「優しさ」も「親しさ」も「攻撃」と同じ方法で示す人
やたらと嫌味をぶつけて来る人がいます。
驚いたことに、
その人にとって、それは 優しさ のつもりだったりします。
その人にとって、それは 親しさ のつもりだったりするのです。
勿論、攻撃を加える時もその人は、嫌味 を言います。
優しさや親しさを相手に向ける時に、攻撃する時と同じ手法を取ってしまっている、という矛盾にその人は気が付きません。
周りの人からしてみれば、その人は、嫌味ったらしい人 として煙たがられることになりますが、
その人は、煙たがられている状況を、一目置かれている 認められている と判断していることが少なくありません。
かくして、その人は、嫌われ者のポジションに自ら立ち続けます。
嫌われ者のポジションにいるから、孤立するか、というと、そうとは限りません。
その人の周りには、嫌味を受け入れる人が集まっている場合が少なくありません。
その大半は、自分を「無価値」だと思い込んでいる人です。
自分には価値が有る、と感じている人にとっては、嫌味を言われることは不快なので、当然ながら距離を取ります。
この、
自分には価値が有る、という感覚を持っている人を遠ざけ、
自分は無価値だ、と思い込んでいる人ばかりを呼び寄せることは、
人生に於いて、安定的な人間関係を構築することを阻害します。
述べました様に、嫌味を言う人は、
優しさや、親しみを表現する時に、
敵意を表現する時と同じ方法を取ってしまいます。
相手に優しさや親しみを向ける時と、
相手に敵意を持って接する時は、
正反対の対応になるのが一般的だし、相応しいことでしょう。
しかし、嫌味を言う人は、
優しさを向けるつもりで嫌味を言い、
親しみを表すつもりで嫌味を言います。
そして、相手に攻撃する時も、嫌味をぶつけるのです。
攻撃の意味で嫌味をぶつけることは、その方法が、適切かどうかは脇に置いて、方向として矛盾は無いとの理解は得られやすい、と思います。
分かり難いのは、
優しさや親しみを嫌味で表現すること、でしょう。
例えば、
久しぶりに会った友人に開口一番、
「太ったンじゃない?」
などと言う訳です。
言われた方が、何とも思わない場合もあるでしょうが、
気にしていたり、コンプレックスだったりしたら、
久しぶりの再会の初っ端から、気分を害することになるでしょう。
言った方は、親愛の情を示したつもりなのです。
言ったこの人は、相手をぞんざいに扱うことが、親しさを表すことだと思っています。
何年振りの再会で、会わなかった空白の時を埋めて、以前の様な親しさを分かち合うために、出したセリフが、
「太ったンじゃない?」なのです。
相手をぞんざいに扱う人、
嫌味ったらしい人は、
優しさがどんなものなのか、
親しさとは何なのか、を知らない人です。
どうして知らないままに生きてしまったのでしょう。
それは、
この人が親からもらった対人関係のひな型が、人をぞんざいに扱うひな型だったからです。
この人の親は子どもを尊重することが出来ない人だったのです。
親は親で、その親から尊重されることなく育っています。
親は優しさにも、親しさにも縁がない環境で育ち、
心は傷だらけになっています。
自分を無価値だと思い込んだまま親となり、自分の無価値感から目を逸らす為に、
今度は我が子を雑に扱い、我が子を無価値な存在に仕立て上げることで、
相対的に、自分の価値が上がったかの様な感覚を獲得するのです。
但し、その感覚はその場限りのものなので、今日も、明日も、明後日も、親は自分の価値が上がった様な感覚が欲しくて、我が子に無価値な扱いをします。
来る日も、来る日も、雑に、ぞんざいに、無価値に扱われた子どもは、傷だらけになり、自分を無価値な存在だと思い込みます。
こうして、歪んだ対人関係のひな型は、親から子、子から孫へと引き継がれます。
だから、嫌味を言う人は、幼い頃から周りには、
尊重を知らない人、ぞんざいに扱う人、しかいなかったのです。
そのひな型は、世の中の対人関係を構築する方法とは明らかにズレています。
しかし、
嫌味を言う人は、社会に出てからも、そのひな型を使って人間関係を構築します。
だから、
自分には価値が有るという感覚を持っている人からは、距離を置かれ、
距離を置かれているのに、一目置かれている、認められている、と勘違いし、
自ずと周りには、ズレたひな型を持った人ばかりになってしまいます。
その集まりでは、
優しさも、親しみも、攻撃も、全て
相手を尊重しない、
雑に扱う、
ぞんざいに扱う、
嫌味をぶつける、
そんな基本姿勢です。
正確には、ぞんざいに扱う親の立場の人がいて、それを受け入れる子どもの役割の人がいる訳ですが、
それは、無価値感というコインの表と裏の関係性です。
健全な人と人との結びつきは信頼感に基づきますが、
ズレた人間関係のひな型を持つ人達の結びつきは、根底に無価値感があると言えます。
そして無価値感の傍らには、いつも憎しみの感情が寄り添っています。
自分が身を置く人間関係が、
掛け値なしに、信頼によって出来ているか、
それとも、
憎しみ、恐れ、妬みなどのネガティブな感情が色濃く感じられないか、
考えてみることは、無駄では無いと思います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?