「コトバ泥棒」についての考え方
誰もが発信できて、情報が溢れて、どれが一次情報か、誰が最初かもわからず、TTP(徹底的にパクる)がビジネスの王道だとも言われて。
もう、盗む盗まれたという発想自体が古いのかもしれない。
それでも、自分が作ったと確信していたものが、「あれ、盗まれた?」とモヤっとしたことがある人も多いのでは。
かつて、個人向けのあるサービスを始めたら、思いがけず多くのご依頼をいただいた。
そんな時、「コミュニティ内の別の人が『こんなサービス始めます』って投稿してるけど、みきてぃのサービスにそっくりだね」と連絡をもらった。
その方のブログを見たら、サービス紹介文もそっくり。値段は私よりも1500円ぐらい?安く設定してあった。
「え?そんな恥ずかしいこと、する?」と思ったけれど、その後、そんなことはどこにでも起きていることだと知った。
「隣の店が、バナナ大福を始めて売れているから、うちもバナナ大福を売ろう」みたいな感じだと考えれば、自然の流れとさえ思える。
需要があれば供給が増えるのはお客さんにとってはメリットかもしれない。
「コトバ」はもっとあいまいな商品だ。
一般的にキャッチフレーズのような短い文章は著作物とはならないとされていて、登録して独占できるものではない。
個人に定着したフレーズ「今でしょ!」もそうだし、企業のスローガンで言えば、NikeのJust Do It!とか、Apple社のThink Different. なども、日常会話で使われる既存の言葉だ。
でも、かつての名作「そうだ、京都へ行こう」を模して、「そうだ、大阪へ行こう」をキャッチコピーにしたとしたら、冗談だと思われるか、そうでなければ、それを提案したコピーライターも、採用した自治体も「恥知らず」ということになるし、永遠に京都の2番煎じの存在から抜け出すことはできないだろう。
でも、そういうことが、結構行われている。
私はライターとして、誰かの大事な商品のコトバを考えるときに、「売れているから」と他の商品のコトバを盗むなんて、そんな発想自体が嫌い。
私がお金いただいてお渡ししたコトバが「盗られた」と聞くと、悲しい。
盗られる側になった人に対して、慰めの言葉をかけるとしたら、
「言葉は深い思考と掘り下げの結果であり、その完成した言葉だけを横取りしても、そんな根っこのない言葉にパワーはないから、大丈夫だよ」
ということになる。
完成した言葉はたった5文字でも、何時間も(企業の場合は何週間もかけて)ヒアリングしながら、そのサービスや商品の本質を掘り起こした上での言葉。
結果的にありきたりな言葉であっても、オリジナルな言葉としての魂がこもっているし、パワーがある。
その上部だけを真似しても、根っこがなければ存在ごと腐っていく。
こんなこともあった。
私は自分のサービスに合わせて複数のキャッチコピーを使っている。
ある交流会で、その一つ「人は言葉に恋♡をする」が刻まれた名刺を渡した瞬間、
「これ、いいですね!僕も使おうかな」
とつぶやいた男がいて、私は思わず
「だからお前は売れないし、モテないんだよ!」
と言いかけて飲み込んだ。
でも、そういうことじゃない?