見出し画像

みんなそれぞれ想いがある

とはいえ、自由と好き勝手くらいの区別はしたほうが良いんじゃねぇかなぁ?byコアラ

なんか、画像が嵌り過ぎて私が色々書いてるんだけど、コアラがぶつぶついってそうにも見えなくも......

というのは自分だけかもしれない。

まぁ、完璧に自分も出来ないとはいえ、子供の頃からそういう部分での感じ方が違うだけでなく、それ故に行動が変わってしまい、真面目過ぎだ、気を遣いすぎだ、酷い時だとお人よしが過ぎるとか言われる身として、色々触れてみようかと思います。

こういうのも感受性ってやつなのでは?

そんな感じでね。


気持ちは分からなくもない

でも、自由と好き勝手、我儘は違うわけで。

そして、それを権利まで発展させると、自分は権利を勝ち取れるかもしれないけど、それで気を遣わなければいけない等、負担を強いられる側も発生するのもまた必定。

こういうのも、善悪二元論に通じると言うか、1か0か?という話だけでなく、どうしても決着を付けようとする、そういう言動や行動にする人って凄く多いわけで。

なので、相応に制御しなければ、アンバランスさを生んでしまい、喉元過ぎれば熱さを忘れると言わんばかりに、勝ち取ってしばらくは良しとされるものの、思いのほか短いスパンで権利という言葉で負担を強いられた側が再度着目、主張されるようになり、途端に逆転してしまう。

もう、何度繰り返してるんだ、人間よ。

40年程度しか生きていない、という現実以上に、子供の頃からなんでそんなに話し合いをしようとしないの?と疑問に思って、一線引いて色々みてました。

まぁ、気持ちは分かるんですよ。

でも、こういう部分でも急いては事を仕損じる、という感じにもなるもので。

政治に興味もってれば、リベラルだけでなく、中道って言葉を聞くかもしれませんが、これ結構昔から仏教では言われてる言葉なので、ここ数年で聞かれるようになったものでも無く。

なんていうかまぁ、感情的になるどころか、脱力する、呆れるというのが年を重ねるごとに増えて言ってるのも、個人的な実情です。


隠れて色々やっている

この辺はHSPという言葉と現状に触れるに当たり、感受性が高いと言ってるので、あれこれ色々書いても、

それは感受性が高いからできてるだけ

とか言われそう......。

逆にそうある側からすると、周囲は気づけてないだけで、大して見てない聞いてないというのも実情かと思います。

個人的に、見れば聞けば分かるとかいうのですが、遠まわしに、ちゃんと見てないし、聞いてないからわからないだけなので、そこからやり直した方が良いんじゃない?みたいな、結構辛辣な場合ってあるんですよ。

と、ここまでだと、何が何やらわからない。

一応、今から解説しますよー。感受性が高いっても、感じ取れる事ばかりだけではないんですよ。


相談に乗るという状況でなくとも、愚痴や不満程度なら嫌でも聞かされるのですが、何も一人で対応してるというわけでもなく。

誰かしら人が居る事ってあります。

こう言う時には、話してる相手だけでなく、一緒に聞き側に居るメンバーについても色々感じ取ってるんですね。

で、そういう人達から、更に個別で話を聞く事もあるのですが、その際に感じ取った部分で見てない聞いてないって言うと問題が余計こじれるだけなので、「よく思い出してみたら?」と振ってみたりします。

そうすると、あら不思議。

全てがそうでなくても、同じところを見てて把握したりするんですよ。

「あ...そう言えば、そういうところあった」、こんな感じです。

ただ、それを自分の意見の言いたさや、相手との考え方の違いなんかで、スパッと切り捨ててるだけ。

だから、記憶を掘り起こさせると、感受性だ、性格だ、考え方だ、関係なしに現実問題として把握してるって事もあるんですね。で、感情が刺激されない状態なので、冷静に思い出した部分から判断も出来る、と。

うん。

こう言うのってやっぱりこう、正誤や善悪、それも自分基準で推しはかろうとするから、その場で感情が逆立って相手を否定しようなんてポカやってしまう。

違う相手だって分かってるのに、自分の物差しではかり過ぎてしまうんですよね。

そして、逆に私自身も感情がブレないわけじゃないんですよ。

ただ、どうしても「何故そういう事を言うのか?」みたいなのを前提に置いたり、最悪感情が爆発しても少なからずそういう部分を把握しようとしてたりしてます。

これをHSP的な話にすれば、これもまた掘り下げなんですよ。現実問題として、自分は何故そうなったのか?って考えたり、相手はどんな状態だったか?何を言おうとしてたのか?とかを、冷静さが維持できる時に再度思い返して、考察するっていうんですかね。

そして、それを糧にして、反省すべきは反省して次に活かす、そういう事も隠れてやってたりします。

隠れてと言うか、周囲に人が居ると共感性から喜怒哀楽の怒や哀も共感したり、カウンセリングで指摘されるような取り込み=ちょっとしたシンクロを発生させるのも分かってるので、一人になれる時に行うしかない、と言う方が核心に近いです。

こんな感じで、単純に感じ取ってるだけでなく、現実の整理もやったりしてます。

だから、相談なんかに乗ると、何でか不思議と話して楽になった、安心出来たという状態に相手がなってくれて、相談上手とか聞き上手とか言われてしまう、そんな感じです。

こういう部分から、確かに感受性としてのアレコレを感じ取ってはいるのですが、それ故にちょっと先とか、つっこんだ行動をしてしまってるだけです。

そして、状況が変われば感受性なんて誰でも持ってるものだし、後から伸ばせなくもないと言われてます。なので、聞いてくれた分には気づかせてあげると言うとおこがましいですが、感受性だけじゃないっていう、私がそうある理屈やメカニズムみたいなのを説明したりするんですね。

そういう事をしてると、そういえばあの時は感情的になりすぎてたなぁって自分で気づける人も居るという感じです。

ただ、繰り返さないかは別の話なんだけど、ねー!


ちょっと視点を変えてみた理由

生まれつき持ってる物って、色々差があるんですよ。

それを突き詰めると、生まれた国、家庭や親、性別etcどうにもできない部分にすら行き着く位に。

でも、学力や運動能力って努力で伸ばせたりもします。

感受性についても、環境感受性という言葉で調べてみると、やはり後天的という観点から伸びる事も触れてたりします。

そういう部分からも、繊細さんとか敏感とか生きづらいだけに着目してるんじゃねーですよ、っていう話をしてみようかな、と。

そんな感じなんです。

そうある人が特別とか、そんなんじゃないです。生まれつきだけでなく、伸ばそうと思えば伸ばせます。

アーティストだけでなく、日本食なんかは見栄えなんかも重視されるので、そういう部分で繊細さって伸ばせますし、人の笑顔をみたい、笑顔にしたいとそういう事に真摯に向き合える人って、対人関係での感じ取りなんて生まれつき持ってる人より伸びて、すげぇ......って参考に出来たり、感心してしまうって人も出てくるんですよ。

だからこそ、感動するって話でね?

ホントこう、言葉や概念を都合の良い形に捏ね上げようとするというか、食い物にしようとするというか。

しない方がいいこと、避けた方が良い人なんてのは、自然と気づくし人がとやかく言うもんじゃないです。っていうか、そんなの当たり前レベルで気づきますが?って話しか無くて。

そういうのに共感してる程度だと、低いです、申し訳ないけどね。

ホント、自称HSPは良いけど、酷すぎると言うか、舐めてますよね?みたいな人も居て呆れるくらいです、個人的に。

こういう部分って知識不足だけでなく、何故そういう人が居るという話が出てきたのか?という、背景や理由の考察とかあまりしてないのでは?と感じざるを得ません。

その程度の事、HSPっていうなら気づきます、というか

言われなくても、気 づ け よ なんですよ。感覚的に気づきますからね。

嫌でも自然と出来てしまう、特徴にある真面目や真摯みたいなのは周囲がそう見てるだけ、そう反応してるだけという部分もあり、当事者としては実際は自分らしく在ってるだけ、そう言う可能性もあるんですよ

そう言う所から、特徴って研究の対象になった人がそうあったというだけでしかない自分に当てはまる、思い当たる部分から自分も同じとは限らない、ってバッサリ言ったりするんです。

自分で思い当たるって、自分目線、自分の物差しが、大学、大学院で心理学学んで、研究してる研究者と同等レベルの判断できるの?

診断基準が無いから、チェックリストがあるから、そういう迂闊さを見せてれば、色んな悪さが嫌でも露見しますし、自分で気づくから防御行動をとったり、自分はそう見えない様にって塞ぎに行くわけです。

敏感も付けてるのに、その敏感さを活かせてない。だからこそ繊細な自分に、ブーメランが刺さって苦しむって言うね。

逆転の発想とか、そういう物も使いましょうよ。


こうやって、厳しい事を言ってるので、グサグサ指してるのも否めないですが、気持ちは分からなくもないです。

そう言うタイトルの記事だからではなく、自分と違うだれかは自分とは違う感じ方や想いを持ってるのは当然という部分からの、気持ちは分からなくもない、です。かといって、自分の都合の良いようになんてのは、ただの甘えでしかなくてね。

だから、現実に押しつぶされて、生きづらいなんて言い出すだけで。

自身に対しての甘やかしや、詰めの甘さから諸刃の剣が折れて自分に刺さってるだけという部分もあろうかと思います。


格闘ゲームだって、防御がしっかりできなければ、余程の腕前が無ければ勝てない相手って現れます。

そういう、ゲームプレイヤーですら、そうあるのにねぇ。


最後に平家物語から

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

驕れる者は久しからず ただ春の夜の夢の如し

たけき者もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ


この序文からでも、相当に学びが得られますよ。合掌。


まとめ&後記

あっれれぇ~?おっかしいぞ~?

ではないですが、後半書きながらこれはエグイじゃん、止めとけって別の自分が訴えてたのですが、この位言うのも時にはありなのでは?って感じで、結局かきあげてしまいました。

まぁ、ね。

人によっては、辛辣過ぎて不快感を覚えるかもしれません。

ただ、現実問題として、感じ取りからの突っ込んだ諸々を含んだ物言いって実際にしないわけでも無いんですね。

そこを、周囲から「気持ち悪い位、正論ならべすぎ、それで人を殴り過ぎ(言葉で)」って言われたりもします。

でも、正論とかそういう話ではなく、私はそう感じてるだけだし、その感じてる事を言葉にしただけ。あくまで私はこうなんです、でしかないから、正論言ってるつもりもないし、指摘があるなら指摘しちゃって良いよって感じです。

そう返したとしても、周囲は働きたくないでござる!ならぬ、反論したくないでござる!って感じで、怖いので止めておきますって状態になる事も、

まぁ、ごく稀なのですがあったりします。

こんな感じでね。

感じ取れる事って、時として凶器どころか、狂気なんじゃないですか?ってくらいに、エグい事も出来なくないんですね。普段してないだけであって。

結局は、言葉や概念の判断すらも個々の差がでるのに、分かりやすいだ優しさ(まやかしだけど)だで、中身をすり替えるような真似してたら、間違いを発生させてしまうのは当然とも言えてしまいます。

何にしても、自分の持ってる物って自分の扱える道具みたいな側面もあるので、「使いよう」というのは必ずついて回るんですよね。

それをどう扱うかは「自分次第」なんですよ。

まぁ、気持ちは分からなくもないんだけど、

誰かなんとかして!繊細だから気を遣って!

サムスピの牙神幻十郎ばりに「阿呆が」って言葉が、そろそろ出そうなくらいです。

いや、出てるじゃん!(笑)


ということで、ザックリやり過ぎた感じもありますが。

こんな所で終わりにしたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?