やりたくないことリストの方がやりたいことリストより機能した
今までに何度か『人生でやりたいことリスト』を作成したことがある。
変な文章だ。人生は1度しかないのに、何度か作ったことがあるというのは。
そう、やりたいことリストがあまり機能していない。やりたいことはあるけれど、人生で絶対に成し遂げたいこと、みたいな大きな夢が無い。
昔、北極のドキュメンタリーにハマっていた時、いつか絶対に北極に行ってみたいと思った。今もそりゃ行けるなら行ってみたいが、生きているうちに絶対行くんだ!!みたいな熱い想いは無いし、北極への行き方や必要な費用を調べるなど具体的な準備もしてない。そんな程度の願望ではある。
一方、20代半ばの時に作った『やりたくないことリスト』は、なかなか機能している。当時思いのまま書き殴った紙こそ捨ててしまったが、その時に書いたことは覚えているし、自分があらゆる選択をする時の軸になっているように思う。ちなみにやりたくないことリストの内容は、満員電車に乗りたくないとか、尊敬できない人の機嫌を取りたくないとか、北極のオーロラとは打って変わってスケールが小さいし、内容もありきたりだ。そこがポイントなのだろうか。
今日はやりたくないことリストについて考えてみた。
なぜやりたくないことリストは機能した?
年の始め、環境が変わったタイミング、誰かに触発された時…やりたいことをウキウキしながら書き出してみるものの、そこまで機能していない。いや、書き出して着実に達成している素晴らしい人もたくさんいると思うが、私の場合は書く時がピークだ。なんでだろう。
人は快楽を求めるより苦痛を避ける
嫌なことを避ける感覚の方が強いのは、心理学や脳の仕組みとして実際に説明されているようだ。
心理学には「回避動機」と「接近動機」という概念がある。前者は「苦痛を避ける力(やりたくない)」、後者は「快楽を求める力(やりたい)」を指す。
で、研究では人は回避動機=やりたくない!に強く反応することがわかっているとか。
これは進化の過程で危険を避けることが生存に直結していたため、苦痛を避ける感覚が脳に深く根付いているからということらしい。面白いな。
だから本能として、嫌なことを避けたい!という気持ちの方が強いモチベーションに繋がりやすいみたい。
「やりたくない」は経験に基づく素直な欲求
これは私の場合だけかもしれないが、冒頭に書いた通り、『やりたいこと』には大きな夢を書きがちであるのに比べ、『やりたくないこと』はすごく現実的なことだった。
やりたくないことリストには、過去に経験した苦痛や味わった嫌悪感の中で耐え難かったもの、耐える必要性を感じないもがリストアップされる。書いてることのスケールは小さいが、生々しくて素直な声だ。経験に基づくがゆえに現実的な視点だし、その「やりたくない」気持ちが果たされない時の苦痛も経験済みなので、解消のための具体的な行動に移しやすいのだろうな。
北極に行ってみたい!と強く願った結果として今年行けなかったとしても、失っているものはイメージしづらいというか。「今年は無理だったけど次の5年以内には」なんてスライドできるし、あまり苦痛は伴わない。
しかし満員電車に乗りたくないという、一見小さな、しかし日々自分を脅かしてくる苦痛は、これを解決しない限り続いていく。だからどうにかしようとするのだ。
やりたくないことリストの良いところ
「やりたくないことリスト」という言葉から受け取る印象はなんとなくネガティブだが、自分の譲れないものを把握して選択の基準にすることは、結果的に建設的でポジティブな行動に繋がる。
そのために注意したいことは、やりたくないことリスト=ただのワガママリストにならないようにすること。
ただのワガママリストではない
たとえば、満員電車に乗って毎朝通勤するのは嫌だ!という「やりたくない」を解消しようと思えば、在宅勤務や始業時間を自由設定できるフレックス勤務という選択をすれば良い。
しかし、自由には責任が伴うと言われるように、自分の好きな勤務スタイルを選択しようと思えば、それで成り立つ信頼関係やスキルが必要になることは忘れてはいけない。
これは働き方の変遷や、業界・職種、企業カルチャーによって、見解がばらつくだろうが…あくまで私がいる業界で私の周囲と話している印象だと、まだ関係性が薄い時や、突出したスキルが無く即戦力ではない時から全く顔を合わせずに一緒に仕事をするのは難しいという意見もまだ多い。
リモートワークの良し悪しはさておき、目指す職種や働きたい職場で求められることがあるなら、そこはクリアせなあかんよね、ということだけ。だから、満員電車は嫌なので在宅勤務が可能な仕事をしたい!と思うのはOKだが、それを叶えるための現実的な課題設定と行動は必要になってくる。信頼を得て将来的に好きにやっていいよと言われるようになろうとか、特定のスキルを身につけてジョブ型の雇用形態を目指すとか。
「やりたくない」に素直になることは、とにかく苦痛を避けまくって、嫌なことから目を逸らし続けるということではない。やりたくないことから逃れる手段として、一時的には何かに耐えるべき時もあったり。
じゃあどうする?という問いに発展
あれもやりたくない!これもやりたくない!と言っているだけで終われば、残念ながらただのワガママリストになってしまう。そうではない。
やりたくないことを書き出せば、自分の譲れないものが炙り出され、「じゃあどうしますか?何が必要でしょうか?」という問いに発展する。だから具体的にやることが見えてくる。これがやりたくないことリストの存在意義ではないかなと思ってる。
苦痛から逃れようとする、なんて書くとすごくネガティブなことに思えるが、嫌だな〜苦痛だな〜というただの生産性の無い愚痴を脱するツールだと思えばポジティブなものだ。
やりたくないことリスト、おすすめ
やりたくないことリストは、単に嫌なことを列挙するだけでなく、自分の本音や価値観を浮き彫りにするツールである。たとえば、「満員電車に乗りたくない」という一言の裏には、「自分の時間や空間を大切にしたい」「朝をもっと気持ちよく過ごしたい」といった前向きな欲求が隠れている。それを掘り下げることで、やりたいことが自然と見えてくる。嫌なことを明確にすればするほど、そこから派生して「本当に望む未来」が描きやすくなる。
だからやりたくないことリストは、ネガティブなツールではなく、自分の未来を形作るポジティブなきっかけになると思う。ぜひ、試してみてほしい。
そんな提案をして、終わる。
今日もお疲れ様でした!