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出会いと別れ
人生は出会いと別れの繰り返しだな、と思う。
年の瀬だからこんなことを考えるのだろうか。
あんなに仲良かったのにタイミングやそれぞれの環境の変化で疎遠になってしまったり、それがきっかけで「今更連絡したらキモいかな」と変な気を遣ってしまって、億劫になってしまうこともある。
なんなら久しぶりに連絡したら、何かの勧誘とかだと思われるかもと思っている節もある。
そして私は本当に悪い癖だと理解しているけれど、俗に言う〝人間関係リセット症候群〟の人である。
急に過去のことを思い出して「あんな風に発言したから嫌われたに決まっている、あの人の記憶の中から自分を消したい」と思って、つながりをバチンと切ってしまう。
どんなに仲良くても、知り合いだとしても、インスタをフォローしないこともある。
フォローされる前にブロックしてまわっていた時期もある。最低すぎる。
それは自分にとって処理しきれない情報や、眩しすぎる生活をしているひとを見ると苦しくなるからだ。
他には「こんなクソみたいな人間の情報が目に入っても迷惑だよな」とか勝手に考えてしまう。
私は基本的に美術館、建築系の投稿、雑貨屋さん、飲食店、好きな顔の女の子、好きなバンド、よく会う友達の情報収集のためにInstagramやXを使っている。(よく会う友達の情報収集ってなんだよ)
「こんなに頑張っている人がいるのに、」「こんなに楽しく過ごしている人がいるのに、」とか勝手に想像してしまったり、仲良いと思っていたメンバーの集まりに呼ばれてないことに気づいたり。
SNSの悪いところだ。
見たくないものまで見える時がある。
あくまでもいい面をみんな見せているのは理解しているつもりだ。
だけど無性に、見えない壁を感じる時がある。
そういう小さな不安から「すみません、自分みたいな人間が存在して.....これまでありがとう....さよなら......」と関係を絶ってしまうのだ。
相手は何も思ってないと思うよ、とどんなに言われても自己肯定感の圧倒的な低さからこのような行動を取る。
これをすることで更に関係性の溝ができることはわかっているし、治すべき思考の癖だとは理解している。
理解していても、なかなか難しい。
だけどその自分の考えすぎる癖から学んで行動に移せているいい面もあると思っている。
例えば「飲み会などの集まりに、来れない可能性が高い人にもまずは一旦声をかける」だったり、「来れないって言っている人にも次回の開催の有無や、また誘っていい?などの声掛けをする」だったり。
きっと頼みにくいだろうなと思うことは先にこちらから声をかける、だったり、プレゼントを渡す時はみんな平等に、その場にいない人にも用意する。
大多数の楽しさから、少数の寂しさを生まないようにという意識はすごくしているつもりだ。
誰も気づかなくても小さな配慮を持ちたいと、いつも思っている。
ここまでは自分が選ぶ別れの話。
これまで別れを選択したくなくても、相手から切り出されてしまうことが2回あった。
ここからは受け身になった時の話をしたい。
当たり前のことだけれど、どちらかが選択したことを伝えるのだから必ずひとりは受け身なのだ。
前の彼氏に別れを告げられたとき、私は受け身だった。
簡単に言えばフラれたのだ。
ただ、受け身とは言ったものの、発端は「もう私のこと好きじゃないよね?」と自分が切り出したことだった。
若干受け身かどうか怪しい。
このセリフからいかにめんどくさい女かわかる。
めちゃくちゃニオイます、めんどくさい臭。
この時に別れがいかに辛い事なのか、理解したはずなのにどうしても自分から相手を切り離す癖が抜けないこと、本当に薄情な人間だなと思う。
相手を傷つける行為。本当にやめたい。
完全に受け身の別れを切り出された話は、今年の4月の話だ。
これが本当に初めてだったかもしれない。
だからこそとんでもないダメージを喰らった。
(初デビューおめでとう❗️)
別に友達でも、恋人でもなんでもないけれど、なんとなくこのままずっとこういう感じに仲良くやってくもんかと思っていた。(立場考えてものを言え)
詳しくは書けないけれど、心の拠り所だったのは間違いがない。
友達とも彼氏とも違う、なんかまた別のベクトルで心の拠り所にしていた。
なんだろうな、言葉にするなら〝目標〟が1番近いと思う。
この人みたいになりたいし、この人みたいな考えをしたい、この人が頑張っているから頑張ろうと思える。
そういう風に自分をポジティブに変えてくれる人だった。
昔、友達から言われてすごく嬉しかったことがある。
「〇〇さん(上記のひと)と出会ってから前よりずっと安定して見える。ほんとうに素敵な人に出会ったね!いい影響がたくさんあったね。」
その言葉通りだと思う。
本当に出会ってから〝人のいいところを見つけたい〟とか〝相手を思ってどんなことも笑えるような言葉選びをしたい〟とか〝向き合って逃げない〟とか〝努力を怠らない〟とか〝モチベーションを管理する〟とか〝お酒の飲み過ぎには注意〟とかいっぱい学んだ。
(最後学ぶ必要なかった可能性あるけど)
理想の上司みたいな感じだった。
憧れるってこれだな、と思っていた。
この人に見られているからと、取り繕っている面もあったけれどそれはいい努力の仕方だったと思う。
頑張れたことも頑張っていることも、相手のいいところも見習いたいところもすべて言葉にして伝えたかった。
突然浮かんだ感謝も思ったらすぐに。
あんなに周りの人から好かれている人を見たことがなかったし、いろんな気遣いができるところが愛される秘訣なんだなとたくさん学んだ。
圧倒的なコミュニケーション能力も自分にはないものだったから、すごく勉強になった。
それに器がすごく大きい。とんでもないと思う。
どんなことをしても、本気で怒られたことはないと思う。(怒ってたらすみませんでした)
怒っているところはほぼ見たことがなくて、これは流石に怒るか!みたいなときも、自分が怒って吐く暴言とは比べ物にならないくらい優しかった。
勝手に(多分)仲良しだし、尊敬してるし、相談もできるし、一生このままなのかなと思っていた。
だけどやっぱり冒頭に書いたみたいに、お互いの環境や人間関係、立場の違いとかいろんなことが重なって縁は簡単に切れてしまうんだということを知った。
お別れをした4月は、悲しくて食事は喉を通らない、涙が止まらない、少しでも脳内の隙間が生まれた瞬間「お先真っ暗や」と思っていた。
仕事が死ぬほど忙しくて感謝したのは後にも先にもこの時だけだと思う。
本気で楽しかった思い出が脳内を駆け巡った。
死ぬ時の走馬灯に出てくるやつだと思う。
恋人に振られたわけでもないのに笑ってしまう。
でも心の拠り所だったのだ。仕方ない。
昨日、大好きな文章を書くお友達が、〝人間関係〟や〝縁〟について書いていてすごく感銘を受けた。
「いつかは終わりが来ると思って人と接する」と肝に銘じているという内容だった。
振り返ってみれば「ずっと続くだろうな」なんてすごく独りよがりで約束も法律もなにもないのに、勝手に信じ切っていて、目の前のことを大切にできてなかったんじゃないかと思う。
あのとき、あの瞬間をもっと大切にしたらよかったと振り返って思うことがたくさんある。
「これが最後だ」と思えていたら、「もっと相手のことを考えられていたら」、次々と後悔が浮かんでくる。
彼女の文章を読んで、もっと今周りにいる人を大切にしようと思ったし、今離れてしまった縁も無駄ではなくて自分を作ってくれた背景になるから、もう会えなくても元に戻らなくても「ありがとう」と思えるようになった。
自分の中でモヤモヤしていたことがすっきりして、大切にしたい思い出はもう思い出として〝大切なものを入れる箱〟の中に閉じ込めることができた気がした。
時々思い出して、その箱をパカっと開けて、心があったかくなればいいなと思った。
その時に「まだやっぱり悲しいな」と思っても、その感情はその人に出会わないと得られない感情なのだとしたら、特別に思える。
大切にできると思う。
それを今年のうちに気づけたことがうれしかった!本当にありがとう、あんぽよちゃん。
最高な文章なのでぜひ読んでみてください。
(こんな素敵な文章を書く彼女が、noteをはじめたいと思うきっかけが私だと言ってくれたのも本当に嬉しかった!)
すでに出会っている人も、これから出会う人も、離れてしまう人も、もう後悔がないように、大切にしたいと思う。
離れてしまってもきっと必要なタイミングがあれば、縁って繋がるものだと思うし。
(直接的なものでなくても。海に眠るダイアモンドを見てそれをすごく思った。いいドラマだった....)
とにかく人も言葉も大切にしたいから、今日も文章を綴っています。
明日も明後日もこの気持ちをしっかり持って、優しくありたいなと思う。
新年になったからといってすぐ変われるわけじゃないから、一歩ずつ。
あ〜、今年もあと4日しかないです。はやい〜。
惜しみなく過ごします。
そして、最後に。
今年の4月に泣きながら何度も聴いた曲を添えておきます。
(その時思い出を詰めたプレイリストも作った。ちょっと感傷に浸りすぎて気持ち悪いですね〜)
ハローとグッバイの
境日は威に表裏一体で
僕なりに素直な言葉で伝えてみようと思った
夜明けの交差点に立ち君に電話をかけた
どうしたって
僕らは見えない未来に
ちょっと足踏みをするのです
価値だけ探してもう迷わないようにと
君は生き方をくれたのです
今聴くとまた違った聴こえ方をする。
生き方をもらったんだな、と素直に思えます。
2度と会えないわけじゃないからこそ、誰も傷つけず、相手を尊敬し続けられる距離感でいたい。
言われたことも言ったことも、嘘はなかったと信じたいし、言われて嬉しかったことやそれがきっかけで起きた自分の変化を大切にしたいなと思います。
私も、相手にそれくらい残るひとになりたい。
これからもずっと変わらず背中を追いかけたい、関係性が変わった今でも。
ちゃんとそんな風に思えます。
おしまい。