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巣立つ子の羽ばたきに煌めきを見るか、反逆と捉えるか

心が未成熟なまま大人になる人は沢山います。

心が未成熟な大人の大半は、心が未成熟な親の下に育った人です。

年端もいかない子供には、親の肯定的な受け容れが必要です。

肯定的に、無条件に、存在や、感情を受け容れられることで、

その子は「自分には価値が有る」という感覚を育てます。

この感覚が有る人は、心の中に「確かな【自分】という意識」が育ちます。

つまり、大人から無条件に受け容れられた人は、心の中に【自分】があり、その【自分】には価値が有る、という安心感があります。

ところが、無条件に受け容れるには、受け容れる側の心が成熟している必要があります。

受け容れる側、つまり親、が未成熟だと、肯定的に、無条件に、受け容れる側でありながら、

自分が受け入れてもらいたい、という未消化の幼児性に衝き動かされます。

これが、対等な力関係の相手なら、多少困った人という印象を持たれることはあっても、

極端な幼児性が現れることは少ないのですが、

親子関係という圧倒的に親が力を持つ関係性に於いては、未消化の幼児性が露わになります。

幼い子供の自分を慕って止まない姿が、何をしても許される絶対服従の相手に見えてしまいます。

本来ならば、子供を無条件に受け入れて然るべき親が、逆に無条件に受け容れさせることを求めます。

未消化の幼児性を抱えた人が、圧倒的な力を持つと、親子の役割りが逆転します。

親子の役割逆転は虐待であり、この家庭は機能不全家庭です。


しかし、未成熟な親は、自分を愛情深い親だと認識しています。

親に、虐待している、子供を傷つけている、という自覚があれば、そうはならない訳で、

親は、愛情を注いでいるつもりで、子供を支配し、責め苛み、傷だらけにしてしまいます。

惜しみなく与えているつもりで、
限りなく奪います。


そんな未成熟な親の中には、子供が年端もいかないうちから、
「家には、反抗期なんか無いんだからね!反抗したらただじゃおかないよ!」
と、予防注射を打つ親も少なく無い様です。

この様なことを口にする親は、とてつもなく幼児的であると共に、
自分は無価値だ、という思い込みが心に固く刻まれています。

子供を肯定的に受け容れる、などといった次元では無く、
幼児性に衝き動かされ、無価値感に追われ、
子供を使って、無価値感から目を背けるしか無い、心の在り様なのだと思います。


反抗期は、子供の心の中の【自分】が成長し、来たるべき巣立ちに向けて、巣の中でバタバタと羽ばたき、自分の翼を確かめる時期、と言えます。

心が成熟した親であれば、思春期に揺れ動く子供の反抗に手を焼きながらも、それを子供の成長と捉えます。

ところが、心が未熟な親は、巣の中で今にも飛び立ちそうに翼をぎこちなく動かす子供の姿を、親への反逆、と捉えます。

幼い頃から言い聞かせて来たのに、親に反逆しようとしている、と感じてしまいます。

未成熟な親は、怯えています。

もともと、心には、自分は無価値だ、という思い込みがべったりと貼り付いていて、自己評価はマイナスまで落ちています。

そのマイナスを子供を使って、なんとかプラスに持ち上げようとして、自分が崩れない様にしていた訳です。

子供を尊重しません。
子供には、ある時は優れた子であることを求め、
またある時は、自分より劣った存在であることを求めました。

優れた子である様に求めたのは、優れた子の親として周りからの賞賛や羨望の眼差しが欲しかった為です。
褒められたい、という未消化の幼児的願望に衝き動かされている、のです。

自分よりも劣った子であって欲しいのは、劣った存在を責めることで、自分の価値が上がった様に感じられる、からです。

未消化の幼児的願望を満たすのも、無価値感から目を逸らすのにも、子供が必要、なのです。

だから、子供が感情を持つことを嫌います。
自分の感情を100%押し付けるには、子供が自発的な感情を持つことは悪なのです。
だから、口には出さずとも、子供には、
「自分であるな」
「自分の人生を歩むな」
「私のために生きろ」
というメッセージを送り続けたのです。

それなのに、今にも飛び立ちそうに、翼を動かす我が子の姿は、

その親にとって、反逆、意外の何ものでもありません。

健やかな親は、反抗に手を焼きながらも、子供の翼の躍動に煌めきを見ます。

未成熟な親は、ただただ、親への反逆、と捉えるのです。

未熟な親には、本当にそう思えています。

未消化の幼児的願望と、
抱える無価値感から逃れる、道具、として子供を利用し、所有していることを、

子供を愛すればこそ、と無意識に、すり替えます。

無意識であっても、すり替えている限り、親が信じているその愛は、

とても恩着せがましく、恨みがましいのです。

羽ばたく子供の翼に叩きつけるのは、
恩知らず、
親不孝者、
という言葉です。

かつて虐待された人は、人生の最初に最大の親孝行を済ませています。

小さな身を投げ出して、親を心の崩壊から救った人です。

だから、親子関係に流れていたものが、愛では無い、と気がついたなら、

どんな言葉をぶつけられても、

後ろめたいことなどありません。

胸をはって、

自分の人生を歩んで欲しく思います。

その人には、その権利があるのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム










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