何が何でも「普通じゃないから」
流石に、ね。
「普通とは何か?」という簡単な問いではなく。
「私の普通じゃない所、それを説明してみなさいよ」
と、何度か突き返しました事もあったりするのですが、まぁ、ね。
普段から話を聞かないと言うか。不思議と、周囲より出来てしまう、出来すぎてしまう部分だけが「普通じゃない」と言われてて。
逆に、光でダメージを受けるという、私にとっては負の部分。でも、周りにとっては笑ったり、違うことで見下したり出来る部分すらも、
気づけてないんですよ。
だから、兎に角普通じゃない→みんなと違う→一般的じゃないというような。同じ意味の抽象的な言葉を並べられるだけ。
ほんとこう、バカバカしい話ですよ。
説明できない、根拠がない
確かにこう、ね。
色んな意味で。良いも悪いもが周囲と違ってる、皆と違ってる。だからこう、普通じゃないと言われるのは分かるものの。
流石にそれしか言わないようだと、理由を求められて当然なわけですが。
ただただ、多数派だから。という傲りもあると言わんばかりに、一斉に周囲が揃いも揃って、
「何がどうあって、どこがどうなるから、普通じゃない」
という説明が出来ないという。
これはもう、ホントこうね。
突っ込もうとすると、危機感感じるのか、説明出来ない自分たちが悪いのに、先んじて怒り出しもする。
まぁ、「普通じゃない」という言葉が向けられるときって、ほぼほぼ、周囲の為になってること、それでも想像以上のレベル、そういう事をサラっとやった時にだけしか言われないので、ね。
そういう、良い所をいいと認められないどころか。
悪いところも極端なので、笑って、バカにして、見下して、だったので、そこすらも気づけてないし、把握できてない、と。
そうなんですよ。
寧ろ話を聞いて、そういう人だとして、放って置いたほうが良いんです。
「普通じゃない」というのは良いけど、それを言い過ぎた周囲の方が、そういう自己暗示にかかっちゃってるんですよね。
だからこう、いつまでも。
環境変わって人が変わっても。
出来すぎてしまうから、普通じゃない、皆と違う。
それ程に、ね。
幼い頃から、兎に角、周囲が向き合ってくれない、受容だ受け止めるだ以前の状態だったんですよ。
世の中見ててもよく分かる
批判にしても、評価にしても、評論にしても。
簡単に言えば、両論併記。
良いところは良い、悪いところは悪い、それを見定めた上で行うもの、なんですよね。
でも、昭和の頃から、こう、ね?
本質を見失った、表面上の話題性。
それだけをもって、事の良し悪しを語ってしまう人が、多くをしめつづけただけでなく。
兎に角、自分の正義で悪を叩く。
兎に角、人の不幸は蜜の味。
情報を発信する側もする側なら、受ける側も受けるがわ。
人権、差別、誹謗中傷も、言葉を使うだけで、自分たちの行動を改める機会にしやしない。
うん。
それ程に酷いんですよ?日本という国の日常って。
結果、良い部分を良いと認められるのが。
結果を残してるプロだけに集約されてしまい、プロじゃなければ、肩書がなければ、アイツは大したことがない、と。
人を見極めることすらも出来なくなってるんですよね。
思考停止して、何年過ごしとるんよ?と。
個人として、お人好しと言われる部分には、
「良いところは良い、悪いところは悪い、出来ることは出来る、で相手をちゃんと認めた上で、自分の判断を持って行動してる。」
こういう部分もあったりします。
だから、状況や相手の立場、自分だけでなく集団として。
そう振る舞ってたら、真面目過ぎ、真面目すぎと。
いやその、それが普通じゃん?
ということすらも、それはお前が普通じゃないからだ!で、言葉を交わしもしてくれない。
貴方のレベルが高すぎるから、私はそこまでできないから。
いやいやいやいやいや。
対人関係って、お互いの尊重、お互いの歩み寄りがないと破綻するんだ。
そういうのも、何度も教えてたんですけどね。
教え上手とか言いつつ、こういう部分は、教えられても受け入れられない。
それはお前が普通じゃないからだ!
・・・・・・はい?ってなって当然ですよ。
なので相当に根が深い
実際の所、言葉がなかっただけでなく、認知されだしても、なまけ病とか揶揄されてもいました。
そう、うつ病です、うつ病。
元々、近所に精神科専門の病院もあったわけですが、それが影響してたのか、兎に角こう保守的というか。
気合とか根性という言葉でごまかしてるだけで、既に無理させられてました。
中学生の頃から、どうしても朝が起きれない。起きようとする意思はあるのだけど、意思だけでは体が拒否するかのように反応するので、
気力でねじ伏せながらの生活でした。
そのせいか、精神やんで仕事を辞めるどころか、人間不信も行き着くとこまで行くほどに。
気力でねじ伏せる=普通の生活だったので、最近まで結構無理してたりします。なので、通院してても改善しないどころか、寧ろ悪化することすら発生して、頓服を若干飲みすぎてしまう状態に陥ったほど。
良い所を良いと認めず、普通じゃないというばかり。
それどころか、悪い方は意に介さず。
そういう環境だったので、もうダメだ・・・になってからは、悪い部分が普通じゃない、と。
まぁ、それで声を上げても、結局多勢に無勢になるんですね。
普段から普通じゃないから。
いい部分すらも含めて、悪化してからは攻撃の材料になったほど、です。
それなので、何度も乱高下を繰り返し、狂いきれないギリギリのラインで何度も訴えたんですけどね。
兎に角向けられる言葉は「普通」
でも、その普通を説明してみろよ!と言った所で、ただただ、良いも悪いもを見定めない、当人の話を聞かない、ただただ普通だなんだ言い続けてるようだったので、説明が出来ない。
そういう部分に気づいてくれたのは、ガンで亡くなる直前までいった母だけです。
未だにこれが続いてるので、自分の幸せを探そうにも、過ぎたものを持ったせいか、寧ろ周囲が振り回されるばかり。
「そういう人だ、と。良いも悪いもをちゃんと見たまま。必要以上に違いを気にせず、放って置いて欲しい。」
なんで、そんなに、違うだ、普通じゃないだを、社会に出始めた幼稚園の頃から、言われ続けなければいけないのか?
評価を受け止めるも何も、その評価通りに扱ってくれないのは周囲なんですよね。
なんかこう、能力が高いだ、真面目すぎだ、人が良すぎだ、言葉を変えても説明を求めると「普通じゃない、皆と違う」にばかり集約される。
まぁ、確かにこう、目に見えない部分が優れてるというか。
集中してるようにしか見えないとも思いますよ。
でも、それを普段から見せてるからこその「何故、そんなに?」なわけなので、普段からそうあるだけだっつーのよ(苦笑)
でも、その普段から普通じゃない様子を認めてくれない。何がどうあって、という部分は自分たちと違いすぎる以上は受け入れない。
そして結局、普通じゃない、皆と違う、それしか言えない。それどころか、幼稚園から社会に出るまで、ステップアップで環境が変わり、人が変わっても。
呪いですか?と言わんばかりに、普通じゃない、皆と違うとしか言われない。
こればっかりです、うん。
それどころか、過敏性腸症候群も割と最近の言葉とは言え、週に何日下痢して顔青くしてるん?というのも、ね。
「皆と違って体が弱いだけ」
「でも、そう簡単に人間しなないから、皆と同じ生活しろ」
で、病院に行っても原因がわからないとは言え、1回行ったらそれでおしまい。
病院を駆けずり回って原因を探ろうとすらしてくれなかったんですよ、親が。そして、そういう状態でも、先生たちも疑問視してくれないし、なんかこう腫れ物のような扱いをされ。
顔面蒼白で、ものすごく痛いと訴えてても。ただの腹痛。
うつ病としての気分が上がらない部分だけでなく、そういう腹痛や下痢も、誰も助けてくれないから、小学校の頃から我慢するしかなかったんですよ。
先生なんかも、面倒は避けたいと言わんばかりに、相談したらしたですっごく嫌な顔しかしない人ばかりで、なんの相談にもならなかったんですよね。
受容と共感なんて出来たもんじゃない。
全部、見えちゃってるのよ。
見えすぎるほどに、見えてしまうから。
人間って、この程度なんだな、って諦めて生活してたほど、です。
少なからず、就労支援で復帰しかけても「能力が高い」
ふーん?私のどういう能力ですか?
真面目、よく気づく、面倒見が良い。
・・・・・またこれかぁ、あー・・・・・・
ハイ。結局悪化して、A型辞めるハメになりました。
過ぎてる、違いすぎてるというのに、何がどうあってどう違うのか?どういう物を持ってるから、そういう事が出来てしまうのか?という、本質にせまってくれないんですよ。
ただただ、皆と違うという上辺だけ。
ようやく、今の主治医がこう、受け止めてくれたというか。
相当に酷かったんでしょうね。
悲痛という表情になったし、「兎に角根が深そうだ」と言うにも、それだけでまとめて良いのか?と迷うかのように、言葉に息が混ざってて。
まぁ自身にも自覚があったので、相応にね「そうなんですよ。結構根が深いと思います。」って敢えて、軽く言ってみたんですね。
そしたら、こう、それならと気を取り直す感じで「大変ですけど、少しずつ前進しましょう」
そういう感じだったので、私の方も自然と、気がついたら安心できるようになってた、と。
ようやく、スタートラインなんですよね。
普通じゃないって、なんなのもう・・・。
それ程に違うんですよ。まぁ、言葉じゃわかりにくいでしょうけど、ね。
あとがき
まぁ、気づく、感じ取るだけでなく、個人としては言語化という部分。
成人知能検査でIQとしては107程度。とはいえ、それで示せない部分を持ってる、と。
それ故に、スムーズに事が進むだけでなく、1伝えたら、そこから派生させて2、3と追加で予測を立てて判断するんですよね。
そういう部分が、社会人してた頃には、先んじて相手の意を汲んでの仕事ぶりとして出てました。
まぁ、言葉については、最近では時折、そういう結果も出たので当人である私も扱えるようになり、その分だけ「私の持つ異質さ」は言葉に由来するものという、受け取りも少しずつしてくれる人が見られるようになりました。
ただ、やっかいなのは、付き合いが長い人。
そういう結果が出たからって、認めたくない。そんな凄いやつだったと、認めたくない。
そう言わんばかりというか、そういう結果が出たから何なんだ!って突っかかってくるんですよ。
よく気づく、真面目という部分も正体や実態は意外とそういう所に行き着くんですけどね。
感じ取ったものを処理してる=その状況、その環境、事態の動き、会話の流れ、という部分を、ちゃんと言語に変えて扱いきれてる。なので、説明するのも、教えるのも、相談に乗るのも、うまくやれてるわけですが。
未だに、普通じゃないだけで、それはお前の能力じゃない!みたいな言い方もされます。
はぁ・・・(´・ω・`)
その、表面しか見ないクセを直せ!って感じなんですよね。
自分とは違いすぎると言いつつ。違いすぎるから、認めたら負けと言わんばかり。
当人にしか、何故そうあるのかわからない!と言うくせに、その当人である私が説明すると、
「そんなのありえない、そんなはずがない、だってみんなと違いすぎる!」
そりゃ、うつ病の治療どころじゃないんですよね。
ホントこう、悪いけど病院なり、カウンセリングなりで、認知行動療法うけてこい!って言いたくなりますけど、言うと衝突するだけですからね。
めんどくせぇー。
目の前で見て、過ぎてるほどに出来るのを確認してるのに、自分たちの都合が悪くなるからというのがあるのか、違いすぎるのを普通に収めようとする。
とんでもねぇ、環境ですわぁ。
周囲にいる人達の8~9割がこんな感じなんですよーう。
とほほのほ。