書くリハビリ 自分らしさとは?
今回は、サブタイトル付けてみました!
ドドン。
さて、自分らしさとは、一体何なのでしょうか?
という感じですが、それが自分だから、で意外と済んだりします。
個人として、時折「清濁併せ呑む」という言葉を使うのですが、これは良い人悪い人という、噂や上辺の印象に流されず、ひっくるめて受け入れて付き合うという感じの意味合い。
それを、応用するかのように、良いも悪いも、自分の持ち物なんだと、自分が受け入れてれば、自分らしさって結構色々出来るもので。
また、他者からの指摘は重要でもあります。
ですが、絶対ではないんですよ。
それは何故か?
だって、頭の中覗けないのに、印象だけで決めつけてくる事も多いんだもん
ということで、その辺のお話を。
あくまで個人として
色々あったというだけでなく、感受性だったり、視認で受け取る物の多さ、幅の広さから、幼い頃から抑えてただけであって、出せば時折、周囲が驚くほどに色々把握してる、というタイプだったりします。
また、この辺は他の記事で書いてますが、それが悪さをしてたので幼少期から抑えてました。
なのでまぁ、気づいてるとは言え敢えて言わなかった事として、
「上辺だけで決めつけちゃダメよ?」
決めつけるにしても、根拠がないというか。
そういう情報がある、そういう話題を知った、今はそういう時代、という感じで、その人どうこう以上に、自分がそれをもってそう判断したからという、ね。
曖昧すぎるからこそ、相手が感情的になる指摘って相当に多いです。
うん。
なのでまぁ、あくまで参考というくらいの人も多いので、流されずその場はやりすごして、ゆっくり出来る時に、
「今日、こういう風に、あの人から言われたけど、何でかな?」
言われてる状況を思い出せるだけ思い出してたら、発見がある、ということはあろうかな、と思います。
自分は記憶力が悪いから、という人も居ますが、そうやって思い出すようにしてたら、脳の方も後々思い返すことがあるという部分から、少しずつ残してくれるようになると思います。
こういうのも、ね?
勉強と同じで、繰り返してたら、身につく物だと思いますし、だからこそ、脳を使って記憶力を少なからずでも上げよう、みたいな。
ただ、絶対にうまくいく保証はないですし、皆が皆同じにならないというのは、学力や運動能力も同じく、記憶力もどうしても差がでます。
そこに付け入ろうとするかのように、自分が上と感じたら攻めてくる人もいるわけですが・・・。
上には上がいるし、最上級というレベルではないと思うので、好きなように言わせて流したほうが良いです(笑)
お前の脳みそは、イチロー選手レベルなんだな、レーザービーム出来る肩レベルなんだな?
とでも、言ってあげるのも・・・いや、喧嘩になるので止めましょう。
まぁ、そんなもんなんですよ。
悲しいかな、人間も動物です。
なので、どうしても深い所でそういう優劣みたいなのを揺らされるものなんですね。
縄張り勝負に勝たなければ・・・とは言わないまでも、ね。
そういう部分が深い所にあって、更に上層の感情を揺らしてもくるので、自他ともに意外と、良い悪いは正しく把握できてないことも多い、です。
うん、自分もそうなんですよ。
まずは、こういう、ね。
良い悪い、正しい間違いについても、自分についてを受け止めてたら、意外と流されなくなりますし、
こういうのが、客観視の為に必要になる
という部分からも、試してみると良いかも知れません。
うん。
はたして、自分らしさとは?
なんでしょうね?
うん。
というか、らしさって、男らしさ、女らしさ、子供らしさと様々あって。そういう相通じる”らしさ”から他者からの指摘もされます。
ではそれが、自分らしさになるのかどうか?
うーん。
まぁ、自分が受け入れられるか?ですね。
個人として、よくある自己肯定感なんかクソと言ってしまうのもここに理由があるんですよ。
自己肯定感って言うけど、自分だけで使うのではなく、自分であるからこそ肯定も否定もする人に、
「否定は自己肯定ができてないからだよ!」
と。そうあるのが自分だからと、自分自身が肯定した上でやってるのに、上辺しか知らないどころか、上辺しか見れてないのに、わかったふりしてマウントとってくるので。
すごく、邪魔です。正直な感想として。
こういう、自己肯定感がどうこうっていうは、そういうのを知った人がうまく扱えなきゃいけないのに、上手く扱えない人に限って心地よく伝わるような内容にしてる本とかクッソ多いですから。
自己肯定って、自分自身が、己のものとして、肯定する、であって。
他人が口を挟めるもんじゃないんですね。
そして、自分らしさ、も同じだと思います。
そうとは言え、そういうものだからと。
自分自身が、ふんぞり返ったり、都合の良い方向に変えるようだと、自分らしさは寧ろそういう悪い部分になるとも思います。
なので、注意も必要、と。
それ故に清濁併せ呑む。
良いも悪いもは、全部自分の持ち物だから。
いい部分は、傲らないように注意しつつ伸ばして。
悪い部分は、他者はどうあれ自分は反省して気をつけよう。
そういう、自分を変えれるのは自分自身だけ、という実践を行う事も、自分らしさに含まれるし、実践してればそれが自分らしさだ、という、ね。
長い時間が必要かもしれませんが、ぶれない自信になると思います。
過信だけは、注意しないといけないですけどね。
自分らしさの難しさ
それは、自分だからこそ把握できるとは言え、自分だからこそ、そこを揺らがせることもある。
ここだと思います。
特に悪い部分を直そうとすると、外側に頼りがちにもなりますし、頼ってたら違う人からの指摘が深く刺さる、世の中の変化として価値観が変わりだす、そういう様々な要素もあって、揺らぐんですよね。
その揺らぎが不安になるし、過剰に悩みすぎると精神疾患になりかねません。
なので、自分らしさって大事かもしれませんが、どうしても自分に合わなかったり、上手く出来なかったりと。
また、出来る他者、成功した他者を見てしまうと、実際の深いところには振れられないのに、成功という部分だけで、自分が劣ってる、と。
判断もしてしまうのも人間なんですよね。
自分は自分、他者は他者。
わかってるんだけど、どうしても・・・・。
そして、同じ思考が掘って戻って、掘って戻って、と。
少しばかり掘りはするものの、また地上に戻って、別な方向を掘ってみるもという悪循環にもなると思います。
私もそういう時期が長かったんです。
うん。
なので、しばらくは全般性不安障害という、原因がはっきりしない不安による症状が主になってました。
それが、ね。
良くも悪くも、感受性というキーワードから、色々あれこれ書いただけでなく、調べて知ったり、その上で考えたり、なりふり構わず受けたカウンセリングでの指摘で気づくことになり。
今までは、敢えて目を反らす、もう認知曲げてますよ?という状態だったのを、修正し始めたので、不安ではなくなった。
そういう流れもあったりします。
なのでねー。
自分らしさって、よくわからないなぁ、という時は、必要以上に考えないで、時間をあけるのも有りだと思います。
出来ない時に、なんとかしたいからと拘るのも。
拘ってるようで、無理してる状態でもありますし、それで進めないから不安になるというね。
そういう事にもなりますので。
難しいと感じたら、一旦手放すのも、あり、です。
自分らしさなんて、自分には紐で結び付けられてるようなものなので、必要になれば自然と戻ってくるものでもありますよ。
あとがき
自分らしさや自分探し。
これも、諸刃の剣と言わんばかりで、固執しすぎるとイライラしやすくなったり、不安に陥ったりという悪さにもなろうかな。
なので、無理しないほうが良いと思います。
あと、自分らしさとはいえ、結局最終的に判断するのは、自分だと思います。
色々経験して、喜怒哀楽を感じながら過ごしていくと、徐々に出来上がってくる。初めて経験したことで、初めて「自分ってこんな所あったんだ」って気づくこともあります。
なので、時間もかかりますよー、と。
更に言えば、一旦固まっても、以降の経験次第では更に肉付けされる物と思いますし、良い悪いに固執せず、自分が受け入れて扱ってれば、徐々に揺るがなくなるもの、だと。
その様に思います。
まぁ、何事も程々にというか。
下手すると、悩みが不安になり、不安が精神を蝕むだけでなく。
現状では様々に怒りや不満というネガティブが溢れてますし、恐らく感受性関係なく、無意識にそういうのを拾ってると思います。
そういうのも、人間なので、ね。
だからこう、何かが切っ掛けで不安や感情が暴れて、辛くなりもする、と。
個人としては、過ぎてたので抑えてた=認知を曲げるという状態だったので、人間社会で生きるためとはいえ、周囲から受けるネガティブだけでなく、発生する葛藤なんかも多かったので、病み方も深いような状態です。
逆に言えば、敢えて抑えることで、負の深みから人間社会を見てた状態でもあるので、そういう事もいえるというか。
ここまで来ない内に、余計な固執は手放して、今は精神的な安定を誰かに、ではなく、自分で作るのが大事なことじゃよ。
と、余計なお世話も焼いてしまう、という感じです。
まぁ、ね。
難しいんですよ。
そもそも、自分自身が生きてれば、様々に見聞きして、様々に考え悩み、様々に経験するものなので。
自分らしさにレベルがあれば、生きてる以上常に経験値を上げてる状態友言えます。
なので、ね。
上手く自分自身がコントロールしていってれば、徐々に自覚という形で、自分らしさが見えてくると思います、よ。
それでは。