舞台「星列車で行こう」
舞台「星列車で行こう」の大千穐楽にお邪魔させていただきました。
当日のご縁で入ることになった大千穐楽。南座ぶり3回目の乗車です。
1回目の乗車後、舞台の解像度を上げたくなりもう一回観たいなと思い2回目の乗車をしました。
2回目で私の星列車は完成していたので、元々大千穐楽に入るつもりはありませんでした。
私は基本ノーと言わない性格です。言えないのではなく、何事も経験だと思う性格で、好きな人に提案されれば「乗った!」となるのです。
「一緒に入ろう、あずきちゃんと一緒に観たい。」と言ってもらったことがとても嬉しく、じゃぁ入るか!となりました。
結果、彼女には本当に感謝しています。
そこには2回目のその先の景色が広がっていました。
私は1回目2回目の乗車では一粒の涙も流していません。
温かい気持ち、優しい気持ち、様々なことを考えて、舞台はとても楽しかったです。しかし、感極まることは正直ありませんでした。
今回は3回目1週間ぶりの観劇。
南座と御園座の違い、舞台装置の細かいところまで見ようと、見慣れた舞台を観に行くという少し軽い気持ちでした。
そんな私が前半で強火影山担ばりの大号泣です。幕間に食べようと購入した舞台弁当を、胸がいっぱいで食べられない始末で、私自身もびっくりです。笑
その理由は、二つありました。
「夢」に真っ直ぐ向かうと不安になる
星列車に乗り込んだ太郎ですが、自分が何者かわからず不安だと嘆きます。
私事ですが、息子は本人の強い希望で今年度からジュニアユースの選手になりました。週に5日練習や試合に勤しんでいます。
1学期はとにかく新しい環境に慣れること、学校の勉強に練習に試合にと忙しくすることで暇がない状態。考える隙もなくがむしゃらな日々でした。
そして迎えた夏休みのはじめ頃、少しゆとりのできた彼と星列車に乗車しました。
そして「夢」を考えるトリガーを引いたことで「夢」について考えだしました。彼がこの夏書いた読書感想文のテーマも「夢」でした。
大千穐楽の前日の晩、彼は異様に不機嫌でした。
聞くと、ジュニアユースで思うような結果が出ないことや学校の成績などが不安だと。
夢が遠のいている気がするけど、このままじゃダメなのはわかるけれど何をしていいのかわからない。自分がどうしたいかわからない。自信がなくなってきた。と…。
そんな息子の不安を夜中まで聞いたばかりだったからでしょう。太郎の歌唱が息子とリンクしすぎてしまい、太郎の気持ちが手に取るようにわかりました。
「夢」を追うから、不安になる。
「夢」を真剣に考えるから、わからなくなる。
そんな事を思いながら観る太郎は今の私にはあまりにも切なく映ってしまい号泣ポイントとなりました。
旅はいいもんだ
私は元々大千穐楽に入るつもりではありませんでしたが、遠い地から大好きな仲間が来るという事で観光をエスコートしたいなと思い観光案内人をかって出ました。
そんな観光の途中でご縁があり急遽乗車が決まったという経緯があります。
「旅はいいもんだ」とカンパニーで歌うシーンです。
太郎、次郎、五郎、それから他の乗客の皆さんは見ず知らずの赤の他人。
年齢も境遇も何もかも違う。
そんな彼らが星列車に乗る事で出会い、助け合い、関わり合い、「旅はいいもんだ」と心から楽しそう歌い踊る姿に、人との出会いの尊さを感じたのです。
横にいる彼女から
「あずきちゃんと一緒に見たい」
と言ってもらったことが、あの言葉がどれだけ尊い道標だったか。
どれだけの尊いご縁の重なりだったか。
住むところも遠く離れ、年も職業も違う。
本来ならば出会う事のない彼女とのご縁。
IMP. というグループに出会い、その中で出会った仲間たち。同じ列車に乗り込み、私と人生が交差した人たち。
隣にいる彼女や、他の仲良しのPINKY.さんたちを思い浮かべるとたまらなく泣けてきました。
私と出会ってくれてありがとうという気持ちが溢れました。
人生という旅はいいものだなと幸せで涙が溢れて止まりませんでした。
お隣の彼女も前半から泣いていたけれど(大河担)どんな理由で泣いていたんだろうな。
きっと考えていることも違うのだろうけど。
そんな二人が出会ったことが尊いな、そう思うのです。
それから「旅」に「人生」も連想させました。
偶然にも自分の人生に交差する人々や、出来事。
苦しいことや、勇気のいることもあるけれど、楽しもうと思って臨めばどれも「いいもんだ。」なのでしょう。
星列車が気づかせてくれる夢
その列車に乗ると、夢を見つけられるという伝説がある星列車。
太郎、次郎、五郎という3人の青年の立場からいろいろな角度で「夢」を表現しているように感じました。
夢に気が付いた時、足元に遠くまで伸びる線路が現れる演出はとても素敵でした。私はあそこがとても好きです。
幼い頃に何気ない人の言葉に傷つき心を閉ざしてから、自分自身も思ってもいない事で本当の気持ちに蓋をしてきた次郎。次郎の夢への気づきのトリガーとなったのは
「誰かにとっての幸せではなく、自分の幸せについて考えること」
だったように思います。
経済的成功が自分の成功であると信じ闇バイトをし、追われる身で星列車へ乗車した彼は、夢を探してすらいません。自分のことも好きじゃなさそうでずっとイライラしています。
けれど、心の底で「本当の幸せを見つけたい」そう思っていたんでしょう。車掌さんに見抜かれ、乗車切符を手に入れました。
次郎が気づいた自分の本当の夢は「思いっきり歌を歌うこと」でした。
重ねて執着していた経済的成功はもう必要ないと言います。
ささやかなようで、大きな価値のある自分で気づいた「夢」
夢の価値を決めるのって自分自身なんだなと感じました。
歌舞伎役者を志すも、夢半ばで挫折した五郎。五郎の夢への気づきのトリガーとなったのは
「今の自分に向き合う」
でした。
派手な格好をしていると落ち着くと言い、また目立つことで幼少期に自分を捨てた親が自分を見つけてくれるのではないかと思っていた五郎。
過去と決別し足元に線路がかかったときの「親は関係ない、自分がどうしたいかなんだ」のセリフは印象的でした。
過去の自分も内包したまま「今」に向き合うこと。
これから何にでもなれると輝く瞳が「夢」の尊さをさらに印象づけているなと感じました。
そして太郎。何不自由のない生活の中で自分が何者なのか漠然とした不安を抱え、そんな自分から解放され、運命を切り開きたいと星列車に乗ります。
太郎の夢への気づきは「日常」にありました。
旅に出て、旅はいいものだと感じたこと。友人と楽しく過ごす時間。
人との関わりの中で自分自身が考えたこと。
そんな「自分らしさ」を見つめる中で気が付いた「夢」の姿。
「自分らしく生きること」「ありたい自分で居続けること」
そして「夢は自分で作るもの」だということ。
太郎は自分は自分のままでいていいのだ、と気づき夢見る駅で降車しようとわくわくしている姿はとても魅力的でした。
そして、その足元に伸びた線路が太く、まっすぐ前に伸びているのに、太郎のこれからの人生に大きな未来があるんだろうと感じ、素敵だなと思いました。
私の足元にもきっと見えない線路が伸びていて、それは自分が乗車し続ける限り伸びていくのでしょう。
そして、私がこうやって物語に没頭できたのは役者の皆さまの演技力あってのことです。さらには、やはり3回乗車の経験ができたからだと思います。
座長の影山くんは日を追うごとにどんどんと太郎になっていき、大千穐楽では伸びやかに太郎を演じていらっしゃいました。
1回目はファンであるが故の見方をしていまい、物語に没頭しきれなかったのですが、2回目3回目と重ねると同時に影山くんの太郎が太郎になっていき、大千穐楽で私は引き込まれ没頭しすぎて涙を流す事になったのだと思います。
3回目で気づいたこと。3回目でなければ気づかなかったこと。
この気づきがさらに様々な気づきを広げてくれていることを今現在も感じています。
すてきな体験を届けてくれた星列車と、キャストの皆さまへ心から感謝いたします。
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