多分ここなんだろうなぁ。
ふと、思いついたというか、気付く部分があったので書いてみようかなぁ、と思います。
HSPって感受性の話であって、誰しも持ってるから同じように感じるのですが、どうしても気づく気づかないというように、感じとれてしまう部分に差があって、それが高い人という話でもあるのですが。
繊細とか敏感とか謎フレーズが付いたが為に、そうなってしまったという部分についての誤解。
そういう部分に触れてみようと思います。
現状ならマスクかな
感覚過敏でマスクをつけるのが辛い。
というのを最近聞きますけど、これって実際のところ、
そうあらないその他大勢もマスクの着用感はあります。
という感じで、マスクの着用感の部分で、アレルギーと同じ様に何かしらの過剰反応を感じ取ってるだけなのが、感覚過敏になろうかな、と思います。
なので、マスクを付けてる感覚って誰でも感じてるんですよ。
ただ、それが問題ないレベルとか、多少息苦しくても我慢が出来るとかで、感じとった後の反応の仕方が違うんですね。
で、音なんかもそう。
スポーツ観戦なんかでもそうですが、その他大勢もうるさい程の声援やその他の音って聞こえてるんですよ。
ただ、これも感覚過敏になると、過剰に反応してしまってるだけで、聴覚事態は誰しも同様に反応しています。音が聞こえてるんだから。
この、反応するための感じ取りが出来るか否か?で、おおよそ普通の人が感じ取れない部分を感じ取って、詳細に説明したり、人より早く気付いたり、見落とされがちな変化に気付くのがHSPという感じですかね。
そういう意味では、皆一様に感じ取ってる物の、反応が違うだけであって、その反応の違いは敏感さでもなんでもないんですね。
これがそうだと言い出すと、アレルギーもHSPって話なってしまう事にもなろうかな、と。
要は、感受性って、感じとった事で反応した結果の話ではなく、それ以前が感じ取れるか?感じ取れないか?って差の話になるんですよね。
集中力と反応の話
久しぶりにそういう反応をされて驚いたというのが、集中力と感じ取りの関係です。
個人としては、どんだけ集中してる状態にあっても、
・音が聞こえてます
・周囲の人の動きや気配も感じ取ってます。
なので、声をかけられればすぐに気づきますし、反応しない事により咎められる事って殆どありません。
普通に集中してる様にしか見えないだけでなく、自分で集中してるのも分かるほどですが、兎に角色々聞き分け、嗅ぎ分け、感じ分けしてて、自然と色々気づいてしまうんですよ。
そういう状態なので、声をかけられて集中力が途切れさせられたなんてまず思いませんし、話が終わったり、必要であれば場所を移動した後などでも、すぐに集中状態に戻れます。
集中してる部分と、感じとってる部分の入れ替わりで、メインに来てるのがどちらか?の違いでしかないので、集中が切れてるようで自分の中ではうっすらと維持されてたりします。
ただ、オーバーワークになると、流石に集中は切れますけどね。
周囲への感じ取りの方は、そういう部分とは別なのでこちら側はまだまだ全然反応するくらいですが。
また、この集中下での反応のし方も幼い頃からそうで、幼稚園からステップアップしながら、小中高と環境が変わっても常に言われてましたし、社会人になってからは、それこそお前はどうなってんだ?って言われる程に指摘されてました。
これもね。
結局は、周囲と違う感じ方をしてて、感受性が違ってるからこそという話になろうかな、と思います。
だからこそ、とにかくおかしい
詳しく触れたわけではないですし、伝聞のものなのですが、HSPを提唱したアーロン博士も、そんな感じで自身の気づき、感じ取りが行き過ぎてて、それが周囲と違う事に困惑してたという話を目にした事があります。
これって、誰しも感じてる物に対して過敏になってるとか、そういう事ではないんですよ。
そもそも、過敏になるなんて、イライラしてるだけでもなりますし。
怒りっぽい人が子供の行動で逐一怒るとかは、イライラによる過敏さ故の行動なんですよね。そして、イライラしやすい人だって、イライラする物を感じ取ってるわけですから、HSPって話になってしまうんですよ。
感覚過敏を切り分けておかない事には。
ホントこう、都合の良い所しかみてなくて、一緒にして欲しくない側は見てないですよね?って、言いたくもなりますって話でね。
また、内向的、外向的というのも、全然関係ないです。
これ、インドア派、アウトドア派って言う話ではないんですよ。こういうのも心理学として示されてる部分もありますし、その中では、感じとる事で得られる物に対して、自身だけによるものなのか、外部に居る周囲の人達との共同でのものなのか、という話なんですよ。
自分の内に向いてるか?、それとも外に向いて他者との共同なのか?
という感じです。なのでこれは、好みっていう部類の話にもなるんですよね。感受性としてどうこうではないんです。
とにかく、明らかに、周囲が感じ取れてないという部分に、そうある人だけが感じ取ってるというのがHSPっていう話という感じでしょうか。
なので、兎に角おかしいって言われますし、感じとった私に指摘されて意識して五感を使おうとすれば、周囲も何となくは...って感じ取れるようになる人も居ます。
なのでね。
感覚過敏を含むAD/HDとか、集中力の化け物みたいに良い方に出る事もあるASDという、発達障害も全然別物ですし、そもそもコミュニケーションが円滑すぎるんですよ。
なんでお前はそんなにうまくやれるんだ?って、寧ろ出来すぎてるという指摘をされるんですね。
それ故に、お前は自己犠牲が過ぎる、他者の為に気を遣いすぎだって感じでね。
コミュニケーションの部分も自分にとっては普通をやってるだけなのに、周囲からは出来すぎ、頑張り過ぎって言われるんですよ。
それは何でか?
環境や状況、現実という、それこそ大きなくくりの方との向き合いを自然と大事にしてしまうので、自他がどうこうなんて、眼中にないタイプって感じなんです。
人がどうこう以上の大きな流れに乗ってるだけなんですよ。
まぁ、そうあるからこそ、おかしいって言われるんですけどね。
あとがき
改めて原点に戻る。そういう経験をさせてくれるのもありがたいです。
そういう意味では、結構迷惑かけたかもしんない。
と、素直にごめんなさいしないといけないなぁ、と反省もしつつ。
感受性の差って、感じとれる感じ取れないていう単純な部分の差なんですよ。
なので、周りは気にしてないけど実際は感じてるって所は無視できないと思います。
それなのに、敏感で、繊細で、生きづらいとか、繊細さんの本とか、流行ったもんだから誤解されてしまってる。
どうあがいても、周囲が「気付いてない、感じてない」に気付く、感じるするからHSPなわけで、周囲は感じてても問題にしていないだけっていう、感覚過敏は全然違う話なんですね。
音も臭いも感触も、感じとってるけど問題にならない、だからスルー出来てるんですよ。感覚過敏じゃない人って。
そういう意味では、余りに気づき過ぎるので、お前は人間か?なんて事も何度か言われてますし、こうやって記事にするようになってからも、カウンセリングなんかで色々経験して、自分って人間なのかな?って自信喪失してるくらいなんですよ。
親も居るし、人の体も持ってるけど...。
ホントこう、ね。
私はHSPですって、基準がないのにチェックリストがあるおかしさに気付かない、基準が無いからこそ自称だろうが名乗れば違和感が生まれる、こういう所に全然気づけてないってのは、流石にどういうことだってばよ...ってね。
こう言うのって、違和感として感じ取られてしまうんですよ。
それ故に、自分主観が過ぎて、自分だけしか見てないだけでなく、そうある程に自己愛が強いんじゃないかな?って疑いたくもなりますって。
うん。
多分「感受性が高い」っていうのは、日本語ならではの表現でもあって、海外では使われない、ないし意味合いやニュアンスが違う様なものだったから、概念の提唱に行きついたのかなぁというような事も思い浮かべつつ。
今回はこれにて。