Vol.186 「あだ名禁止」について
昔『ズッコケ三人組』というシリーズがあった。
言わずと知れた児童文学の金字塔である。
主人公はハチベイ・ハカセ・モーちゃん。
もちろんニックネームだ。
ハチベイはアイドル歌手グループの名前からハチベイ、ハカセは眼鏡をかけているからハカセ、モーちゃんは身体が大きくスローモーだからモーちゃん・・・非常に単純だ。
昔のニックネームなんてこんなものだった。
さて、近年、小学校では「あだ名禁止」の学校が増えているという。互いを「さん付け」で呼ぶらしい。理由としては「あだ名が蔑称となる可能性がありそれによって起きる悲劇を未然に回避する」・・・端的に言えばいじめ防止だ。
これには当然賛否両論。
【反対】
「『さん付け』限定にしたら、子どもたちが心を許せる友達として、きちんと仲良くなれるのか心配です。(あだ名が)人を傷つける可能性があり、『あだ名呼び』が禁止にされるのだと思いますが、逆に『あだ名呼び』で深まる友人関係もたくさんあります。少なくとも、私が子どもの頃には『あだ名呼びがあってよかった』と感じています」
「『さん付け』にしただけで、いじめやひどいあだ名付けなど、子どもが子どもを傷つける機会をなくしたり、減らしたりできるのでしょうか。もし、教育関係者がそう考えているなら、非常に危険だと思います。うわべだけを取り繕って安心してしまえば、根本的な対策はなされないままだからです。
【賛成】
「変なあだ名で呼ばれやすい名前の子にとっては、『さん付け』の奨励はよいのではと思います。最近は、『キラキラネーム』など親が個性的な子どもの名前を付けることも増えており、そうした名前がひどいあだ名に直結するケースを考えると、その子がかわいそうです。『さん付け』の奨励は、そうした“なくていいハンディ”をなくせる試みだと思います」
『“さん付け”だと友達と壁ができてしまうのでは?』という声も耳にしますが、私自身はそうは思いません。『さん付け』でも人と仲良くなることはできますし、あだ名に頼らなくても深い友情が生まれることはあり得るからです。総合的に見て、『“さん付け”奨励』は必ずしもマイナスばかりではないと思います」
ま、双方気持ちは分かる。
しかし私が真っ先に思ったのは
また転ばぬ先に杖を出すのか?
だった。
いじめに繋がるからあだ名で呼ぶのは止めましょう。勝てない人が傷つくから運動会で順位をつけるのは止めましょう。学力テストを実施するのは止めましょう。
全部共通している。
もし100歩譲ってあだ名がいじめに繋がるとしても(まぁこれにも色々言いたいことはあるが)、「だったら大人が禁止すれはいいじゃん!」は間違っている。
何もかも大人が先回りして解決する。
子供が失敗しない道だけを用意する。
これが現在の学校教育だ。
表面的はにはそれで良いのかもしれない。
大人の前では「あだ名呼び」をせず「さん付け」で呼ぶ子供たち。非常に素直だ。しかし子供はあだ名を付ける天才であり、裏では必ず付けるものである。うわべだけ良ければそれでいいのか?
「禁止しましょう」
と言うのは簡単だ。
しかしそれでは子供が育たない。
世の中には足の速い人もいれば遅い人もいる。
勉強の出来る人もいればそうじゃない人もいる。
人には得意・不得意がありそれを補い合いながら共存してゆくものである。
本来これを学ぶのが学校という場だった。
しかし今は遅い人・出来ない人を隠してしまう。
こうして育てられた子供はどうなるか?
「自分より劣った人間は生きる価値がない」という優生思想の持ち主になる。
勉強は出来ないが正義感あふれるハチベエ。
モヤシっ子だが博識なハカセ。
太っているが優しく大らかなモーちゃん。
彼らは互いをあだ名で呼び合い、それぞれの足りない所を補い合いながら成長して行った。
相手を敬う心
根底にあるのはこれだ。
そして今の時代に足りないのもこれである。
学校始め大人たちは今一度、原点に立ち返り教育のあり方を見直す必要があると私は思っている。
【猫ムスメより】
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