が沢山あるのも、
私達が如何に傲慢になりやすい生き物であるかを表しています。
翻って言うならば、傲慢にならない為には、余程しっかりとした自己像を持つことが大切なのでしょう。
私達には、他者よりも優位に立ちたい、という本能があります。
それは生き物として、致し方無いことですし、生き抜く為に欠くことが出来ないもの、とも言えます。
社会的地位を確立した成功者が、信じられないぐらい稚拙な事件を起こすことなど、掃いて捨てるほどありますが、
それも、傲慢さに呑まれずに、戒めて立つこと、の難しさを物語っている、と思います。
いつも心のこと、特に生きづらさ、についてお話しさせて頂いていますが、
健康的な環境に育った、健やかな心を持つ人にも、傲慢の種、はあります。
だからこそ心に、確かな【自分】という意識、を育てることは、誰にとっても最重要だと思っています。
幸運に恵まれ、やる事なす事上手くいって、他者から賞賛された時、傲慢に走らないのも、
他者から批難される窮地に立たされた時に、自己卑下する心境に陥らないのも、
心に確固たる【自分】があればこそです。
つまり、他者の評価と自分の価値を明確に切り分けることでしか、安定した自己像を作り上げる事は出来ません。
他者の評価に自分の価値を委ねている限り、
褒められれば、傲慢な方向に傾き、
批判に晒されると、自己卑下に沈む、不安定な状態を行ったり来たりすることになります。
幼少期、充分に肯定的な受け容れを経験する親子関係に育った、健やかな心を持つ人であっても、
心に本能としての、傲慢の種、を持っています。
ましてや、幼い日、親の感情を常に優先し、親の要求に応え続けなければならなかった人は、
心の中に、確かな【自分】という意識が育ちません。
【自分】が未発達、未成熟、なのですから、
自分とは、こういう人間だ、
勉強は苦手だけど走るのは得意だ、
争い事は好きじゃない、
好きな色は青で、好きな数字は1、
といった自己像が形作られていません。
否定的な環境の中で育ち、【自分】が育つ暇が無かった上に、
その【自分】が不在の心の真ん中には、親がどっかと居座り、
ある時は、優秀であることを、
ある時は、勇敢であることを、
ある時は、優しくあることを、
明るいことを、大人しいことを、
親の気分で求められ、その要求に応えなければならないのですから、
自分が優秀なのか、劣っているのか、
勇敢なのか、臆病なのか、
明るいのか、暗いのか、大人しいのか、活発なのか、
さっぱりわからなくなってしまいます。
つまり、自己像を持つことが出来ません。
その場、その時、の親の気分で、自分、は変わってしまうのです。
親の要求する、自分、でいなくてはならないのですから、自己像を作ることが出来ません。
やがて、学校に通う様になっても、幼少期に親の顔色を伺って、自分、を作っていた様に、
今度は、周囲に居る他者の顔色を伺い、その場、その時の、自分、を決めます。
自分、が不在なのですから、自分の価値は周りの評価に直結します。
周りが、スゴい、と言えば、
自分はスゴいんだ、と思い、傲慢になります。
周りから批難されれば、自己卑下に沈みます。
心の中に【自分】が育っていないと、周りに振り回されて、
思い上がりと、自己卑下の間で右往左往する人生になりがち、です。
自分が育っていない人は、周りばかりが気になって、
自分の人生を粗末にします。
機能不全家庭の親が、世間体ばかりを過度に気にして繕うことにばかり忙しく、
子供の気持ちには、全く頓着無いのも、
自分、が無く、周囲の評判が、自分や家庭の価値になってしまう、と感じているからです。
誰しも、褒められたら嬉しいですし、
悪い評判が心地よい人はいません。
誰もが、心に、傲慢の種、を持っていることも事実です。
だからこそ、健やかな心を持つ人も、【自分】を見つめることは大切ですし、
生きづらさを感じている人は、尚の事、【自分】が育っていないことを認める事から始めて、
【自分】を育てることを、最優先しても良い、と思っています。
何故なら、思い上がりと自己卑下に翻弄される人生には、
安らぎと喜びが、決定的に欠けているから、です。
【自分】を育て直すことは、
いつからでも、今すぐにでも、
始めることが出来ます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム