「ムサコ」とは何か
東京市部・区部、神奈川県川崎市の3地域には、それぞれ「ムサコ」と略すことの出来る武蔵小金井駅、武蔵小山駅、武蔵小杉駅が設置されています。この3駅をめぐって話の種になるのが、「どこがムサコなのか」というもの。メディアではムサコ論争などと呼ばれるものです。弊サークル溝口Infantryでは、C96に「KOSUGI ──not Musaco but Kosugi」という同人誌を発表しました。熱心にムサコの覇権を主張する武蔵小金井並びに武蔵小山と、小杉というアイデンティティを持つ武蔵小杉の温度差に着目した1冊です。今回は改訂版発行を見越し開いたムサコ論争アンケートに連動し、ムサコとは何かを考えていきます。
ムサコ論争の構図
ムサコ論争と一言に言っても、考慮しなければならないことがひとつあります。それは、地域の略称は地域のものであるという前提です。地名は全国で30万はあると言われているようですが、もちろんその中には被りもたくさんあり、その多くは被っても生活圏があまりに離れているため「それってどっちの〇〇?」とはならないことがほとんどでしょう。ムサコにおいても、武蔵小金井と武蔵小山を密に連絡するような交通機関が無い(南武線がそれに近いと言えなくもない)、物理的な距離(直線距離20km)からして生活圏は重複していません。武蔵小杉と武蔵小山については目黒線で8駅ですが、武蔵小杉の住民が武蔵小山の東急ストアを日常的に利用しないように、生活圏という尺度では密に重なっているとは言い難いと言えます。
よって地元民がそれぞれ「ムサコ」と言ったところで、それは地域内で完結した会話であり、論争に発展することはありません。では論争を引き起こしたのは誰なのか、それはまだ言及していないもう一つの勢力、非住民ということになります。3つのムサコはそれぞれ距離を取ってはいますが、山手線から見ればいずれも中央線か目黒線の電車一本でアクセスできる街です。すると、全く結びつきのないそれぞれの街を指して「それってどこのムサコ?」「そっちのムサコじゃなくて」ということが起こっても不思議ではありません。ムサコ論争は外から持ち込まれたものである、これは念頭に置くべき点です。
武蔵小金井
武蔵小金井の事情について見てみましょう。武蔵小金井駅の住所は小金井市本町、市の中心地として機能していることがわかります。1924年4月4日に仮乗降場として誕生、既に東北本線小金井駅があったことから、旧国名を冠し武蔵小金井とされました。
隣駅が東小金井駅、また西武線には新小金井駅が、隣の小平市には花小金井駅があり、○○小金井という駅名が複数存在しています。特に東小金井駅についてはヒガコという呼び名が市民権を得ており、このことからムサコは他の〇〇小金井との区別という重要な機能から生まれたと推察できます。因みに西武線の花小金井に関してはハナコと呼ばれることは小平市の方であるようですが、新小金井を指してシンコとはあまり呼ばれていないようです。
武蔵小山
続いて武蔵小山です。武蔵小山駅の住所は品川区小山、駅前の武蔵小山商店街パルムは日本一長いアーケード商店街として知られています。武蔵がついた理由としてはこれまた東北本線の小山(おやま)駅の存在があるとみられますが、目黒蒲田電鉄(後の東急電鉄)の駅として開業した1923年当時は小山駅を名乗っていました。武蔵小山駅に改称されたのは翌年4月20日。元祖ムサコという観点から見ると、僅か16日差で武蔵小金井に譲っています。
隣には西小山駅があり、小金井の例からこちらも区別のために生じたのかと思いきや、西小山を指すニシコはそれほど使われていないようです。因みにニシコは西国分寺が強く押し出しており、ニシコくんなるゆるキャラも存在しています。また駅近くにはにこま通りという呼び名がありますが、このにこまは通りにある西小山商店街を指すもので、地域の愛称としては二子玉川のニコタマとも紛らわしい事情があるようです。
武蔵小杉
弊サークルも拠点とする川崎市にあり、市内でも急成長を遂げているのが武蔵小杉一体です。武蔵小杉駅の住所は小杉町(こすぎまち)と新丸子に跨っています。歴史的には紆余曲折、東京横浜電鉄(後の東急電鉄)と南武鉄道が通るにも関わらず当初は駅が置かれていませんでした。その後南武鉄道が1927年に武蔵小杉停留所を設置(現在の武蔵小杉駅とは異なる)、45年には東急が武蔵小杉駅を開業しました。既に北陸本線に小杉駅があったことから、旧国名が冠されています。その後富山地方鉄道上滝線にも小杉駅が誕生しましたが、こちらの方が元祖小杉駅に近く紛らわしい状況になっています。同じく市内でJRと東急の接続駅である武蔵溝ノ口・溝の口駅ですが、こちらは当時の玉川電気鉄道が旧国名を付けずに溝ノ口駅としたため、表記変更を経て今に至ります。会社ごとに南武鉄道接続駅に対する姿勢の違いを垣間見ることが出来ます。
武蔵小杉はほかに〇〇小杉があるわけではありません。また武蔵4駅とも称されるように武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口と武蔵を冠する駅が4駅続く珍しい地域となっています。このことから、「ムサ」をいちいちつけるのはかえって紛らわしく語感も悪いので、武蔵を抜いた普通の地名で呼ばれることが市内では一般的です。また武蔵小杉に限りませんが、かつては武蔵工業大学(現:東京都市大学)がムサコウと略されており、紛らわしかったという意見もあります。このような慣例からして武蔵小杉だけムサコと言われるのには違和感を覚える市民もおり、私もその1人です。
一方で川崎市がムサコの名を売り出そうとしていたこともまた事実です。一帯の工場跡地を今のタワーマンション街に再開発する際、市民公募で決定されたエリア愛称が「MUSACO」というものでした。ただ、その票数がたったの3票だったということもあり、結果として地元には定着しませんでした。議事録などについてはぜひ本著をご覧ください。アンケートに回答していただいた方には電子版を進呈しております。
MUSACOは愛称としては失敗に終わりました。しかし自然に湧き出たムサコについてはどうでしょう、これまではタワーマンションへ移住した人々が持ち込んだとも言われていましたが、市民の中でも一定の認知度を得ていることは現実としてあります。小杉派ムサコ派と一枚岩ではない武蔵小杉がムサコの代名詞と言われるようになってから、ムサコ論争は加熱かつ複雑化してしまいました。
ムサコはどこ?
小杉派川崎市民という、半分当事者みたいな複雑な立場の私見を申し上げるのなら、武蔵小杉以外はどちらもムサコで良いと考えています。特に目黒線に二つもムサコがあるのは普通に厄介ですし、武蔵小杉には小杉という通りが良く親しみのある呼び名があります。一方で武蔵小杉をムサコと呼ぶ人もいます。個人的には小杉を推したい想いに駆られますが、多様性が叫ばれる時代ですので個人に対して「違う!」とまでは言いません。(心がけているつもりではありますが過去に個人向けにクソリプを送っていたらすみません。)ただこういう理由の上で小杉をオススメしているというのはお分かりいただければと思います。
愛称を通じて全く縁のない街が結びつけられる、これは興味深い現象で、ある意味素敵なことでもあると思います。取材で武蔵小金井や武蔵小山へも訪れましたが、ムサコというきっかけ無しにはいずれの街について深く知ることはなかったかもしれません。そしてこういった性質を帯びたムサコは、まちづくりや町おこしに活用する材料としてじゃじゃ馬ながら面白いものがあるとも感じています。各区・市が姉妹都市になるでもいいですし、連携してツーリズム企画を興すのも良いでしょう。それぞれの街が健やかに発展していくことを祈念し、記事の結びにしたいと思います。
アンケート実施のお知らせ
弊サークルではムサコ論争に関するアンケートをGoogleフォーム上で実施しています。本来はこのような前情報無しにぜひ実施していただきたいというのはあるのですが、読んでしまった過去を消すことはできないので、率直な印象でご回答いただければ幸いです。回答後にはアンケートの統計の閲覧ができる他、小杉本初版をPDF形式の電子版として進呈しています。何卒よろしくお願い申し上げます。
↓こちらから回答いただけます↓
https://forms.gle/zPp6kN7PNkeXjv2H9