あれは中学生の頃です
当時
哲学のての字も知らないような
まだまだ少年だったころ
もしくはただの
厨二病だっただけかもしれませんが
何かのタイミングで
友人と宇宙の話をしていて
イメージがどんどん広がっていき
自身が
地球の外側に飛び出したような
そんな臨場感に浸りかけたとき
なんだか急に怖くなって
身体がビクッと震えた経験がございます
これ以上は踏み込んではならない
と
身体(心?)が
訴えかけてくるかのように
改めて思い返すと
あの臨場感と恐怖心は
一体なんだったのだろうか、と
そんな経験は
その後もごく稀に起きたりしましたが
実害は特にないので
深く考えないようにしておりました
・そんなこんなで現在
忘れかけてた頃に久しぶりに
やってまいりました
あの謎の恐怖心
開けてはならない扉を
開けてしまったかのような
・ちなみに
最近は“無”について考察しておりまして
じわじわと収集した情報が
勝手に結びつきを得ようとしている
そんな感覚であります
時間や歴史
感情や思想
過去や未来
ありふれた言葉だからこそ
その深淵もまた
本来シンプルなのかもしれません
結論としては
考えることにフォーカスする
その最大の理由は
考えないようにすることにある
じゃあ行き着く先には
何があるのかと問われれば
あぁ何も無いんだな
と
在ると思うこと自体は
そもそも無意味であり
在ると思いたいその気持ちが
ただただ在るだけなのだと
むむむむむ
ほんと簡単に説明すると
何もないんですよ
生きる意味も生きがいなんてものは
初めから
人間もまた、ただの動物ですから笑
ふぅ、スッキリ!
最後まで
お読みいただきありがとうございます