クリスマスと死
年々クリスマス商戦時期が早まっている気がする。
今年最初にクリスマス雑貨を目撃したのはハロウィン前の10月中頃だった。
いくら何でも早すぎないか?と友人にこぼすと彼女は、わくわくするから良いと言っていた。
感覚は人それぞれ。
そもそも私は昔からクリスマスソングやイルミネーションが苦手だった。
もっと言うと「死にたくなる」から苦しかった。理由は特にない。前世の因果かなにかとしか思えないくらい本能的に、死にたくなっていた。
子どもの頃がピークに辛かった分、今は何も思わないが考えてみると不思議だ。プレゼントが貰えるし大好きなケーキが食べられるワタクシ大興奮イベントのはずだったのに。
山下達郎の「クリスマス・イブ」なんかはイントロが流れるだけで暗澹たる気持ちになっていたし、ワムの「ラスト・クリスマス」なんかも死。良い曲だということはわかるけれど、条件反射的にぐわっと嫌な感情が押し寄せてくるものだから仕方が無い。
クリスマスイルミネーションは見ると何とも言えずもの悲しい気分になっていた。冬の冷たい空気にキラキラと輝いて、あぁ死にたいなぁと。
きっと前世は外国で物乞いをする独りぼっちの老人で、クリスマス時期に飾られたモミの木やイルミネーションを遠目に孤独に凍え死んだんだろうな、と想像する。
現世ではクリスマスの嫌な思い出はないので多分、合っているはず。
そういえば私には元々、「死にたくなる瞬間」というのがたまに来ていた。
それは自分の感情とは別で、主に冬の夜、冷たい風を切って歩いている時や駅のホームで電車を待っている、そんな何気ない時にやってくる。
突然、頭の中がガッと「死にたい」という言葉でいっぱいになり、心がギューッと苦しくなる。
それに捕らわれないように強く「嫌だ」と念じ続けるとしばらくして去って行く、そんな瞬間。
当たり前にありすぎて何の疑問も持っていなかったが、子どもの頃にしか訪れなかったので心霊現象的な感じもする。
それに「死にたくなる瞬間」の大体が冬だったので、やっぱり前世は冬の寒い街中で死んだのだろうと思われる。
それから、藤田嗣治というかレオナール藤田が描いた宗教画を生で観た時、唐突に涙を流したことがある私は、前世信心深いキリスト教徒だったに違いない。
そうして信心はパンを生まないとわかって、今世では無宗教の日本人になったのだろう。
めでたしめでたし。