結局、現在進行系で……
うつ病として。
精神科通院を続けてるわけですが、転院する以前の病院に、臨床心理士の資格を持つ先生が居たので、カウンセリングをしてもらった結果、
「現実の深い所を見つめすぎです」
という、指摘をうけたわけですが。
まぁ、おおかた予想通りというか。
子どもの頃から言われ続ける、ありえないだ、そんなはずはないだという否定。
HSPという言葉に触れるのは、ブーム以前から知ってただけでなく、
「まぁ、多分そうなんだろうけど、基準がない以上証明できないし、あまり受け取らないようにしよう」
そうやって、敢えて自分は違うにするために、外してたという部分の確認を。
狙ってやった結果。
その結果、大方予想通りの物を得た。
だったりするんですよね。
ホントこう、幼い頃から自然と。
それこそ、感覚的に掴んでしまうわけですが。
余りにも、人の外というか、親すら受け止めきれずに、後悔して謝罪するレベル。
なのでねー。
どうやっても「ありえない」「そんなはずはない」
そんなのは人間じゃないから。
っていう、否定をうけるから、敢えて封印というような。
自分自身がそういう扱いをしなきゃ「生きていけない、生きるのが難しい」
うん。
正直、病んでて辛くても。
否定されてしまうから、相談すら出来ないのよ。
よくあるパターンとして。
まぁ、否定されるのは、お前が間違ってるから、という、ね。
言われるのもわかってる。
それ程に嫌ってほど経験してるので想像出来るし、それこそ相談に乗ると自然とやってしまう読みのような。
勝手に頭の中にイメージが湧くので、お前が間違ってんだよ!というのは、予想してる反応なので、返し方は準備してる。
そういうものです。
「客観視が強い」
転院してからも、似たような指摘をうけるわけですが。
見える、聞こえる、感じるからこそ、気付いて把握するというライン。
目や耳があるだけでなく、受け取ったものを脳が処理した結果。
嫌でも、言及したら「そこまで気づけない」と、言われてしまうのが当たり前。
でも、それ程当たり前に、個人としては「そのラインが、把握可能なライン」だっつーのよ。
その、ラインが。
普通の人なら、そこは気づけない。
気づけないから把握できない。
でも、把握できる人に指摘されたら気づける。
とはいえ。
人間誰しも、ね。
無意識であっても、そういう部分に感づくと防御に入るくらい。
その防御に入った結果というのが。
「ありえない、そんなはずはない、普通じゃない」
様々な言葉で発せられる”否定”なんですよね。
普通に会社員やってる時には、気づくだけでなく、周囲を把握してる様があまりに異様なので。
「お前は、エスパーか!?」
って、言われるくらいに、気づくどころか、自然と配慮もするし、その配慮は自身の行動=仕事をする上での最小限の動きに組み込んでやってる。
うん。
普通のことよ?
その、エスパーか?って、他人からすれば言われかねないような行動をとってしまうのも。
普通、と言えてしまうくらいなんですよ。
よく気づく=気づくからこそ把握してる
音がしたから、気づいた。
ガラスが割れるような大きな音がしたので、駆けつけてみたら。
実際にガラスが割れていた。
こういうのは、音が大きいので、特段目立ちはしない。
でも、救急車などの緊急車両の接近。
距離で音の大きさは変わるというのは当たり前。
でも、何故か不思議と、自分だけ聞こえるタイミングが早い。
聞こえた時点で、同乗者であれば、運転者に声をかけるのですが……。
同じ様に聞こえてないので、
「音なんてしないじゃん?」
と、返されてしまいます。
でも、聞こえてるし、後ろから来てるからねー、と追加で返すだけでなく、実際に、少し遅れて聞き取れる。
こういう、緊急車両の接近というのは、それこそ、日常生活の中でありえることなので。
本当にそうあるなら、こういう部分で目立つんですよ。
「なんで、お前は毎回、気づくの早いんだよ」
という感じで。
そういう意味では、後悔した母親含め、実は普段から接してる部分にもなりえます。
でも、やっぱり音というのは、自分も聞こえるものであれば。
その人にとっての聞こえるタイミングが基準になるわけです。
いち早く気づくのはいつものこと。
でも、一緒に居なければ実感が出来ない。
という要素も含んでしまいます。
とはいえ、それこそ、機会が多いだけでなく「お前はほんと毎回」というくらいなので。
いい加減「そういう人なんだ」という、線引してちょうだい!
聞こえるのがおかしい、と言われても。
毎回そうあるというのを、体験してるじゃないか……。
一緒に居て、体験してしまうのに、おかしいだ、ありえないだ。
なんで、そんなに否定すんの?
自分に出来ないから。
だから、やってしまってるのは、アンタじゃなくて私なんだよ!
ほんとこう、色々面倒なんですよ。
自分に出来ないこと=私は毎回というほどにやってしまうこと。
でも、音がいち早く聞こえるというのは、ある意味。
能力が高い、ということにもなるので。
上に上げた防御として。
自分より優れたやつが居るなんて認められない。
というのが、発動するんですよね。
とはいえ。
流石に無意識下の部分は、予測なので、多分おそらくとか、可能性という部類なのですが。
相談、というケースだと、一致度に驚かれるほどには。
細かく気づく=それ程に、把握できてしまってる、と言うことでもあるんですよ。
それ故に、相談ができない
それこそ、ガマンしすぎてメンタルを病んでしまった身です。
自身が相談を受ける場合は、相手の利にもなる=安心が得られたり、解決の糸口になる。
なので、驚かれても、受け入れられるというか。
寧ろ、下手すると自分の事のように持て囃す人も居ます。
でも、だからこそ。
相談する側になると、乗る相手の上を行ってしまうので、相談する意味がないと言うか。
受け止められないから、寧ろ、相談しない方がいい。
ということにも、なってしまいます。
それこそ、1歳の時点でのおかしさ。
言葉が理解できないからこそ、そんな行動は取れないはず。
でも、取ってる以上、何らかの形で把握してる。
母親も困惑するわけですよ。
洗濯物を干そうと、洗濯機から取り出してる間に、本やおもちゃも一緒に、私が場所を変えている。
姿を確認した上で行動したら、それを私がみてたのか。
「気付いて、邪魔にならないように場所を変える」
という、ね。
それこそ、成長してからも、
「なんで、あんたそんな所に気付いてるの?」
あまりに、こう、普段からそうあるせいか。
気付いて言及した母の声には呆れが含まれるほど。
まぁ、私の方は、その頃でも普通のことだったので。
「だって見えてるもん」
気付いてるから、行動するのは当然じゃーん?
という、感じです。
うん。
人の想像というもの。
そういうのも、やはり想像する人の経験、実際が基準になるわけですが。
どうにもこうにも、想像しうる限界を超えてしまってる。
こうやって、色々書いてても、書いてる人自身が書きながら。
「流石に、書いて手なんだけど、自分でも疑ってしまう程」
だからまぁ、相談した所で、寧ろ相手が無理という所を逆に相談相手が指摘するという、”ねじれ”を発生させるので。
相談出来る人が居ないが故に、相談ができない。
そんな感じです。
それ程なので、いい加減、ヤバイ状態に
なってきてます。結構真面目な話として。
昭和という時代に。
生き残るために「自分ではない自分、周囲と同じ、周りがもとめる自分になる」
幼いながらにそう意識しただけでなく、それこそ強く暗示をかけるように。
更には。
「結局、気づくのは自分が先なので、それこそ周囲は気づかない」
だから、親ですら気づくことが出来ないレベルで、自分自身を調整するというか。
コントロールしてるような感じですが。
いよいよというか。
そりゃ、うつ病と診断されて休養してても、休まらない。
結構、崖っぷち、です。
というか、いい加減こう、流石に、ね?
もう、抑えるのも、無理になってきた。
まぁ、にわかに信じがたい話ですが、病んでても、
「まだ、抑えてました」
と、言えるほど、です。
あれこれ突いてるのは、あれでも可愛い方なんですよ。
自分で言うのも馬鹿らしいですが。
幼稚園児、という時点で。
親も先生も、ケアどころか。
子供に上手を取られたくないがゆえに、抑え込みに来るほど。
それに対して、子供ながらに相対してきましたから。
だからこそ、根っこになって残って、精神病んでしまった。
でも、ね。
転院するまで、口にしてしまうと、それこそ、
「そういう人はみないから、会ったことがないから」
いや、それ、社会人してて。
親ほどに年が離れてる人から、それ程に仕事ができるという部分でも。
言われてた事なんだよなぁ…。
なので、言われてしまったら、ガックリと肩を落とす。
通院してても、それ程に難しい部分にすら、なり得るんですよね。
まぁ、現状落ち着いてるとは言え。
落ち着いてきたからこそ、今まで余裕がないが故に。
それこそ、無意識からの自己防衛として、見ない、気づかないが出来てた部分が、再度表に出てくるようになり。
朝の光を浴びると、ね。
過去にはそれこそ、冗談でやったくらいに。
「朝の光が、朝を迎えるのが、ヤバイ」
それこそ、幼稚園に通いだしてからの、親からすら受けてきた抑え込み。
抑圧の記憶が、嫌でも、ね。
それこそ、体調に作用して動くのが辛い…になるような状態が、再度きてるので。
お腹も下りやすくて、大変ですじゃ。
そんな感じです。
なのでね?
自分の都合のいいおもちゃみたいに扱うのはもう。
止めておくんなまし。
実際にそういう物を持たなければ、分からない深み。
深いからこその、闇という部分。
良い部分だけでなく、悪い部分も一緒なんですから。
都合のいい部分だけ見るんじゃねーですよ、ほんと。
あとがき
これ以上は、流石にこう。
実際に事が起こらないと……。
というような内容は伏せておきましょう。
まぁ、正直言うと、しんどいです。
世界情勢見てても、一旦は進んだ時代が、逆戻りしてるじゃん!みたいな事態も発生してますしね。
そのせいか、それこそ、病む前でも忘れてたような色々を、嫌でも思い出すことになってしまってます。
世界情勢だけでなく、被害者、遺族感情ガン無視という、ね。
昭和の頃の悪い状態とも言える事をやってくれてますし。
時代が一周して、悪い意味でのなし崩し。
そういう時代が来ると、今以上に苦しむというか。
一周する以前は、高度経済成長とバブルが被ってたから、まだ余裕があった。
でも、今はそれがない。
はてさて、どうなるんでしょうか?
という、”危機感”を持った方が良いのかもしれないですよ?
じゃないと、いざ事が起こると、対応が出来ず騒ぐだけ。
騒ぐばかりで傷口を広げるだけ。
ここ3年くらいも、そうあったと思います。
まぁ、経験しないことにはわからない部分でもありますが。
正直、親という立場になってる人は、子供の為とか言うくらいなら。
いざという時に、自身が立つ覚悟をしとけ。
政治とか、世の中が必ず助けてくれるだなんて。
そんなの甘い幻想です。理想ですらない。
はぁー、流石に今回はラストでぼやきますよー。
人間って、めんどくせええええええ!!
それでは。