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上手に出来ても出来なくても、結局いつも責められる子

自分のことを無価値だ、と思い込んでいる人は、

他者から褒められたくて仕方がありません。

他者から好かれたくて仕方がありません。

自分の方が優れている、と他者に誇りたくて仕方がありません。

心の中の無価値な思い込みから目を逸らす為には、他者の賞賛や羨望の眼差しが必要なのです。

他者と同等ではダメなんです。

自分の方が上である必要があります。

何故なら、基本、心の中では自分は無価値だ、と自己評価を下しているのですから、

そのマイナスの自己評価をプラスに押し上げる為に、スゴイ、スゴイ、と言われていないと不安なのです。

人と関わる際に、
この特質がわかり易く表に出るタイプと、
心に秘めて表に出ないタイプに分かれる様に思います。

人を安易にタイプ分けするのは如何なものか、と思いますが、

大括りに捉えたなら、と思って下さい。

表に出るタイプは、自己評価の低さを反動形成的に咀嚼した結果、
現れるのは、傲慢さ、だったり、過度な自己顕示欲、だったりします。

巷でよく言われる、承認欲求のカタマリ、といったタイプです。

この特質が表に出るタイプは、周りから煙たがられます。

やっと一人で立ち上がることが出来た幼児が歩く度に、あんよが上手、と褒めそやされる、あの状況を求めているのですから、

煙たがられるのは当然の成り行きです。

特質を心に秘めるタイプは、自信無さ気で、引っ込み思案な印象の人が多く見受けられます。

本当は、褒められたいのですが、自分なんて、という無価値感が滲み出している感じです。

どちらのタイプも、現れ方が違うだけで、その人の心を支配しているのは、褒めそやされたい幼児的願望と、マイナスまで落ち込んだ自己評価です。


その人が成長し、やがて親になります。

親、特に母親にとっては、我が子は特別な存在です。

自らが幼い頃、肯定的に受け容れられ、尊重されて育った人が親になったなら、

幼児的願望は幼児の頃に満たされ、既に解消されています。

心には自分には価値が有るという感覚が根付いています。

幼児的願望が消化され、自分の価値に疑問符が付かない人は、情緒が成熟した人、と言えます。

ことさらに自分の価値を他者に認めさせる必要性が無く、
無価値感に追い立てられる事も無いため、
自分の下にやって来た、特別な新しい生命に惜しみなく愛情を注ぐことが出来ます…、いや、注がずにはいられない、と言った方が良いかも知れません。

その母子関係には、尊重する姿勢があります。
その親子関係には、肯定的な受け容れがあります。


尊重される事無く、否定的に扱われる環境に育った人は、幼児的願望が未消化で、心に無価値な思い込みを抱えています。

褒めそやされることを他人に求めるか、幼児的願望を内に秘めて、諦めた様な人になるか、と言いましたが、

その人が、やがて親になって、特別な存在である我が子を見た時に、

特別に大切な守りたい存在、に見えるのではなく、
自分を無条件に慕い、自分を無条件に受け容れてくれる特別な存在、に見えてしまいます。

幼児は徹底的に無力な存在であり、親は絶対的に強い立ち場にあります。

その場合、強い立ち場の感じ方、考え方が、親子関係、母子関係を形作ります。

感じ方、考え方、と言っても、親に幼児的願望に衝き動かされている自覚は無く、
無価値な思い込みから目を逸らしている認識もありません。

だから、その母親は子供に全てを与えているつもりで、全てをむしり取る母子関係を構築してしまいます。

その子が小学生になると、優れた子、優秀な子であることを求めます。

その母親は、自分が子供の為を思っている、と信じて疑わないのですが、

実は、お腹を痛めた実の子供が優秀であることによって、
優秀なお子さんのお母さん、と思われたい願望に衝き動かされています。

しかし、子供が優れていることを世間に誇りたい一方で、

家庭内では、自分より劣った無力な子供であることを求めます。

子供に優秀であることを求めながら、自分より劣った存在であることを求めます。

だから子供は、学校で100点を取っても、「こんな簡単なテストで100点を取るのは当たり前だ、そんなことで喜ぶお前が情けない」と責められ、

65点なら、怠けていると責められ、

どう転んでも、幼児的願望に衝き動かされ、無価値感に追い立てられる母親の満足は得られることがありません。

つまり子供は不安定な母親の揺れ動く心を安定させる道具にされます。

けれども、親は惜しみなく与えている、と思っています。

奪っているのに、です。

そして、道具として扱われている子供は生まれた時から、そう扱われているので、愛されている、と思い込んでいます。

むしり取られているのに、です。


自分は無価値だ、という思い込みに追い立てられ、
未消化の幼児的願望に振り回される人は、

親子関係だけに限らず、人間関係全般が上手く行きません。

夫婦関係、血縁関係、交友関係、仕事場での他人との関わり合い、など、

どれも長期的で安定的な関係性を構築することが難しくなります。

情緒が成長していない、ということは、
守る立ち場に立っても、守られたいと望み、
与える立ち場に立っても、与えてもらいたいと願い、
愛を注ぐ立ち場に立っても、愛されることを求めて止まないから、です。


職場であれ、近所付き合いであれ、友人関係であれ、

対等な力関係であれば、煙たがられ、距離を置かれるだけかも知れませんが、

徹底的に無力な子供は、圧倒的に強い親から、距離を置くことは出来ません。

上手く行っても、行かなくても、何をやっても責められる環境に育ったら、その子は自分には、何の価値も無い、と思い込んでしまいます。


子供を叱っている最中に、少しでも心にチクリと刺す痛みを感じたら、

自分はズルくないか、誰かを犠牲にしてはいないか、

心に問うて欲しいのです。

信じ難くても、

そこには、未消化の幼児的願望と、

自分には価値が無い、という思い込みが、

必ず横たわっています。

先ずは、見つけるだけで、

親子関係は光りの方向を向きます。

幼い子供の心の問題は、

いつも親の心に原因がある、

そう思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム




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