Podcast第2回配信しました & 『PPPPPP』感想
こんばんは。
Podcastを更新しました。第2回。
前回の続きで5月の太宰(人間失格)・三島(仮面の告白)についてやいのやいの言うてますけども。
終わりのBGM、アホみたいな音量になってしまっている。小さくしたバージョンを再度アップロードしたはずなのだけど、Apple Podcastの方、反映されてねーな。そろそろ色々とフォーマットで準備しとけば?と我ながら思い始めている。
更新頻度を月イチにするか隔週にするか迷っている間にタイマーで更新されちゃってました。あちゃ。5月の第3回のストックはあるけど、6月の分(銀河鉄道の夜)、まだ録音すらしてないのよ。
いまの感じだとあたかも隔週月曜更新っぽいですが、果たしてどうなる。果たして。
『PPPPPP』を読んだ。
序盤は絵がちょっと苦手かな〜と思っていたのだけど、段々と線の感じが私の好きなシャーマンキングの武井先生や放課後ひみつクラブの福島先生みたいな流れるような雰囲気を帯びはじめ、6巻くらいからはむしろ好きな方だった。
映像化が似合いそうだし、音楽モノってドラマが映えるから、なんならドラマ化が良いのでは?と思ったけど、ドラマじゃようわからん改変入らないわけないので、もしもいつか、8巻で打ち切り終了した漫画が映像化する、そんな日が来たら(あながち来ないともいえないと思っているよ、いや、信じているよ俺は)アニメ化でお願いします。
打ち切りなのは明白なのだけど、変に収束させすぎず、いきなり終わった。バッドエンドと捉える向きもあるらしい。
個人的にはハッピーとかバッドとかという次元でなしに、突きつけて終わる、そういう終わり方はエッジが効いててけっこう好きだよ…。庵野さんの思惑や事情はまったく知らないけど、『彼氏彼女の事情』のアニメの終わり方とかも、好き。「ただそういう現実がそこにある」で終わる感じ。
「優しさもエゴだよ」と主人公が突きつけられたあたりから本格的に「あ、好きなやつだ…」となった。全編通して、自意識や深層心理に向き合おうとする話。
この作品では天才ピアニストの演奏によって聴衆が幻想(ファンタジー)を体験するのだけど、異能力バトルモノではない以上、このファンタジーというのも結局は「比喩表現」のように捉えるべきだと思っている。
主人公ラッキーが兄弟の演奏で対面する(ラッキー自身が深層心理では何よりも信じている)天才ラッキーも、いわば「象徴」のようなもので、霊体や二重人格ということではない(作中で二重人格という整理についてはやんわりと否定されている)。だから天才ラッキーによる「別人格乗っ取りエンド」という見解はなんか違うような…と、ひとの感想など見ながら感じている。感受性が強すぎてこの世の道徳的なものを内面化して、ありふれた言い方をすれば、尖っていた感性が「丸くなってしまっていた」のが、あらためて解き放たれた、というところだと思う。
「才能に生きる(しかない)者の感性」。まあ、捉え方次第では「闇堕ち」とは言ってもいいのかもしれない。才能とその持ち主を、非情なものとするならば。
「でも『才能』って、そういう輪郭をしているよね」っていう、それをただ表現する物語。
その中に各キャラクターの種々の葛藤と人間味があって、おもしろかった。
過去への執着。願いと混同した夢。不自由の中で縋るもの。他ならぬ好意によって傷つけ、また傷つけられるままならなさ。自分の中にしか答えはないということ。
お母さんのくだり、全然キレイに幕を閉じないのすごくない??こういうくだりがあってのあの最終回だから、やっぱりそんなに不時着って感じはしないんだよな。
あ、なんか、書いて整理してたら、親子間の自我の問題というか、子の精神的独立みたいなところも割とテーマな気がしてきた。そういや毒親いっぱい出てくるな。
キャラクターは、割とみんな同じように好きです。私も特別推しはしないけど、ダダ先生の人気投票の順位が低くてびっくりしました。なんで??
他のキャラが魅力的で相対的に…ですか?
ピアノ漫画、あるいは努力やひたむきさで夢や勝利を掴む少年漫画と思って読むと、梯子を外されたような気になるのかもしれないな、とは思いました。
大丈夫、私はシャーマンキングという紆余曲折を経まくっている漫画を知っている。
『PPPPPP』ジャンプ+で補完的連載再開、からの映像化、あると思います。望み。なくても信じろ。お前が信じずに誰が信じるんだ。
シャーマンキングのことがあるから。まず完結編開始まで3年みよう。それから20年、20年様子をみよう。
五十路の俺が、自分だけが見える映像を空中に映し出すことのできる、眼に埋め込んだインプラントで『PPPPPP』のアニメを観ているよ。